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あの日の廃棄弁当

作者: ample
掲載日:2026/05/17

午前三時のコンビニエンスストアは、外界から隔絶された水槽に似ている。


蛍光灯の白い光が、深夜の濃密な闇を正方形に切り取っている。外を通る車はとうに途絶え、ガラス窓の向こうにはただ底のない黒が広がっている。時折、自動ドアが「ピンポン」と気の抜けた音を立てて開くが、入ってくるのは羽虫か、あるいは夜の冷気だけだ。


僕——遠野とおのは、レジの奥の冷ケースの前で淡々と手を動かしていた。


深夜勤務のルーティンワーク。その中でも最も退屈で、かつ重要な作業が「廃棄登録」だ。賞味期限の切れた食品を棚から回収し、バーコードをスキャンして店の在庫データから抹消する。


「遠野さーん、そっち終わりました?」


バックルームから、頼りない声が響いた。相方の大学生バイト、木村だ。彼はいつもバックルームのモニターでスマホをいじっているか、眠気と戦っている。シフトが一緒になって三ヶ月になるが、僕が彼の名前を覚えているのは、名札を見れば嫌でも視界に入るからというだけの理由だった。


「今、弁当のチェックに入ったよ」


必要以上のコミュニケーションは時間の無駄だ。僕はただ、時給のためにここにいる。あるいは、この「誰からも深く干渉されない時間」を消費するために。


カゴの中に、回収した弁当を放り込んでいく。ハンディスキャナーの赤いレーザーが、弁当のバーコードを捉える。


ピッ。

『ハンバーグ弁当:廃棄登録完了』


ピッ。

『鮭そぼろご飯:廃棄登録完了』


機械的な電子音が静かな店内に響く。衣服が擦れる音。自分の呼吸音。世界が規則正しく、予定調和の中に収まっている。そのはずだった。


三つ目の弁当を手に取ったとき、僕の指先がわずかに止まった。


チキン南蛮弁当。たっぷりとかかったタルタルソースと、甘酢の染みた唐揚げ。ごくありふれた、このチェーンの定番商品だ。だが、それをカゴに移そうとした瞬間、僕の胸の奥で、冷たいおりのようなものがかすかに動いた。


奇妙な既視感デジャヴだった。


この弁当の、仕切りのプラスチックの角度。タルタルソースのパセリの散らばり方。どこかで、強烈に見覚えがある。それも、ひどく不愉快な記憶とともに。


僕は無意識に、自分の右手のひらを見つめた。そこには、数年前に何かの拍子でついた、小さなナイフの刃先ほどの古傷がある。その古傷が、一瞬だけピリリと痛んだ気がした。


「……気のせいか」


僕は小さく呟き、スキャナーをチキン南蛮弁当のバーコードに向けた。


ブー。


いつもとは違う、低く濁った警告音が鳴り響いた。液晶画面には、見たことのない文字列が表示されている。


『エラー:未登録の商品です』


僕は眉をひそめた。未登録? そんなはずはない。これは今さっき、うちの店の弁当棚の一番手前から回収してきたものだ。バーコードの印刷ミスだろうか。僕はもう一度、慎重にレーザーを照射した。


ブー。


結果は同じだった。

僕は弁当を裏返し、貼られているラベルの数字を凝視した。そこには、信じられない数字が印字されていた。


『消費期限:7月24日 03時』


今日の日付は、7月27日だ。

つまり、この弁当は「三日前」に消費期限を迎えていることになる。


「木村くん」

「はいぇ? 何ですか?」


バックルームから、あくび混じりの木村が出てきた。


「このチキン南蛮弁当、いつ並べたか覚えてる?」

「え? チキン南蛮? あー、それ今週のシフトでは見てない気がしますね。先週の残りが奥に挟まってたんですか?」

「あり得ないでしょ。うちは毎日、先入れ先出しの鮮度チェックを最低でも三回は行っているし、三日前の弁当が棚に残っているなんてことは、ありえないと思うよ」


「へえ、じゃあ誰か客が万引き防止のタグ代わりに置いてったとか? 嫌がらせですかね」

「客が、三日前の弁当をわざわざカゴに入れて持ち歩き、今日この店に並べ直した? 何のために?」

「さあ……。あ、店長に報告しときます?」


「いや、いい」

僕は木村を遮った。店長を呼んだところで、あの無能な男は「廃棄の処理ミスだろ」と一蹴するに決まっている。


僕は、ラベルに印刷されている製造工場のコードに目を留めた。


『製造:〇〇第一工場』


そのコードを見た瞬間、僕の脳裏に、数日前のニュースの記憶が鮮明に蘇った。その工場は、原材料の偽装問題か何かで、ちょうど「三日前」にすべての稼働を停止し、現在は完全に閉鎖されているはずだった。


