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第14回 スコップ

本スレで紹介されていたコメディというか、パロディ作品。『零夜の奇妙な転生』

作品自体も面白いんだが、なにより、元ネタになっている作品への好感というか、テンプレをバカにする為に書いている以上のものを感じられて、楽しめた。

シロウト作品なんかを読んでいると、ついつい頭の中で「んなワケあるか、」とかって苦笑しながらツッコミを入れたりするけど、それを真面目にコメディとかパロディとして作品にした感じだ。

こんな風に愛されている作品というのは、元ネタ作品自体も、単にツッコミどころの多い作品という以上の価値があったりする。

で、それは大抵が、作者の人格的なものとか、作品に向き合う姿勢だったりするよね。

このパロディ作自体も、作者がものすごく楽しんで書いているのが解かるし。


で、思い出したんだ。

昔は同人世界でも、二次というのはものすごくバカにされたもんだった。「ヤマなし、オチなし、イミなし」と言って。書く意味もないクズ、という評価だったんだ。他人のフンドシで勝負以前の紙屑、と。

二次同人が好きと言うことさえ憚られて、自分で、どうしてこんな作品以前の物が好きなのか、と疑問に思って考えた結論が、やっぱり、時代が変われど永久不変のものが根底にあるからだなと思って。

つまり、「好きという気持ち」だよ。

同人誌、とくに二次創作って、ほんとうに「好き」の塊なんだよね。

まぁ、だからこそ、その逆のアンチは吐き気がするほど嫌いというか、嫌悪感があるんだが。

作者の内面が如実に表れている。自身の内面の汚さや幼稚さがね。恥を曝すだけなのだから、2chあたりで書き散らしておけばいいものを、と思ったりする。

同人を読むと、「ああ、この人はこの作品が好きで好きでしょーがないんだろうなぁ、」と思えて、それがとても心地いいものだったりして。

技術の拙さだの、設定が崩壊しているだの、そんなの無視してしまえるくらい、読んでて気持ちいい。


技術が付いてくるようになると、今度は計算が入ってくるじゃないすか。

そしたら、純粋に「好きっ!」ていう作者の気持ちが、計算の要素ゆえに薄れてしまうんだよね。抑えて書くようになるから。


ストレスの多い現代社会だから、趣味で読む作品くらいは、ってのがあるような気がするね。ただ、気分が落ち込む作品は嫌っていうんじゃなくて、そのストレスに見合ったレスポンスが期待出来ないのが嫌なんじゃないかとか、最近は思うようになった。

気分悪くさせといて、なんの感動もくれない、考える意味もない作品とかは、やっぱ嫌なもんかなって。

それなら、技術はカラキシでも「好きっ」という気持ちが溢れてる作品の方が、選ばれていくのは当たり前だよね。

心に負担のかかる作品を読む理由なんて、その作者が発信するメッセージで自分の価値観を変えたい、意識の更新をしたいって部分しかないわけだし。

嫌~な後味を受けて、「で? 何が言いたかったわけ?」なんて読後感想では、時間の無駄をさせられたとしか思えない。

「そんな当たり前の事を、言いたかっただけなの?」という程度のテーマしかないのに、鬱展開で気分を悪くしないでくれ。・・・そういう事なんだろう。


SM小説を読み漁っていた時に、SM版「ヤマなしオチなしイミなし」という作品を読んで、そういう嫌~な感情を抱いたことが数回あったのを思い出した。

心の琴線に触れるものは何も残さないくせに、残虐な描写で嫌悪感だけはトラウマクラスに植え付けてくれて。(苦笑

根っからの悪人など居はしない、が、無邪気な残虐性を持つ人間は存在するのだ、と彼らから教わった。

解かっててやる悪人ではなく、解からないまま楽しんでいる残虐な人、だ。残虐を残虐と知らない無智。

ああ、これが本物のサディストって奴なのかなー、とか思ったものだった。

いつか掘り下げて書いてみたいテーマの一つだけど。


で、話を元に戻すと。

商業作にはない要素である、滲み出る「好き」の感情が心地いいから、同人を買い漁っていたなぁ、と思い出したら、なろうランキングで時々見かける「なんでこの作品が?」と首を捻っていた作品の評価も、解かる気がしたんだ。

