第十回スコップ
とあるエッセイに感想を送りまして。
その返信をそのまま引用として引かせてもらって、話を始めたいと思います。
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▼一言
カゲロウも恋空も読んだことはないですが、『フライパンの上のバターが滑るように』という比喩は面白いなと思いますよ。どこぞで見た文章、どこぞで見た内容のオンパレードで個性を出しているつもりになっている作品よりは。
芸能界で活躍している=個性が突出している、だからこその表現だなと思います。
漫画の喩えも出てましたが、絵柄の巧さは問題じゃなくて、例えばボーボボなんか、どう考えたって下手糞ですけども、大人気でした。作品の評価において、技術など最後のものだと思うのですよ。それよりは個性。カリスマと言ってしまっていいと思います。
歌の上手い人のすべてがアイドルになれるわけではないのと一緒で、小説書くのが巧い人のすべてが作家になれるわけではない、と思いますよ。
なにか、光るものがあっての、大賞受賞だと思います。
うな [2011年 11月 10日 (木) 23時 43分 47秒]
感想ありがとうございます。
そういう考えも、もちろんありだと思います。技術が最後というのも私自身常々感じています。
ですが、感想を見させてもらううちに「おや?」と思う点がいくつかありましたので、この場で指摘させていただきます。
まず、比較の対象に挙がっているのがギャグマンガであるということ。ギャグマンガに必要とされる作画とストーリーマンガに必要とされる作画は異なると思いますので、単純に比較はできないのではないでしょうか。
次に、歌手ではなくアイドルが用いられていること。これは私の私見ですがアイドルは歌唱力よりもルックスが重視される傾向にあると思います。ですので、歌謡力の有り無しとアイドルになれるか否かはあまり因果関係がないのでは、と思いました。
批判っぽくなって申し訳ありません。
比喩の問題に関しては、KAGEROUを読まれてからまた改めてお話して欲しく思います。
対立する意見はとても重要だと思っているので、何か思うところがあればご意見よろしくお願いします。
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(原文ママ)
とまぁ、こういう風にやり取りがあって。
思うところがありましてね、この筆者さんはキチッとした方だなと思ったのはもちろんとして、自分がなあなあで文章を読んだり、自身で書く時にも適当に言葉を選んでいるという事に気付いたわけでね。
指摘されてる部分を読めばわかるけども、比較対象がズレてるわけでさ。
わたしはそれを、この程度なら伝わるだろう、と甘く考えて、適当に選んでいたわけだ、必要部分を抽出してくれればいい、と。
なんとゆーか、言葉を選ぶ基準一つからでも、既に個性というのは発揮されている、と今さらだけど発見した気分。
句読点の打ち方一つに個性が顕われるわけですよ、これが画一、ぜんぶ同じではマニュアルに従って模写するのと何も変わらない。
雨が降っていると描写するにも、どう表現するか、比喩を使うか否かだけでなく、どんな比喩を使うかも個性になる。多少のズレでも読み手が補足して伝わるレベルならOKで、これの許容範囲は個人で変わる。
個人個人、揺るぎというか、許容範囲が違うから、万民に受ける話を書くのは不可能なのであり、個性は揺るぎから生まれる。
どこまで許せるか、というのは書く側も読む側もであり、普段「なろう小説」と小馬鹿にしている、構成も文章もへったくれもない作品でも、これも一つの個性なんだよね。
この筆者の方からみれば、わたしの書く作品も「なろう小説」と五十歩百歩に見えているかも知れない。
プロの書く文章には遠く及ばないことをわたしは知っている。
小説、と一言で言っても、それを定義する規定というものは曖昧で、カッチリと定まってはいない。
ピンからキリまで。ルールはないのだから、小説と言ってしまえば全てが小説になる。
許容量が大きいほうが優れているというわけではなく、読める=良作という方程式ではないんだから、あくまで読めるという意味でしかない。
個性のキツい作者の作品でも読める、という事。
読めないという人は、作法を守って書かれたものなら読める、的確な比喩や正確に内容を伝える文章なら読める、という意味で、読めないこと、許容範囲が狭いことはマイナスではない。
ただ、技術の拙い作者でも、時に素晴らしい作品を生み出すもので、そういうのを取りこぼすのは勿体無いかも知れない、という程度だ。
魅力的な文章が、=で作法を知っているという事ではないし、魅力的な文章を書けることが、=で構成力や創造力ではなく、ストーリーの面白さと文章の美しさは比例しない。
よく聞く、ランキングに上がるのが不思議という小説にしても、許容量の大きい人は普通にその文章が読めるし、足りない部分は補足して読んで、内容の中の突出して魅力的な何かのファクターを気に入って評価しているんだろう。
ただ、伝達力という部分で、補足がなければ読めない作品は、本来の、作者が描いているストーリーの面白さを100%で伝えてはいない事になるから、読者任せになってしまう。
いちいち補足して読むにも、個人で限界があり、限界突破した人から順に、補足して想像するのが追いつかなくなり、違和感を感じるようになる。
許容量には個人差があり、補足しながら読める器用な読者ばかりではなく、素直に作者の創造世界を再構築しようという正統派の読者は、どれだけストーリーが面白かろうが文章で伝えてくれないことには臍噛みする、ということだ。
補足しながら読むというのは、ある意味、その作品を自分流に味付けしなおして、好き勝手に読んでいるという事だからだ。真面目な人ほど、作者に敬意を払って、正統派の読み方をするんじゃないかな。
揺らぎ、隙が大きい作品は二次作品が多く出る。
自分で味付け出来る部分が多いほうが人気が出るのは、二次の人気作でよく解かってるところだ。
漫画賞を受賞し、絶賛された作品ほど、二次は出ない。味付けする余地がないんだ。
絶賛作品に感動する、同時に、二次を多く出す一歩及ばない作品だって喜んで読む。大好きだ。
突出したファクターは、自分の中では絶賛作品に値する。
これも、スタンスの違いか。
いや、好みの問題、としか言いようがないか。人間、作者も読者も個人個人全部違う、と。(苦笑
んでは、今週紹介する作品。
『死霊日和★』
(検索除外ということで、紹介されるのは迷惑なのかも・・コード等非掲載で。)
なんとゆーか・・・雰囲気のある作品で、人物がどれがどれだか解からなくなって混乱したりもするんだけど、そういう拙さがあってもスルスルと読めてしまった。
ストーリーが、文章をカバーして、ぐいぐいと引っ張っていく。
補足は得意だ、という読者さんは読んでみてほしい。
他の完結作品もなかなかの出来。
現代舞台のバイオレンス・ホラー風味。ミステリー? 死霊を狩る少年少女たちの話。
行開けしない作風の方なんで、開いた途端に閉じたくなるだろうが、閉じたら負けだ。(笑