8:[SIDE→R]/弍
***
「それで…犯人捜しをどうやって始めたらいいかなんだが…」
漸はケーキ―――予想外にも彼が頼んだものは『苺のショートケーキ抹茶風味』だ―――を頬張りながら言った。
玲はうーん、と少し考えると履歴書を見る。
三人とも普通の経歴の持ち主で、一見すると関連性は何も見当たらない。
玲がそのことを漸に言うと、漸もそう思ったらしくこくりと頷いた。
「だからまずは、伊藤、松井、渚の関連性を見いだす為にも三人の家族構成、友達付き合い、人物像、悩みは何だったかとか……最終的には時間割まで手当たり次第捜すべきだと俺は思う」
「僕も同感だね。それから……」
玲は頭の中の記憶を廻らせた。
―――健兄さんは事件の時、いつもどんな風に捜査してるって言ってたかな。
健は玲の二番目の兄で現在刑事として働いている。
仕事柄なかなか家には帰ってこないが、以前確かにどんな風に捜査を進めるか話していた気がする。
「―――自殺現場をよく調べる、とかは?」
何も思い出せず玲がそう言うと、漸は何か悩んでいるように下を向いた。
「漸?どうしたんだい?」
「いや…」
確かに現場を見ることこそ大切だ、と漸は言った。
だがそう言った漸は、眉間に皺を寄せて明らかに何か心に思うところがありそうである。
―――やっぱり…
玲は漸のそんな顔を見ながら思う。
先程から薄々は感じていたが、恐らく漸は自分にまだ隠していることがある。
入学当初からの付き合いだ。漸が今少なくとも、何かを心に秘めている事くらいは解る。
―――だからと言って、無理に聞き出そうなんか思わないけど。
信じているから聞かない。
漸が高崎に借りを作った理由は知らないが、恐らく何かあるのは間違いないだろう。
けれど、それは自分が詮索する事じゃない。
―――僕も弱いねえ。
玲はふいにそう感じため息をついた。
事件を突き止めるなら全部識っておいたほうがいいだろうに。
「……なぁ玲」
玲が儚とそんな事を考えていると、ケーキを食べおわりコーヒーを飲んでいた漸がふいに呟くように言った。
「人を殺すって、どういう事だろうな」
突拍子もない――というほどでもないが、あまりに突然の質問に玲はつい「えっ」と言い返してしまった。
そんな玲の反応を知ってか知らずか、漸は言葉を続ける。
「だってさ、普通なら人を殺すなんて発想には至らないかなって思うんだ。
この世界では、人を殺したら法に裁かれるだろう。だったら自分が被害を被るんだから、殺さないほうが得策だと思うんだけどな」
「それは…」
気が付けば玲は言葉を発していた。
「それは、理性が吹っ飛ぶくらい、その人の事が許せなくて、存在する事すら許せなくなるからじゃないかな―――殺人の善し悪しが分からなくなるくらいに」
漸はかすかに目を見開いて玲を見た。
「理性が、無くなる位」
「そう。だって普通はそうやって"殺したら刑務所に入れられる"とか"周りからの目が冷たくなる"とか…いわゆる"理性"が働くだろ。けれど実際に殺人を犯してしまった人は少なからずいるわけだ―――」
「でもそう考えると、今回の犯人は理性がギリギリで働いてんのかな」
漸はかすかに口元を緩めながら言った。
「なんで?だって人を殺してるじゃないか。間接的だけど」
「けどさ、本当に理性なんかぶっ飛んじまってたら、こんな風に"間接的に"なんて回りくどい殺人しないだろ?」
人を三人も殺すなんて非理性的な事をしておきながらばれないように直接手を下さないなんて矛盾しすぎだろ、と漸は微かに嘲いながら言った。
***
玲と漸が暫くそうして話していると、先程の女店員が二人が食べおわったのを見計らって食器を下げに来た。
「あ…どうも」
漸が相変わらず淡々とした声でそう言うと女店員はにこりとして漸と玲のグラスに水を注ぐ。
「何か御用があればお申し付け下さい」
そう言って女店員は去っていく。
漸はその後ろ姿を見ながら言った。
