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田所 憲介が出会った女神は「各務 芙百合」だったが、「各務 芙百合」ではなかった。
姿かたちは完全な「各務 芙百合」だ。
しかし、ふゆりぃ本人な訳がない。
思わず手を掴んで連れて帰ってしまった各務 芙百合は今、午後のワイドショーに出演している。
画面右上に出ている「生放送中」というテロップが嘘でない限り、国民的アイドルであるふゆりぃはテレビ局で新商品のアイスクリームをぺろっとなめて「美味しい!」と笑顔を浮かべているはずだ。
田所 憲介はゆっくりと、視線をテレビ画面から後方へと動かした。
自分の匂いで満ちた狭い芙百合尽くしの部屋の中に、ふゆりぃの姿をした女がいる。
道の途中に立っていた、一番のお気に入りの一番の愛らしいファッションに身を包んだふゆりぃは、にっこり微笑んだまま、何も言わないまま、手を引かれるままに田所家までやってきていた。
あの、慈愛に満ちた視線は何なのだろう、と田所 憲介は思う。
彼女は「各務 芙百合」本人ではない。ほぼ間違いなく、本人ではないだろうと確信しつつも、もしかしたらという思いが邪魔をしてその正体はまだ聞く事ができずにいる。
一体何者なのか。
黙ってにこにこと微笑んだまま、手を引かれて見ず知らずの他人の家へと来てしまう。
もしも各務 芙百合本人だったとしても、そうでなかったとしても、何故そんな事をするのか理由がわからなかった。
罠、なのではないか。
田所 憲介がまず思ったのは、これが何者かによって仕組まれたトラップではないかという可能性だ。
なにせ、田所 憲介には友達がいない。顔の造形も悪い、小太りであり、額や頭皮は必要以上に脂ぎっていて、成績も良くはないし、運動神経も悪いし、話すのも苦手だし、アイドル以外の芸能人に興味はなく、とにかく「ごくノーマルな中学生の間で流行しているもの」に興味がない。
昔から、乱暴な連中の標的になって生きてきた。
今現在、積極的な「いじめ」を受けているわけではないが、たとえばほんの少しだけふゆりぃに似ている女の子がいたとして、メイクなどでビジュアルをそっくりに仕立て上げて、彼の家までやってきてハァハァしたところで突然悲鳴を上げて逃げ出したりするのではないか。そういう、いわゆる「美人局」的な罠を仕掛けて、決定的な写真を撮られるだとかして、評判を地の底まで落とされ、金銭を要求されたりする展開が待っているのではないか――。
腕組みをしたままそこまで考え、田所 憲介は小さく「ぐむぅ」と唸った。
しかし、どうしようもなく芳しい香りに引っ張られ、思わずちらりと、後ろを見てしまう。
そこにおわすのは間違いなく、麗しのふゆりぃだった。
似ているとか、そんな言葉で済ますことができるレベルではない。
白い肌、つややかな黒髪、微笑みを湛えた唇は赤くてぷるぷるであり、睫毛は長くてくるんと上を向いて、その下に輝く瞳の中には星の瞬きがあった。
胸が、ずくん、と疼く。
ふゆりぃが部屋にいる。
ふゆりぃが僕の部屋にいる。
でも、あれはふゆりぃじゃない。
だけど、間違いなく、ふゆりぃの姿をしている。
それは余りにも甘美な誘惑だった。
わずか十四年しか生きていない、むしろ一番とてもアレな時期の男子が、この状況に耐えられる訳がない。
わかっているのに。
でもすぐそこで、地上に舞い降りた女神は優しく微笑んでいるから。
だから、田所 憲介はそっと手を伸ばして、暫定ふゆりぃの手を握った。
ふゆりぃは動かない。微笑みを浮かべたまま、田所 憲介を真正面から見つめるだけ。
男臭い、思春期特有のにおいが染み付いてしまっているベッドの上に、ちょこんと腰かけている。
田所 憲介は震えながら、なんとか膝立ちになって、その姿勢のままのろのろと前へ進んだ。
進むことによってふゆりぃが逃げ出してしまうのではないかと不安に思いながら、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりとベッドへと近づいていく。
しかし、動かない。女神は座ったまま、微笑み続けている。微動だにしない。不自然な姿だった。
けれど彼女は、完璧な「各務 芙百合」の姿をしている。
何故あの場所に居たのか、何故家までついてきたのか、何故何も言わないのか、何故ぴくりとも動かないのか。疑問は尽きない、それどころか、疑問でしかない。けれど、ふゆりぃの姿をしているのだ。それ以上に大切な事はこの世の中にはない。田所 憲介の中には、ない。
完璧なふゆりぃの等身大、しかも生きたフィギュアがそこにある。そこにいる。そこに座っている。
それはふゆりぃではないけれど、田所 憲介の今の心情的には、完璧にふゆりぃだった。心臓は今にも破裂しそうな程激しく動いていて、息の出し入れも普段より浅く、うまくいっていない。はぁはぁと口から漏れる音はやたらと大きくて、田所 憲介自身が嫌な気分になる程だった。
けれど、そのすべてを止める事が、彼にはできない。
ようやく「ふゆりぃ」のすぐ前に辿り着いて、田所 憲介は見た。目の前に座るふゆりぃの顔を、改めて見つめた。微笑みを絶やさない愛らしい顔にすっかり体を熱くさせられて、そして、こう呟く。
「ふゆりぃ」
ふゆりぃは小さく頷く。
何かが田所 憲介の中で弾けた。
多分、理性だとか、正常な思考とか、そういったものだったのだろう。
あっけなくそれらは爆発して、田所 憲介はまず、憧れの白い足にむしゃぶりついた。




