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彼らには名前がない。
何にでも名前をつけたがる「人間」に発見された事がなかったし、彼らは「名前」をいちいち決める文化を持っていなかったから。
(また見てるのか?)
だからこの物語を綴るのは、なかなか面倒な事だ。
声をかけた「彼」だか「彼女」だかに名はない。そして彼らは皆同じような姿をしていて、目立つ外見の特徴はまったくないから、例えば「頬に傷がある男」だとか、「カラスの濡れ羽色の髪をした女」だとか、そういった表現をする事はできなかった。
(そうよ、何か問題ある?)
なんの特徴もない、半透明のぶよぶよとした何か。決まった形を持たず、空気や土の中にある微細な何かを取り込んでエネルギーに変えている彼らの事を、ここではとりあえず「不定形」と呼ぼうと思う。
そして便宜上、最初に話しかけたものを「A」、答えたものを「B」と呼ぶことにする。
(なんだい、あんなのを熱心に見たりして)
「B」が見ているのは人間。
「A」と「B」が住んでいる林の近くにある中学へ通っている、十四歳の少年だった。
彼の名は「田所 憲介」。小太りで、髪の毛を洗うのが嫌いらしく頭には常にふけが浮いていて、顔はいつも下を向いている。成績がいいわけでも運動ができるわけでも交友関係が広いわけでもない、人と話す事が苦手な、大変に冴えない少年であった。
「B」はここのところ毎日、林の入口に立って中学校の校門の前の風景を見つめていた。朝と夕、登下校の時間になるとこの場所へやってきて、「田所 憲介」が歩き去って行く様を眺めているのだ。
じめじめとした土、しっとりと濡れた草の上は「不定形」にとって最高に心地好い条件が揃っている。
鬱蒼と繁った木々に遮られ、陽光の届かない素敵な場所で、「B」が毎日ご機嫌な事に、「A」は随分前から気が付いていた。
(ニンゲン、だろ? 気になるのか?)
「A」の問いに、「B」は答える。
(ええ、気になるわ。彼はニンゲンだけど、……なんだか私たちに近い気がするの)
なるほどそう言われてみれば、「田所 憲介」は「不定形」に似ているかもしれなかった。
顔にはいつだって脂が浮き出していてどこかベトベトしていそうなイメージだったし、家でも教室でも隅にいてほとんど動かない。太った体についた贅肉はぶよぶよしていて、色さえなければ「不定形」にもっと似ているだろう。
(彼の事をもっと知りたいの。この胸の中にはっきりと火が灯っている……。私はきっと、彼に恋をしているんだわ)
(物好きな事だ)
「B」のうっとりとした思いに、「A」はふんと笑った。あざけるようなその態度を逆に鼻でふんと笑うと、――不定形には鼻はないのだが――、「B」はちょろりちょろりと前進を始めた。
(何処へ行くんだい)
(見ているだけじゃどうしようもないでしょ?)
(その姿で行っても、彼は君に気付きもしないだろうさ)
「不定形」はただのゼリーにしか見えない。限りなく透明に近い半透明で、とても知性を持った生命体には見えない。だから人間にその姿を見られた事はあっても、大抵が見間違えだとか、誰かの捨てた生ごみの一部か何かだと思う。それゆえに、これまで人間に「発見」された事はなかった。
(それじゃあ面白くないわ)
(そうだろうな)
「B」は不満気にため息をつくと、――不定形には口も首もないのだが――、「A」に向けて首を傾げた。
(彼と結ばれる為に、出来ることはないの?)
(……あるさ)
「B」は「A」をまっすぐに見つめる。
不定形には、目も、ないのだが。
(色を付けるんだ。ニンゲンの形に、姿を変えてね)




