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第二十回スコップ

 ある知人の話をしよう。

 一人目は、顔も知らないし、こちらが一方的に知っているだけの、いわゆる一ファンという感じに勝手に好意を寄せていた人だ。

 イラストレーターになられたか、どうなのか、今は消息が知れない。ずいぶんと昔の話だから。


 さて、その知人だが、わたしはサイト活動での面を知っているだけだが、そこで問題が起きた。

 その人が登録していたサーチで、その人が描いたイラストをそのまんまトレースして発表するというサイトが見つかった。

 はっきり言って、その人のサイトはニッチなので人気はイマイチだ。だが、トレースサイトは他にも沢山の「他人の良作」をパクっている所なので大人気だった。当時はまだ、現在ほどトレースだのパクリだの盗作だのは問題視されてなかったからね。

 あまりにショックだったようで、その人はサイト活動を一時期停止してしまったほどだ。

 昨今、これを大事(おおごと)に受け止めない作者、読者は古い時代の人なのだろうと思っている。


 何がショックだったか、解かるだろうか?

 ニッチであるから得られなかった、賞賛の声だ。

 ほとんど自分の作品だ、コピーじゃないだけの、ほとんど瓜二つの絵が、大絶賛。それも他人名義で。正義なんてこの世には無くて、割とパクリは横行していたが咎められる事が少ない時代だった。

 それどころか、抗議したマイナーがメジャーであるパクリサイト擁護に攻撃されてサイト閉鎖に追い込まれるほど酷かった。そっくりの物なら模写の必要はない、紹介すればいい。不満があるなら改良して、オマージュとして元作品を隣に並べればいい。読者に誤解を抱かせなければいい。(そういうのもまた色々と細かい規定があり、面倒なのでお勧めはしないが)

 当然のことで、わたしはコピーをする作者よりもそれを擁護したり絶賛する信者の方が嫌いだった。

 「無知め!」というヤツだ。今は嫌悪ではなく、憐れみを持っている。


 次は私的なことだ。

 ある事件が起きて、ニュースなどで連日報道された。もちろん、週刊誌もセンセーショナルに書き立てた。当時のわたしは報道は正しいと鵜呑みにしていたから、なんの疑いも持たずに、殺された被害者を「まぁ、殺されても仕方ない部分があるなぁ。」なんて思って、むしろ犯人に同情していた。

 覚えている方も居るかも知れない、医者が妻と子供を殺した事件だよ、愛人と結婚したいが為に。

 酷い書かれようで、当時の週刊誌は平気で嘘を真として書くところも多かったんだ。騙された。

 本当は、健気に耐えて、必死に子供を守ろうとした奥さんと子供を、愛人に本気にされないのは妻のせいだと勝手に思い込んだ旦那が邪魔になったからと殺しただけだった。同情の余地もない。愛人のインタビューの時違和感を感じたんだが、その感覚を追求すれば良かったのに、わたしはバカだったんだ。

 愛人は遊びと割り切っていたんだが、別れる気もないから奥さんのせいにでもしてたんだろう。で、恨みの募った旦那は凶行に走ったんだ、たぶんね。それが一番しっくりくるストーリーだ。

 真実は常に、一本のストーリーとして辻褄が合うようになっている。パズルのピースがちぐはぐになる事を見逃す者は愚か者なんだ。

 報道は信用しなくなった。殺された奥さんに申し訳がなくて、打ちのめされた。悪女だとレッテルを貼り眉を潜めた自分が許せなかった。

 「無知め!」だったんだ、自分が。


 お次は最近だ。知人に相談された。

 知人はネットをよぉく知っている学生さんだが、知人の知人はリア充という人種でネットには疎い。だから、やってしまったんだ、パクリを。

 何も知らないユーザーがパクリとは気付かずに賞賛のコメントを残している。作者は呑気にお礼なんぞを述べている。トレースが危険な行為だということが解かっていないからだ。

 ネットに詳しい知人は思い悩んでわたしに相談してきたわけだ。だが、どうアドバイスしてやれる?

