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スコップ番外 「盗作・二次・オマージュ・〇〇劣化」

先日、読者の方から相談を受けた。

盗作と疑われるのはどんな作品なのか?

自身の作品にその嫌疑がかかるかも知れないと思うとなかなか執筆する気分になれない、といったような事だ。詳しいことは書かない。

まず、盗作か否かという判断は実際に、ある程度形が出来た二作品を比べないことには判別つかないものだからだ。

けれど、恐らくは誰しもが多かれ少なかれそういう不安を抱いて執筆していると思う。


表題に挙げた4つ、「盗作」「二次」「オマージュ」「〇〇劣化」とは、基本的に同じものだと考えていい。単に「盗作」が法的に完全アウトというだけのことだ。


相談者にわたしはこう答えた。

そも盗作の判断は、「似ているかどうか。」「似ているなら、なぜ似せる必要があるか。」そこに納得のいく説明がない場合に嫌疑をかけられる、と。

つまり、その作者にとっての似せる必要性というものが、「評判を得たい」という事であればアウトになるということだ。他者の得た手柄を、真似をすることで横取りしたい、という表明になる。

「テンプレ」というのは、片方にそういう危険性をも含む。


「盗作」とは、法的にアウト確定のものだ。コピーとしか言いようのない完全に一致する部分があったり。細かくは、オリジナリティを争うような事だが、そもそもは「他者の作ったものを自身が作ったと表明する行為」であるから、『まるで知らなかった』ことが証明出来るなら、Aという作品と瓜二つのBという作品があったとしても、盗作にはならない。

ただし、瓜二つの作品を第三者が見たときに、瓜二つになるという天文学的確率を考えない者はない。

よって、まるで知らなかったという証言が偽証であると、ほとんどの人は思うだろう。

そんな偽証をせねばならないのは、結局のところ、その表現を自分の作ったものとして、名誉を横取りしたいという邪心からとしか考えようがない。


ここで気を付けてほしいのは、本人がいくら「この表現が好きで自分の作品にも使ってみたいと好意的に考えた末の行為」と思っていても、枝葉を取り払えば、その「」の要約は、「名誉を横取りしたい」にしかならないということだ。


これを、別に横取りする気はなかった、と言いたいなら行為で証明する以外にない。

それがオマージュ、リスペクト、二次である。

これらは、それゆえに原作があることを明記していなければならない。

表題を、原版ととてもよく似たものにして、関連を匂わせるという方法だとか。

この場合、「似ているね、」という感想を気にすることはないだろう。もともと原版があること前提で作られた作品だからね。

完全に一致する表現でパロディなどやってのければ、洒落た作品だ、原版に愛情あるね、と高評価を受けることさえある。


では、ラストに残る「〇〇劣化」はなんだ?となる。これは、「パクリ」だよ。

パクリという言葉が広く世間に周知されたんで、その代用として生まれただけで同じ意味だ。

法的にはまだアウトじゃないけど、見る者はまず「名誉を横取りしたい目的で作ったんだろうな、」と判断するだろう作品ということだ。


アイデアや凡庸的表現、テンプレというもの自体は著作権に触れない。法的にはセーフだ。

だが、本来、著作権というものと、盗作というものは温度差というか・・・ごにょごにょ。

法的にセーフならいいというわけじゃないのはお分かりか?

そも、「法的にセーフだ!」なんてのは悪党の憎たらしいフレーズの最たるものだと気付けよ。(笑


作品を作った時に、どのような目的で作ったか、それによって評価が為される。

「読者に楽しんでもらえるよう、」とか言うとカッコ良さげだが、それは直訳すれば「受ける作品にしたい、」でしかない。ウケたいのはなぜかといえば、多くは名誉と直結させて考えることだろうよ。(笑

