すまん、本当にすまんです、また番外。【神憑りが降りてくる】
物書きやってると、うんうん唸って書いてるうちに、トランス状態入って今後の展開が『ガーッ』と浮かぶ瞬間がある。たいてい、大風呂敷で「これ畳めるかなぁ、」なんて心配になるよーなスケールだ。
けれど、自分の中で生み出されたものなんだから、畳めるのは当然なんだよ。自分の力量に見合ったスケールでしか物語の展望なんてのは出てこないんだから。
で、それが大抵においては書き始めのプロローグだの序章あたりじゃ出てこないって事なんだ。
プロット創るのが大事だ、といわれるのはそういうものがあって、全体の俯瞰図が出来た上で書いたほうが、客層をどこに絞るかとかどういう出だしがいいかとか、決まってくるからだよ。
出だしをいきなりの戦闘で始めてみたはいいけど、回を追うごとにコミカルになってって、緊張感よりほのぼのが売りになってしまったりしたら、出だしを改定すりゃいいけど、コミカルと掛け合い付きの戦闘ってのが売りになったりで、あるいは微妙なカラーになった場合は、難しい。
シロウト作品の場合、序盤で読むかどうか決めるのは勿体ない、というのはそういうのがザラにあるからでな。
出来れば、斜め読みでいいから全体の半分くらいは読んでみないと、海のものとも山のものとも解からないから、切り捨てないでほしい。
多くの読者はおそらく、始まったばかりの作品を青田買いすることで、良作を取りこぼす危険を回避しようとしている。だが、それは間違いだ。
なろうほどの人数だと、全部の新作に目を通し、凡作以下を振り落としていく仕様にしていたのでは、お気に入り欄が幾らあっても足りない。全部に目を通す時間もない。そこで、タイトルとあらすじだけで判断して面白そうなものだけを読んでいるんだろうが、それでは「全部に目を通して取りこぼしを防ぐ」という目的はまるで果たせていない事に気付いてないだろう?
後から化ける作品のほうが、はっきり言って面白いぞ。(笑
わたしはスコップの時に見るのは、ページ数だけだ。題名もあらすじも見ない。
とりあえず100ページほど更新済のページを掘って、いきなり、片っ端から目を通す。
○一行ごとに空行開いていたら、バック。
○3ページほど流し読みしてテンプレ展開そのままなら、バック。
○目新しい要素がテンプレに混じっていても、10ページテンプレ続くとバック。
けど、これでも上記のようなタイプを取りこぼすんだよな、「昔、いじめていた幼馴染が・・」ていう、ランカー作品、後半で怒涛のストーリー展開になってて、あやうく読み損ねるとこだったし。(笑
文体とか、一人称三人称、あんまり気にしない。内容しか見てない。
テンプレは安心感与えられていいか知れんが、それが有効なのは最初の取っ掛かりだけなんだから、だらだらといつまでもテンプレ展開を脱却出来ない作品が良作であるはずがない。
良い作品ってのは、多少、構成とか文章が不味くたって、それを気にしなくていいだけのストーリーの面白さがある。テンプレの面白さは、小手先の面白さだから、想像力の優れた作者の書いた作品とは比べるべくもない。
そんで想像力は、今の時代じゃ「才能」の一つになってしまってると思う。
けど、想像力が一気に走り出した時、それをわたしは神が降りてきたと表現するけど、神憑りの作品ってのは、技術や文章をまるまる無視出来るくらいにすごい迫力を持ってるもので、読後感がすごいんだ。
「ほー・・・、」と息が抜けていく。
どんなに長い物語でも、一気に、それこそ徹夜をしてでも読みつくしてしまうだけの吸引力がある。
本来は、そういうのが『良作』なんだよな。
まず真っ先に、作者にとっての書きたいメッセージが存在していて、そのメッセージを書くという執念が物語を突き動かしているのが読んでいて解かる、そういう作品はすごいよ。ほんと。
書くことに確固とした目的がある作者。人気のため、は除外で。(笑
技術云々じゃなくてね。ほんと凄い。実際、あの「ほー・・・」を味わいたくてスコップ握ってるようなもんかな。(笑
まぁ、ここの紹介ではそこまでは求めるつもりはないけど。化けそう、と思うヤツをね。(笑
ただ、その『作者の意思』が現れてる部分ってのが、序盤からって作品はほとんどないのがね。だから、あらすじやら最初のページ程度で決めるのは勿体ないぞ、て。
テンプレ要素の比率って、わたしにとっては「バックする目安」でしかないなぁ。
想像力欠如の作者ほど、小手先、テンプレ安心展開に逃げやすい、と個人的には思っているから。先の展開を考えて、うんうん唸ってる時に、ついついテンプレに逃げてしまうんだろうなと思う。その苦しみの果てに神は降りてくるというのに。
逃げ癖がついてしまうと、テンプレが無くなった場面の収め方が解からなくなるんじゃないの?