 リアルで会って、トレースは危険なことだとさりげなく忠告しても理解されなかった相手だ。トレースの意味も解らず、自分のことだとは思わない相手だ。無知なだけで本来善良な人間なのだ。

 ネットで直接書くか? 「これはパクリですよね、」どこから人がやってきて炎上するか解からない、もしバレたら、言い逃れる術はなくレッテルは貼られてしまう。

 どちらに正義があるかといえば、間違いなく攻める側にあるからだ。パクリは、やってしまったら最後、100%ソイツが悪いで終わる。同情の余地もありはしない。

 知人は焦って、頭を悩ませて、なんとかそのパクリ作品を下げさせる方法を探していた。バレないうちに下げてしまえば、言葉は悪いがセーフだろ?

 それでも、犯罪の隠ぺいに噛もうという行為に違いはない、とても苦しそうだった。それでも、友達が傷付く姿は見たくないからと、手を汚すはらなんだ。学生時代の多感な時に、キツい経験だと思うよ。

 たぶん、その友人というのは解からないフリをしているだけで、本当はパクリの指摘を受けている事は解かっているんだろう。ただ、そんな大事だとは思っていないんだ、恐ろしい事だと認識してないんだろう。恐ろしいことに。


 三つ挙げた事例、いったい、誰が一番悪いか解かるだろうか? 何が原因かが。

 「無知」のせいだ。

 無知な擁護や信者のせいで、大好きなサイトは活動を停止した。

 無知な自分のせいで、罪悪感に打ちのめされた。

 無知な作者と訪問者のせいで、無知でない第三者が板挟みだ。

 無知な世間のせいで、作者は大事を大事と受け止められない。


 盗作については、本当に他人事とは思わずにしっかりと勉強してほしいんだ。

 どれだけ周囲の人間に迷惑をかける行為かを知ってほしい。


 偶然、表現が被る、という可能性を考えるならば、本当に完全なオリジナルの表現が被るなどという考え方はしない。そんな可能性は天文学的な数字で、天文学的とはすなわち、それだけで、ほぼ不可能という意味だ。数学上では可能とするだけの話だ。そんな数字を争点にするのは愚かしい。

 では、偶然被ったというパターンはどうして生まれるかと言えば、共通する第三者の作成した表現という大元が存在して初めて成り立つ。

 Aという作者とBという作者、両者がCという著名な作品を読んでいて、そこから無意識なり意図的なりで抽出した一部の表現が、A、B、両者の作品にも表れた場合に「偶然被る」という現象が起きる。

 つまり、広義の意味ではAもBもCから盗んだということになる。

 だが、Cが非常に著名で、A、Bのみならず、多くの作品にそのパターンが踏襲されているならば、「使い古された表現」の一つとなって問題視はされない。問題視されないだけで、パクリであることに変わりはなく、だから「使い古された表現」は多くの編集者が評価しない理由である。

 コロンブスの卵は、最初の提案者であるコロンブスだけが評価される、ということだ。

 すなわち、「使い古された表現」と定義するには、それこそ万人の目から見ても「テンプレ・よくある表現」と認定されるほどありふれた表現でなければならない。

 ありふれた表現でないなら、片方が片方をパクッた事はほぼ疑いようがない。

 Cという元ネタとの類似性がA、B、両者でほぼ同じである場合に、A、B、両者自体は「偶然」被った、という見方が出来る。両者ともCのパクリではあるが。

 だが、類似性においてCとAで一部違う解釈なり変化が加えられている場合、その解釈や変化がBにも存在する場合には、AとBは偶然で被ったとは言えなくなる。

 どこまで類似性があるか、がキモになる。そして、パーセンテージである以上、シロウト判断は難しく簡単に他者を非難すべきではない。


 他者を非難、というのは「類似性の指摘」を含まないことはバカでなければ解かるよな?

「○○さんの作品ととてもよく似ていますが、盗作ではないのですか?」という一言は、一見、非難に見えて、疑問詞が付いているからセーフだろうね。返信で『納得のいく理由』が述べられているのに、しつこく繰り返されて印象操作をしようとしてたらアウト、納得のいく理由が述べられてないので繰り返している場合はセーフ、盗作だ!と決めつけてあればアウト、と・・・色々ややこしいのでシロウト判断は禁物だ。

 だが、いくらシロウト判断が禁物と言っても、グレーゾーンと解かる相手に遠慮してやる程の理由はないとわたし自身は思う。正義が廃れるもとだ。

 容疑者が庇われてしかるべきなら、被害者のケアはどうなるというんだ?

