スコップ番外・黒歴史「富士の裾野理論」
富士の裾野理論。
わたしが数年前に考え付いた理屈だ。同じような理論でちゃんと専門家に通じる名称のものがあったりするかも知れないが、なんせ専門的な勉強なんぞした事もないんで解からない。先達が居るなら、そちらが正しい名称だね。
理論というほどの事もないけど、まぁ、厨二を患っていた頃のことなんで笑ってくれ。
さて、山の高さは、裾野の広さで決まる。なろうでいうなら、質の高い作品が増えるには、それに比例してシロウト作品も増えねばならない、というもの。
単純に、人数が増えればそれだけ良質のモノを作る作者も同率で増えるよね、ということ。過疎った場所には良作以前に人が来ない、という単純明快な理屈だ。
で、ランキングというのは精鋭なのだから、良質の作品が比率通りに上がってくる、と考えていた。
・・・実際は、現状のわけだが。
ここが理解出来なくて、ずーっとうんうん唸ってたんだ。予想では、人が増えれば増えるほど、TOPの作品群ってのは研磨されて、プロも顔負けの作品が・・・と、思ってたのに違ったから。
ランキングというのは、質のいいのが上から順番に並ぶものと無邪気に信じていたもんでね。
実際はそうじゃなかった。
良質な作品は埋もれて見向きもされず、明らかに稚拙と解かるような作品が持て囃される。テンプレとかじゃなく、技術的に、どう見ても劣る方が上がってくる不思議な現象。
文学作品とラノベ作品を比べてって言ってんじゃない、同じラノベのテンプレ系統の中でも、なぜか稚拙な方の作品が選ばれて上がってくる事があるのが、不思議で不思議で仕方ないんだ。
2chには一部、揶揄する書き込みもあるし、それを見て面白がって読む人もいるだろう。だけど、それらも全部人寄せにはなる。良くも悪くも話題に乗れば、作品の尾ひれじゃなく作品自体のファンになってくれる読者も出てくる。すべてが宣伝になる。露出が多ければいい。
その分が上乗せか、とか。・・・ところが、そう簡単な話でもなさそうなんだよな~。
もうお手上げ。そんな気分。
明らかに稚拙と思える作品が、どーしてランキングに載ってくる? もっとマシな作品がそれこそ山ほどあるのに、どーして!? ・・・解からない。解からないよ、ママン。
同じ話、同じ舞台、同じ語り、同じような空気の作品で、どーして劣る方が上がる?
二次創作かと思うほど似通ったテンプレ群の中で、目立つ点といえば稚拙さだけって作品が上がる不思議。
なろう読者、謎。orz
ランキングを狙う者に教えてやろう。
これはかなりヤバいから今まで黙ってた。けど、運営にも読者にも頭に来たから言ってしまう。
ランキングに載るために、もっとも有効な方法は、更新時間でも一話の文字数でもない。
『初投稿作品であること』だ。
2作ほど書いて、受けなきゃIDごと捨てて放り出してる作者が多いんじゃないかとさえ思うほど、なろうの現状と一致する。溢れてる、どこか共通する作者名の羅列。1、2作で捨てられている序盤のみ、ポイント0のエタ作品群。一人1IDを念押しする運営。・・・穿った考えが湧かないか?
初投稿です、という作品に応援のつもりでポイントを入れるのは本当に美徳か?
そのポイントは理由の如何は関係なく、ランキングに反映されるんだぞ。本来、面白い作品に投票するためのポイントを、こういう場面で、知らず、面白い以外の判断材料でポイントを入れてるという事に気付け。
それは2chとかで揶揄してる「馴れ合い」と何が違うんだ?
今、流行ってるテンプレってなんだろう?
テンプレと一口に言っても、多種多様のパーツがあって、その時々の流行に合ったチョイスをしないと、人気には繋がらない。
だから、100あるパーツから流行の10をチョイスして1000人の作者が競うから、似たような作品ばかりになって、そのせいでテンプレ、二番煎じとイメージされるわけだろ?
どこかで見た作品、と。
選ぶ者が、浅薄な知識で選んだものを良い物と決めつけてしまうからだ、とはニーチェ先生の言だ。
つまり、なろうのケースで言うなら、読者は1000の作品すべてを読み比べて選んだわけじゃないってことだ。いや、それどころか、お気に入り欄に放り込んで「個別の評価をつけただけ」のつもりでいるわけだ。初投稿問題のように、評価のつもりさえない場合もある。
そこにあのランキングに奇妙さが生まれるカラクリがある。
●あのポイントは、同じラインに立つ1000の作品を読み比べて相対的に選んだものじゃない。
●作品を読むかどうかは、あらすじや題名の出来、それ以上に「運」に左右される。目に留まるかどうかだ。
●ポイント入れるのは、自分も作品を書くという「作者」だ。自分より巧い作者への評価は厳しくなる。多少巧い程度では点数を付けない。
●初投稿や付き合いの有無、応援のつもりなど、評価以外の部分でポイントを付ける時が多分にある。作品が好きで応援というんじゃなく、作者本人が修羅場ってて可哀そうだの、なんだの。
●優越感のためにわざわざ稚拙な作品に点数付けるバカが多数いる。「今後に期待」というバカ。
これらが合わさって、あの奇妙なランキングが形成される。(総合はさすがに影響が少ないと思う)
序盤の序盤しかないような作品にポイント入れるなよ。チェックの必要があるからお気に入りにするのはまだ解かるんだけど。
セカンドランキングは、初投稿だけをピックアップしてランキングして、ソイツ等を表のランキングから省けばいいんじゃないか。いわゆる新人ランキングだな。
1つのIDにおいて、1作しかない、5万文字を超えない、キーワード「初投稿」etsで簡単に弾けると思うんだが。新作をチェックしたい場合も便利だし、序盤しかない作品は省きたい場合も便利だ。
漫画系のHPリンクなどは、新作のみの表示とかやってたし、運営が迂闊だったんじゃないかと思う。
埋もれた作品にスポットライトを当てる方法はないものか。
稚拙だから、面白くないから、埋もれているという場合は仕方ないが、そうじゃないのに埋もれてるケースは、本当に運だけなんだろうか?