閉鎖された工場。三日前の消費期限。そして、今日の棚に忽然と現れた弁当。


「これは……」

僕は弁当をそっとレジカウンターに置いた。心臓の鼓動は至って平穏だった。ただ、パズルのピースがカチリとはまるような、奇妙な高揚感だけが脳の片隅で発火していた。


「木村くん。数日前に、この近くで何か奇妙な事件が起きなかった?」



「事件、ですか?」

木村はきょとんとした顔で、頭を掻いた。

「うーん、ニュースとかあんま見ないんで分かんないっすけど……。あ、でも、二、三日前に、この裏の暗渠あんきょがある通りで、警察のパトカーが何台か止まってたのは見ましたよ。夜、バイトに来るときに」


「パトカー?何台?」

「二台……いや、三台くらいですかね。立入禁止のテープとかは貼ってなかったですけど、なんか警察官が数人で地面を懐中電灯で照らして探してました」


裏の暗渠の通り。街灯が少なくて、深夜には完全に死角になる場所だ。

僕は腕を組み、カウンターの上のチキン南蛮弁当を見つめた。


「やっぱりな」

「何が分かったんですか、遠野さん。怖いですよ、妙にニヤニヤして」


ニヤニヤしているつもりはなかった。


「失礼だな…ニヤニヤなんてしてないよ。」

「これはきっとその事件に関係あるんだよ。」

「え?遠野さん推理小説でも読みましたか


木村は笑みを浮かべながら、仕事に視線を戻した僕が突拍子もない話を始めたからだろう。だが、僕は構わずに続けた。


「時間だ。殺害した時刻と、死体が発見される時刻。この二つの間に、犯人は完璧なアリバイを作らなければならない。あるいは、警察の捜査の目を全く別の方向へ向けさせる必要がある」


僕はチキン南蛮弁当のプラスチックのフタを指先でトントンと叩いた。


「この弁当は、そのための『時間偽装のツール』だ」

「時間、偽装……?」


「そうだ。犯人は三日前に、あの暗渠の通りか、あるいは別の場所で誰かを殺害した。そして、被害者が『まだ生きている』と思わせるために、あるいは『別の日に殺された』と錯覚させるために、このコンビニのシステムを利用したんだ」


僕の口から出る推理は、淀みがなかった。

死体。殺害。隠蔽。

それらの単語を口にすることに、僕は一抹の抵抗も、嫌悪感も抱かなかった。まるで、明日のシフトの引き継ぎ事項を読み上げているかのように、僕の心はなぎの海のように静かだった。


「いいか、犯人は三日前に被害者を監禁するか、あるいは殺害した。その際、被害者が最後に所持していた、あるいは犯人があらかじめ用意していた『三日前の弁当』を、今日の深夜、防犯カメラの死角を突いてこの店の棚に紛れ込ませたんだ」


「でも、なんでそんな面倒なことを?」


「僕たちがこれをスキャンするためさ」

僕はスキャナーを持ち上げた。

「もし僕がこれに気づかず、あるいはただのエラーだと思って強制的に廃棄処理のログを本部のサーバーに残していたらどうなる? 本部のデータには『7月27日午前3時、チキン南蛮弁当の廃棄を確認』と記録される。もし、警察が後から被害者の足取りを追ってコンビニのデータを照会したら、彼らはどう勘違いする?」


木村は口を半開きにした。

「あ……『被害者は、27日の深夜まで生きていて、このコンビニで弁当を買ったあるいは残していった』って思う……?」


「その通りだよ。実際には三日前に死んでいるにもかかわらず、警察の想定する死亡推定時刻は『今日』にずれる。犯人はその三日間の空白を使って、完璧なアリバイを完成させ、高飛びするか証拠を隠滅できる。どう?ぽくない??」


だが。

その時、僕の網膜に、もう一つの「奇妙な文字列」が飛び込んできた。


ラベルの端、バーコードのすぐ上の余白部分に、肉眼で辛うじて読めるほどの小さな、だが極めて明瞭なフォントで、印刷されている文字があった。


それは、通常のコンビニのラベルには絶対に印刷されるはずのない、プライベートな、そして冷酷な文字列だった。


『202X年 7月24日』


西暦。

僕の思考が一瞬、凍結した。


二、三日前、ではない。

そこに書かれている西暦は、今から数年前の西暦だった。


「数年前……?」

僕は小さく呟いた。


「え? 何ですか?」

バックルームのドアノブに手をかけた木村が、振り返りつつ話す。


「いや、何でもない」

僕は努めて平穏な声を装った。だが、僕の指先は、今度は別の理由で微かに震え始めていた。


数年前の、7月24日。

僕の記憶の底に沈められていた、分厚いコンクリートの蓋が、みしりと音を立ててひび割れた。


甲高い、耳障りな女の声。

「ちょっと! 温め方が足りないんだけど! 中が冷たいじゃない! 責任者呼びなさいよ、この無能!」

深夜のレジ前で、たかが数十円の色のついた水と、値引きシールの貼られた弁当を巡って、ヒステリックに怒鳴り散らしていた女。ただ自分の安っぽい自尊心を満たすためだけに、僕の時間を、僕の静寂を搾取しようとした、あの羽虫のような生き物。