「一応、ここは渚のバイト先だったな」
「そうだね。って事はさっきの店員さんにも話を聞くべきかもね」
そこで二人は去った直後で申し訳ないと思いながらも先程の女店員をもう一度呼んだ。
「すみません。先程来てもらったばかりなのに」
「いいんですよ。渚さんの所縁の方ですもの」
そう言って女店員―――田沼さんはにこりと微笑んだ。
年はだいたい三十代前半といったところか。着物のせいかもしれないが、落ち着いた雰囲気がまたこの店に合っており心地好い。
古き良き女性、というのはこんな感じの人なのだろう―――と玲は感じた。
「実はお聞きしたい事があって」
漸は話を続けた。
「渚さんの事です。今このような事を聞くのは酷かもしれませんが、生前悩みなどあるとか田沼さんに話してませんでしたか?」
田沼さんは暫く考えていたがやがて顔をあげて答えた。
「特には…。学校がなかなか忙しくて大変だと言っていたくらいですわ。」
「具体的には聞いていませんか?学校の何が大変かとか」
「そうですわね…確か研究室が大変だと言ってましたかしら。そこから先は具体的には聞いていないのですが…」
そう言って田沼は悲しそうに下を向いた。やはり渚に生前よほど思い入れがあったのだろう。
少し胸がチクリと痛むのを感じながら玲は口を開く。
「渚さんの生前使っていた所縁の物とかは…」
「ありますわ。あの子が使っていたロッカーがあります。遺族の方が来たら渡そうと思っていたのですけど、ご自宅との連絡がつかなくて。」
御覧になります?と田沼が言ったので、二人はさっそく見に行くことにした。
時雨屋のスタッフルームは店の奥にあり、そこから直にロッカールームへと繋がっている。
田沼に案内され二人が行ってみると、意外にもこちらは事務的な、すっきりとした造りになっていた。
「―――渚さんは週何回ほどこちらでバイトを?」
玲の質問に田沼は少し振り返り言う。
「だいたい三、四回は入ってくれていましたわ。」
「こちらでの人間関係は?」
今度は漸が質問する。
「良好でしたわ。みんなに好かれる、優しい真面目な子でしたのよ………あ、こちらが渚さんのロッカーですわ」
それは、だいたい20個くらいのロッカーが規則的に並んでいるうちの一つであった。
一見何の変哲もないロッカー。玲の目線の高さに丁度『渚由佳里』と名前の書かれた紙が貼ってある。
「これが…」
「はい。渚さんが使用していたロッカーです。」
漸は扉に触れた。
「中の荷物は見ましたか?」
すると田沼は何も言わず首を縦に振った。
「一度だけ。でももういいんです。そんなに何回も見たら………私……」
そう言って田沼は目頭を押さえ、すみません、と言った。
―――やっぱり、辛いよな……
玲は田沼の悲しそうな姿を見てそう感じた。
田沼はロッカーの鍵を漸に手渡し、見終わり鍵を掛けたら返すようにと伝え去っていった。
「―――いいのかね、僕たち二人で自由に見ちゃって」
田沼の立ち去る背中が見えなくなってから玲はぽそりと言った。
漸は鍵穴に鍵を入れ回しながら言う。
「いいんだろ。渚由佳里の私物を見るのは辛いだろうし、持っていかれてまずいものは入っていないんだろう。少なくとも、田沼さん的にはな」
カチリと鍵が開く音が響く。漸は鍵を抜き、ゆっくりとロッカーの扉を開けた。
「意外とそこまで入ってないな。ボストンバックに仕事着、くらいか」
「取り敢えず、バックでも見てみようか」
そう言い玲はバックを手に取り開けた。
「あれ、持ったとき随分軽いと思ったんだけど、これはまた…」
「手帳と、筆記用具か。まぁ財布とか携帯みたいな普段持ち歩くようなもんは遺族が持ってるだろうし」
むしろこれだけ残ってただけでも運が良かったか、と漸は手帳を手にした。
何の変哲もない手帳を適当にパラパラとめくり、六月のページを開く。
「結構書いてあるな」