受けるためなら何をしてもいい、という考え方をしてんだろうな、という評価が、すなわち、「〇〇劣化」というレッテルだ。


エンターテイメント作品は「ウケる」ことが重要かも知れない。手段を選んでられない、商売だから。

多少のことは目をつぶる。似てたって、法的にはセーフだ。

それは芸術作品に当てはめてはいけない考え方だとわたしは思う。

だから、多くの芸術家や評論家はエンターテイメントを低俗とせせら笑う。彼らの意見は実は大衆の意見でもある。大衆は理論立てて考えないから、反発するんだが。

表現するには理由が必要だ。なにかを伝えたいから形にする、その「なにか」は「テーマ」だ。

「わたしならこうする、」「こういう主人公に変えたら、」「こういうエピソード入れたいな、」

それはすべて、オマージュだ。

オマージュはオマージュで、二次やリスペクトと同様、立派なテーマだよ。

ちゃんと書きたい事に対する目的がある。少なくとも、名誉が欲しいなんて低俗なもんよりマシだ。


劣化作品とか呼ばれてる作品は、作者本人が嘘をついてるのが丸わかりなんだ。

「これは私の考えた完全なオリジナルです、」・・・嘘つけっての。(笑

だけど、オマージュは「参考にした、」「元作品を知ってる、」てことの表明でもあるから、盗作嫌疑をかけられるのが怖くて、なかなか言えないんだよね。

ねじれ現象が起きてんだ。


誰それの作品のオマージュです、と、言えないこんな世の中じゃ。(ポイズンッ


考え方の逆転が起きている。

「似てるなんてよくあることです、」とか擁護がよく言うけど、ニヨニヨしながら読んでます。

問題、そこじゃないからね?(笑



ところで。

低俗という言葉を使ったが、民衆はこういう言葉に過敏に反応する。

だが、高尚だとか低俗だとか、そういう言葉に格差を意味付けたのは他ならぬ民衆だよ。

自分たちには受け入れられない、それは民衆という平均層に受けないということで、平均=凡百ということになって、つまりは難しいから受けない、凡人には理解出来ないと勝手に定義を付け足しただけだ。

勝手に卑屈になっただけだ。

ロウファンタジーとハイファンタジーは単なる分類でしかないものを、勝手にハイファンタジーは難解で一般向けじゃない、なんて言ってるだけだ。

方向性の違いでしかない。

平均的な大多数の層に受け入れやすい作品を書くのが、エンタメであり、俗ということだ。俗の中でも志が低いと大多数が感じるであろう作品が、低俗と呼ばれる。

山なしオチなし意味なしと揶揄されたかつてのヤオイ作品とかな。


それに対して高尚とかは、由来は知らんが志を同じくする者を対象にしている、という事になる。

最初から限定した同好の志しか相手にしてないんだから、大衆に受ける受けないなんざ問題にしてない。

両者を両立させることは難しい。

どちらかに傾かざるを得ない。

そんでだ、エンタメに傾くというのが俗に流れるという事であるからと、卑屈になって色々と言い訳を考えるわけだ。

本来、両立が難しいのは、「好きなことを好き勝手に書く」手法と、「受けを計算して書く」手法がなかなかマッチさせられないから、という理由に過ぎない。

大多数の読者を無視して書きたいものを書いていれば、人気が出ないのは当然だ。無視が徹底していればしているほど、受けからは遠いところを書いているだろうから。


「人気がない作品は面白くない。」

多数の読者は確かに面白いとは思わないだろう。それは、数式解くのが好きな連中や、論戦繰り広げるのを見るのが好きな連中ではない、というだけの話だ。

延々と変異レイアの効率的な狩り方を解説してあっても、そも変異レイアが何かさえ知らない人たちにはまるで面白くない、それだけの話だ。

人気が欲しけりゃ、そも、変異レイアの狩り方なんて作品を作ったりしないってことだよ。

(いや、変異レイア狩り解説を喜ぶ一部の人ってのはたぶんかなりの人数にのぼると思うわけだが)


いいんじゃないの? エンタメで。何を卑下する必要がある。そっちに興味はない、と言ってるだけだ。

人気を考えて、折り合いをつけたところで書けばいいだけ。


というわけで、実験作的な意欲作を見つけたんで今度紹介するよ。

(この回で紹介するのはさすがに可哀そうなんで)

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