僕はあの夜、バックルームの死角、防犯カメラに映らない位置で、彼女が店を出るのを静かに見送った。


手のひらの古傷が、今度ははっきりと、焼けるように熱を持った。あの時、女が暴れて振り回したキーホルダーの先端が、僕の皮膚を切り裂いたときの傷だ。


「遠野さん? 顔色、やばいですよ。ほんとに事件とかと関係があるならやっぱり警察に電話した方がいいんじゃ?」


「いや…大丈夫だよ。」


落ち着け。冷静になるんだ。僕は遠野だ。どんな時でも、感情に流されず、最適解を導き出せる人間だ。


数年前の弁当が、なぜ今、ここにある?

当時、あの女が買っていった弁当は、僕が死体と一緒に、あの裏の暗渠の奥深く、誰も見つけられない泥の中に埋めたはずだ。あれから数年、警察の捜査の手すら及んでいない。僕は完璧に、あの羽虫を処理した。だからこそ、こうして名前を変え、バイトを転々としながら、平穏に生きている。


誰かが、あの事件を知っているのか?

いや、あり得ない。あの夜、目撃者は一人もいなかった。


ならば、この弁当はなんだ。

僕はもう一度、チキン南蛮弁当のラベルを凝視した。

数年前の西暦。そして、消費期限の数字。

さらにその下、原材料名の欄の最後に、不自然な空白を開けて、一行だけ、奇妙な文字列が付け足されているのを見つけた。


通常の印刷ではない。かすかにインクが滲んでいる。スタンプか、あるいは特殊なプリンタで後から印字されたものだ。


そこには、こう書かれていた。


『駐車場』


駐車場…

僕の脳が、急速に推理(笑)を音を立てて組み替えていく。


数日前の殺人事件。時間偽装のアリバイ工作。僕が組み立てたあの「推理」が、足元から音を立てて崩壊していくのを感じた。


これは、犯人のアリバイ工作などではない。

ましてや、数日前の事件の証拠でもない。


これは——僕に対する、メッセージだ。


誰かが、数年前の僕の犯行を知っている。そして、あの時と全く同じ弁当を再現し、この店に配置した。

『駐車場』。それは、数日前の事件の記録ではなく、僕の…墓場....?


「遠野さん……?」

木村が、怪物理不尽なものを見るような目で、僕を見つめていた。


僕はカウンターに両手をつき、深く息を吐き出した。

冷たい汗が、額から一筋、顎へと流れ落ちた。


誰だ。誰がこれを置いた。

午前三時十五分。

自動ドアが、静かに、ピンポンと音を立てて開いた。


夜の冷気と共に、一人の男が、ゆっくりと店内に足を踏み入れてきた。

いつも深夜でカップラーメンと冷凍ハンバーグの深夜の不健康セットを買っていく常連だ。いつもと変わらない日常の到来に少しホッとしつつ

「らっしゃせ~」ととりあえず形式をこなす。

いつも通りカップラーメンと冷凍ハンバーグを購入し退店した。


一度日常に戻り落ち着いたため廃棄弁当のことは忘れようと考え仕事に戻った。


その時だった。


「助けてくれえっ!!」

外から常連の叫び声が聞こえた。

木村と一度視線を合わせ、

「俺が行く!木村は警察に!」

と言いつつ外に走って出る。


外では駐車場で常連が倒れ、その周りが血で染まっておりその前にフードをかぶった男が立っていた。


「な....!?」と言葉にならない言葉を言いその凄惨な光景に体が硬直した。

気づいたころには男が目の前に来ており耳元で


「お前のせいで…俺は…俺の人生はおかしくなった。」

とささやきながら手に持ったナイフが僕の肩に突き立てられる。

そこからは男は何も話さずにのどを切り、最後に胸にナイフを刺した。


あのクレーマー女に俺がやったのと同じ順番だ。


痛みを感じながらものどを切られ声にならない声しか出ない。苦痛を感じながらもまだ意識が落ちてくれない。


男は僕の苦痛にゆがむ顔を数秒満足げに眺めたのち


「俺やりきったよ母さん」


と言い自分の首の後ろに浅くナイフを刺し、ナイフが深く刺さるように背中から倒れ、苦しむ僕への当てつけのように隣で即死した。

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