自分の考えた展開ってのに自信がないから。
アイデアのパクりだってそうだろ、自分では考え出せないと思っていて、だから良さげな他人のアイデアをほぼそのままでパクるんだよ。テンプレも基本同じ姿勢から来る。
そんなんじゃ、想像力は鍛えられない。
アイデアなんて、別に何も見てなくて自分の頭から出たオリジナルと思っていても、大概はやり尽くされたどっかにある事柄なんだから、騒ぐほどのことじゃないけど、曲りなりにも「自分の頭ん中から出たもの」か「目についた良さげなものをパクった」かじゃ、雲泥の差だと言いたいんだよ。
挙句に、パクった部分を褒められて「斬新です!」とか言われて、それ嬉しいか?(嘲
簡単な問題ばかり解いても、まるで勉強にはならない、それと同じだと気付いてほしい。初心者には二次創作を勧めるけど、他人のフンドシで作品書くのは、二次創作だけで十分だよ。
二次って、基礎訓練の要素だと思ってるんだ。原作の理解、分解、再構築、変更、構造の分析とか、一通りは揃ってるからね。まぁ、そのつもりで書いていれば、の話だけども。原作まるまる模写するよりは楽にこなせるし、単に書き写しただけって事にもならないだろう?
そんで本来はテンプレってものの一つ一つの要素ってのも、同じ意味合いで活用すべきと思うけどね。
なんにしても、作業になるとツライわけでさ。二次は好きな作品で、愛をもってやるべき、オリジナルは受けとか気にせず、自分の書きたい思いをぶつけるべき、と思う。そういうものがないなら、それはそれこそ「文才がないから他の才能探せ」という話と思う。好きこそものの上手なれ、というしな。名声が欲しいだけなら、他のカルチャーでもスポーツでもあるじゃん、て。
ジェンガというゲームあるじゃん、ブロックを無造作に積み上げてくのでもいいけど。
あのブロックが、テンプレ要素一つ一つだ。
計算して積んでいかないと、いずれ、崩落する。最初は適当でも大丈夫だから、勘違いするけど。
以前にテンプレは縛りがきついから、わたしは書かないと言ったけど、そういう縛りもあって、なんでもかんでも適当にと積み上げていくと、雁字搦めになって身動き取れなくなる。
そんでエタってるんじゃないかと思う。テンプレブロックが尽きるのもあって。
尻すぼみになってるか、「俺たちの戦いはこれからだ!」な最低テンプレで締めてないか?
あるいは、テンプレ一つ一つに付加されてる縛り要素を無視してご都合に陥ってるんじゃないの? 重なってくと、だんだん、鼻に突くようになるぞ。
もともとテンプレブロックを積み上げる書き方が、縛りだらけになって想像が広がっていかないんだから、さもありなん、だよ。だから、早い目にテンプレから脱却してる作品を探すようにしてるんだ。
後々まで記憶に残ってるような作品が、わたしにとっての『良作』かな。
とめどなく書き散らしておいて適当に終了。本日、ここまで!