この企画(ポイント0作品を紹介)にしても、実際に紹介作を読んだ方の中には、少なくない方が『なんでこの作品が評価されてなかったの?』と、疑問に感じられている。それが何故なのか、を考えたい。
例えばわたし。
面白くないとは思ってないが(自分ではね)、露出は少ないと思う。つまり、宣伝不足。例えばこのエッセイに興味を持って共感してくれた読者でも、わたしの他の作品は綺麗にスルーだろ?
まぁ、ずらーっと並んでりゃ気が引ける、その心境は解かる。(笑
あまりに沢山書きすぎたんだ。割と、多くの読者が、作品を書いた作者の、他の作品には無頓着だ。
これも、何とも不思議だなと常々思っていた。
それと、わたしというタイプは、完結して初めて評価が下せる、感銘を与えることの出来る、作品の造り方をする作者だ。大抵、熱烈な感想を貰ったという記憶は、完結作において、だった。
感想を頂いた中で、『ある意味ネット小説やラノベの特性かもしれない、ちょっとした話を先日聞いたので、書き加えさせていただきます。人々が聞き慣れない価値観や意見を受け入れるには、それなりの文字数と時間が必要で、現代人にはそれだけの忍耐力が無いのだそうです。
ネット小説を読む人達が求めているものが、手軽に手間と時間をかけずにさらっと読めることだとすると、新しい価値観が受け容れられにくく、みんなのよく知っているありふれた物語が支持されるのは仕方ないのだと思います。斬新な価値観を求める人は、ここではなくて違うメディアを選ぶのかも?自分はアウェイだったのだ!(ようやく気付いたのか(笑))』と、いうのを貰ったのです。
わたしの書く作品は、そういう意味合いで、一般小説なわけですな。
だから、完結するまで始終ざわざわし続けないといけないわたしの作品は受けない。ネット小説では一番嫌なタイプだ。
人気ないのも道理だね~。(笑
テンプレついでに、今の流行りのテンプレ男主人公を分析した。
まー、もっと早くに気付いてればなー、と。(苦笑
強気。自信満々に近く、余裕綽々。絶対に弱気を見せない。
よく、主人公は読者が感情移入出来るように造ることが大事、という話を聞くが、じゃあ、具体的にはどういうタイプか?というのは解からない。
だいたい、これは漫画の場合だが、感情移入より前に、読者が憧れる部分を重点に置け、と聞いたんだよな。それで言うと、迷ったり弱気になることが多いこんな世の中じゃ~、ポイズンッ♪
で、そういう面のない強気、自信満々主人公が受けている。
今はこういうタイプが流行っているけど、流行なんてすぐに変わる。変われば、それまでのタイプはケチョンケチョンに言われることになる。そういうリスクがあるのが、流行に合わせるということ。
長編小説などは、そのリスクを考えて書かねばならない。半年一年でガラリと変わることもあるのが、この流行というやつだから。
それは、さながらファッションで、今流行りのスタイルだったものが、次の流行が来ればあっさりと時代遅れと笑われるようなものだ。
そういう、流されて自分の確固たる価値観を持たない人々を「B層」というんだそうだ。
ランキングに載ろうというのは、このB層を相手に、常に流行を気にかけながら作品を書き続けるということだ。・・・疲れそうだね。ご苦労さん。(苦笑
『哲学者・適菜収 素人の暴走と価値の錯乱』
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120504/art12050403110001-n1.htm
追記。
けれど、ディズニーの名言にもあるが、「不変」のところってのはあると思う。
流行りに流される人々は、はっきり言われなきゃ解からないだけで、本当は自身と正反対の存在である、「確固たる価値観を持った人間」というものが、最終の理想形態だと思うんだ。
無いモノを欲しがる。そしてまた、流されてゆく。
確固たる価値観を持った主人公というのが、一番、無難かつ受ける主人公のタイプだし、一般小説ではそれこそ、ベーシックなタイプだ。
だが、確固たる価値観を持っている、という事を文章で表現するには、それ相応の文章量を消費する。
ここに、ネット読者、特に流行に流される読者のジレンマが現れる。
どうしたもんかね。(苦笑
主人公が確固たる価値観を持っているから、葛藤が生まれ、その葛藤を利用して作者は主人公の価値観を表現するわけで、迷いや弱気を経て価値観を際立たせるというのも、オーソドックスな手法だ。
それらが封じられた世界で作品を書け、と言われても、わたしはごめんだな。
なろう読者は、読書にも初心者という人が多いのだろうかね。そういった方法論が解かってないから、いつまでも「これじゃない」感で肩すかしな作品を読み続けているような気がするよ。
本当に理想像と出来る主人公というのは、手軽に読める薄っぺらい作品の中には存在しない。
逆に、そういうのがどうして可能と錯覚されるようになったんだろうかね? 次の命題だ。(笑