 犯罪者を庇うことで被害者の傷は確実に深くなる、犯罪にはそれを行うに至る理由があって、鑑みる必要もあり、冤罪の観点から被疑者を安易に疑うべきでない、・・・色々と、本当にややこしい。

 だからこそ、そういうややこしさを解かるからこそ、安易な感情論をわたしは憎む。

『理屈が解かっていない者は口を出すな、黙っていろ。』だ。


 盗作の疑惑を問いただす文面はなにも問題がない。盗作でないなら釈明する文章で説明すればいいだけだ。疑いを持つことを悪いことだと勘違いするな。この場合は疑われる方が悪いんだ。

 Cの考えた「△△」に付加価値「▲」をAが付けたとしよう、その「▲」が例えよくある表現や事柄であったとしても、「△△」に「▲」が結びつくパターンがほとんど見られないならば、確率の問題ではなくAの独創としての評価が付く。コロンブスになったのだ。

 それでも確率の問題という、通常問題とされない部分で念には念を入れて、「疑わしきは罰せず」の基本をもって、盗作との決めつけは行ってはいけない。グレーなだけだからだ。

 だが、グレーをグレーと言うことは、非難されるべきことではない。疑わしいものは疑わしいのだ。

 疑われることが嫌ならその部分を直せばよろしい。

 つまり、盗作の判断は一部分をもって行われるのではなく、総合で見られるのだ。類似性の高い部分がどれだけ存在するか、が問題となる。

 パッチワークのような作品の場合、複数作においての類似性をトータル足し算で計算して、複数からの盗作かどうかの見極めがなされるわけだ。一作分だけが問題になるわけではない。


 アイデアは出尽くしているだろう、しかし、組み合わせはまだ尽きちゃいない。

 つまり、Aがやったような「よくある使い古された表現」に付加価値を加えて独創性を持たせることだけが、盗作ではない唯一の許された表現方法と言えるわけだ。

 それも、「△△に▲」だけが被った程度では普通は問題にされない。問題視される作者はたいていで、他にも類似性の高い部分がそこかしこに散らばっているから問題にされる。

 普通に書いてりゃ、一か所くらいは偶然があるか知らんが、偶然に偶然がどんどん重なってく、なんてことが有りえるとは普通は思わない。だから、偶然で済まされないレベルになれば、それは判定が下されるということだ。

 ・・・もう一つ。

 「類似性の指摘」の効用だが、なろうは連載作が多いので、ふつう、本当にパクリでないなら、指摘を受けた後の展開はAとBはまるで違うストーリーになるもんだと思う。

 指摘を受けた作者は、指摘部分を直せるなら直したほうがいいが、「偶然です、」と突っぱねた後にAとは違うストーリーにするだけで、疑いを晴らせるはずだ。

 疑う方は、変更されたストーリーがまた誰かと類似するものかどうか、を確認する必要はあるが。

 盗作者は、この、ストーリーの変更が出来ないだろうから、すぐに解かるのだ。また別の作者からパクってくる可能性を考えての、要確認、という意味だ。

 その後になんのかんのと言い訳をして、作品をエタらせたなら、それは逃げたのだ。擁護は、Bを庇うのもいいが、Aの迷惑もちゃんと考えろよな。


 最後に。

 テンプレは、以上の意味から『他者のパクリ』以外の何物でもなく、テンプレから抜け出ない作品がプロの目で評価される謂れもない、という理屈でもある。

 どこにでもある設定、どこにでもあるキャラ、どこにでもあるストーリー、それがテンプレだ。

 テンプレに近ければ近いほど、プロ作家には果てしなく遠い。




今回紹介しようと思ってた作品は、童話で・・・。

見つけた当初はポイント低かったんだけども、今や日刊ランカーさんだ。orz

いちお、見つけておいたんだよ、という言い訳も兼ねて題名だけ。


『ドワーフの童話』『ユキちゃんと雪だるま』

ドワーフは完結済み、ユキちゃんは企画競作作品です。

最近のことだ。

恐ろしいことに、自分が盗作紛いのことをしでかしていた事実が発覚。

いや、二次作品としてきっちり処理すんのを忘れてUPしていたんだけども。

今は検索除外して、表記も書き直して二次に移動させた。

原本の一冊が出てこないと除外を外せない状態ですだよ。自業自得だけど。


二次やオマージュは、うっかりという事もありうるんで本当に注意が必要です、皆さんもご注意ください。

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