第十一回スコップ
活動報告で昨日、ブチ切れて愚痴ったところ、心配してくれた方がメッセくれましてー。他、活報の方にもカキコ頂きましてー・・・。
もうしわけないです、お騒がせしました。
いや、もう、言い訳なんですが、ホント言い訳で見苦しいんですが。
執筆中小説が50作品超えて欄外表示が3ページNEXTを指し示し、投稿済みが70作の4ページにと膨れ上がれば、整理整頓したくなるのも人情ってもんでしょうがー!(泣
一年で2メガバイト書いた人間ですぜ、「フォルダをくれっっ!!」とか言いたくなったんだよ。
せめて、好きなようにソート出来る機能をー! 運営サマー! とかが嵩じて最終的に、全部消してやらぁ、こんちくしょー!! になったわけでして。
お騒がせしました。 m(_ _;)m
んでは、都合の悪い話題はここらでポイしまして。(汗
前回紹介の作品、行間を空けてないんだが、みなさんはどう思うだろうか?
実際、行間を空けるってのは読みやすくするためのものだが、これを逆に、全部詰め詰めにしてみると、面白い事が起きる。
詰め詰めにすると、とたんに、意味が通じなくなったりして読めなくなる作品が続出するんだ。(笑
つまり、詰め詰めで書ける作者の文章技術は非常に高い、ということ。
一般書籍ってのは、エッセイや専門書を見ても、行間が『これでもか』と開いているものなど、ほぼ見ないね。
ラノベの特徴。
一行開け、という『記号』が区切りの役割をしているわけでさ、わたしも便利に使っている。(笑
けれど、小説というのはいかに記号を排して文章で説明するかというジャンルなわけでさ、便利だからと言ってこれに頼りすぎるのは宜しくない。
それこそ、一般小説に慣れている読者は、一行開けを記号として受け止めずに、その前後が文章として繋がらないことを看破する。坂田さんの作品紹介した時に書いたけど、読み方の工夫など簡単だ。
ラノベ読む時はそれに合わせてるだけで、もちろん、そのルールを意図的に無視して一般小説を読むように読む、なんてのも簡単だ。
つまり、何が言いたいかと言えば、賞に応募したりする時には非常に不利となる、と言いたい。
本来は、行間をまったく開けずに書いていき、書き終えてから適度に区切っていくのが本道だと思う。
少なくとも、わたしが小説を書き始めた頃はそれがセオリーだった。今はどうか知らんが。
わたしも自身の作品では行間を便利な一拍記号として使ってたりするよ、便利だもん。けれど、無しでも書けるというのは、当たり前の話だわな、という話。
てなわけで今回の作品紹介、いってみよー。
今週紹介の作品は、珍しくページ掘り進めることなく見つけられた作。
『宮崎豆雄』(Nコード:N8777X)
ごはんライスさんの作品。豆雄ってのが引っかかるんだが、まぁ気のせいとして。
明るく軽いシュール短編。なんだよー、この作家さん、面白い話書けるんじゃん、とか思った作品。
思うに、普段はなんかテーマが突っ走ってるせいだろうね、と。
シュールで笑えるショート・ストーリー。わたしに言わせりゃ、これこそコメディ。
『卒業論文、あるいは東洋思想における一分野を成す老荘思想の入門的短編』(Nコード:N5947Y)
谷村真哉さんの作品。見つけた時には評価無しだったんだが、今はどうだろう?
うん、埋もれてしまったらしいな。ツバ付けたのはわたしだけだ。初めに見た時は、自分の瞳が輝いたのを自分で知覚したくらいだった。こういうのが見つかるから、スコップは止められなーい。(笑
内容は、一度読んだくらいじゃ理解出来ません。
2~3度読んで、「ああなるほど」と。そういう話。