ランクインする作品って、作者が楽しんで書いてるんだろう。

で、例えば、わたしのようなダークサイド(笑)の作者に触発されて、展開を捻ろうとか、皮肉を入れようとか、計算を入れようとすると、「好き」「楽しい」が薄れて、ブーイングを食らう、という事じゃないかな。(笑

自分が書くときって、どうかなぁ?と考えると、楽しんで書いてる時より、怒りで書いてる時のほうが多い気がするな。悔しい、悔しい、で涙こぼしながら書いてたり。(笑

あ、誤解すんな、読者が少ないとかの「悔しい」じゃなくて、世の中の不条理とかを思って、悔しくてたまらない感情のままで書いてる。

その場面、その場面で、その時々の登場人物の心境で、悔しいとか、ちくしょう、とかなって書く。

だから、基本的に、楽しんで書いてる人とは逆だ。


よく聞く超展開とか、読者の望まない方向への舵きりって、こんな風にして起きると思う。

自分の作品を愛して、楽しく書いてたんだよ、ピクニックのように。

で、途中、路上でシャウトしてるシンガーの歌を聴いてしまって、自分もシャウトしたくなったんだ。

今まで「ランラン♪ルンルン♪」で進んでいた物語が「俺の叫びを聞けー!!」に変わったら、そりゃ、読者は面食らうわな。(笑

そして、大事なことだが、シャウトしようと思ったら、重厚なバックボーン、知識やら哲学がないとな。バックボーンがないのに書いたって、「で? そんな当たり前の事をなに偉そうに叫んでんの?」となって、読者が白けるだけだ。だから、若いうちは世界を広げる努力を、とか言われるんだ。


物語の世界観てのは、作者の持つ哲学なんだから。ガッチリと、自分なりに今居るこの世界を解明出来ていないことには、シャウトは出来ないよなぁ。

その世界観とか、この世の観方が正しいか間違ってるかは関係なくてだ。

一本、きっちりと筋を通してモノを見る、そのための物差しはあるか?てことだ。

でも、なろうでは書いてる人もまだまだ若輩ばかりだろ? だから、中途半端なシャウトよりはランラン♪ルンルン♪の方が、よほど人を惹きつけるし、面白いんだと思う。

純粋に楽しんで書いてる人の、その輝きに勝るほどのシャウトが出来る人は、まぁ、少ないよな、と。

若輩ってことはだ、商業作だの映画だのドラマだの、上質のシャウトを聞く機会がものすごく多くて、それだけ更新の余地を残してる、変化の途中だから、羨ましいことでもある。うん。





あいっ、今週のお勧めは~。


『殉教ロザリオ』(Nコード:N4655Z)彪峰イツカ氏


見つけた時はポイント0だったのだけど、その後、完結編でしばらく表記されてた甲斐あってか、数Pついてて、ニンマリ。(笑 やっぱ、掘り起こすってのが大変な場所でありますな、なろう。

現代が舞台のサスペンス仕立ての作品。7話で終わるからすぐ読めると思ったら、一話がメチャクチャ長かった。orz

自分が一話3000文字以上になるとぶった切りたい症候群なもんで、この長さは尊敬だわ。

逆に、これだけのストーリーなのに評価ないのもそのせいだな、と。(苦笑

他の作品もいい。なにより、わたしと違って、書き散らすことなくきちんと一作一作仕上げるタイプの作家さんだから、安心だろバーロー。

・・・昨今の読者はワガママだな、まったく。(ウソ、ごめん)


累計でも日間でも、大多数はせいぜい3000で一話だよ、なろうの定型だ。(笑

長くてツラい人には、短編の『七日間の幽霊』をお奨め。ボロボロ泣いた。泣いたよー。泣いた後にロザリオにチャレンジしてくれっ!




『忠臣蔵外伝 前編・中村仲蔵の巻』(Nコード:N9602W)阿僧祇氏


芝居の、忠臣蔵を演じる役者の物語。わたしもやった事あるが、資料を纏めて形にしたというもので、知ってる人は知ってる、よく知られた話ではあるものの、綺麗に纏められていて読みやすい。

見るべきは物語よりむしろ文章。

無駄がないーっ、さらっ、と書かれていていいなーっ。

さすがはセミプロ。いや、時々創作物の台本とか書かれているらしい、という事でやっぱ、お手本になります、あざーっす。

この方も沢山書かれているんで、他のもお勧めしとくっ。

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