漸が見て一言そう言ったとおり、バイト、学校…様々なシチュエーションで色分けが綺麗になされており、これを見るだけで渚が几帳面で真面目な性格だと言うことが見て取れた。
「ええっと…確か渚さんが自殺したのは6月5日の午後3時ごろだったよね。ってことは…」
二人は顔を突き合わせて手帳の6月のページを見る。
玲は日にちを指でなぞっていき、5日の部分で止めた。
「この日は午後6時からバイトが入ってたみたいだね」
淡いピンクのペンで書いてある"時雨屋 18時〜22時"の文字。しっかりとした綺麗な文字だった。
「前日には研究室のゼミが入ってたみたいだな」
漸が4日の部分を見て言った。青いペンで綴られた"ゼミ 18時"の文字。
「そういえば…田沼さんがさっき言ってたな。渚が『研究室が大変』って言ってたって」
「確かに言ってたね。他の学科の研究室はよく分かんないけど…僕達は今全然大変じゃないよね」
「まぁな。本格的な研究は10月から……って高崎からも言われてるし。
……一応、渚の研究室の事も調べてみる価値はありそうだな。自殺前日だし一番怪しいと言えば怪しいか。」
そう言って漸は再び手帳に目をやった。
玲はその様子を見ていたが、ふと頭にとある疑問が宿る。
「―――なぁ漸。おかしいと思わないかい?」
漸は玲のその呟きに顔を上げた。
「何が?」
「だってさ、普通昼間の3時ごろに大学のプールで自殺なんかするかな?その前に自殺した二人が何時に自殺したかは分からないけど、確か夜中とか朝方だったような気がするんだ」
漸はそれを聞き確かに、と頷く。
「伊藤彩乃が自殺したのが午前2時ごろ、松井隆盛が自殺したのが午後5時ごろだったな」
「松井の5時ごろっていうのも早すぎるけど…それより渚の昼間の3時は少し異常な気がしないかい?」
漸は一度手帳を閉じ、少し何かを考えている様子だったが、やがて口を開いた。
「……うちの大学のプールは屋内だ。水泳部しか使わないから、基本他の生徒がいるのは朝練の時間である7時から8時半、それから夕方の練習の時間である18時から21時。あとの時間は鍵が閉まっていて関係者以外は入れない。
つまり渚は自力で何とかして開けたのか、誰かに開けてもらったのか……」
「どっちにしろ、今の数少ない情報だけじゃ何も分からないね。今日からでも早速聞き込みをし始めてみようか」
「そうだな。何しろ3人分の情報をたった二人で得るんだからなかなか大変だが…頑張ろうぜ、玲」
そう言って漸は玲の肩を叩いた。
―――全く、惚れた弱み…ってわけじゃないけどさ。僕はほんとに漸には弱いね。
玲は内心そう思いながらもああ、と頷き少し微笑んでみせた。
それから暫く二人は渚由佳里のロッカーを漁ったが目新しいものは何も出てこなかった。
仕方がないのでボストンバックに入っていた手帳にシャーペン一本を念の為内密に持ち出すことにし、二人はロッカーの鍵を掛けた。
ロッカールームから出、スタッフルームへと行くと、そこには他の店員と茶を飲み休んでいる田沼がいた。
「もう良いんですの?」
そう言い田沼が近付いてくる。玲は持っていた鍵を渡しええ、と言った。
「見せていただいて有難うございます。」
「いえいえ。いいんですのよ。何より―――」
そう言って田沼は漸と玲の姿をまじまじと見た。
「同じ大学のせいかしら。貴方達を見ていると、何故か渚さんを見ているような気がしてならないの」
***
「それで?この後はどうしようか?」
時雨屋を出、二人は駅に向かう大通りに沿い歩いていく。
「先ずは…俺はやっぱり一度渚の自殺現場を見に行きたい。その後学校にいるついでに渚の研究室の事やらなんやらを調べてこようと思う」
そう言い漸は先程持ってきた手帳を取出し眺めた。
中をペラペラと捲ってみたりなぞってみたりしている。
その瞬間。
「…………っ!!」
漸がこめかみ辺りを押さえ一瞬だけだが―――端正な顔を歪ませた。
「ぜ、漸………?」
どうしたんだい、と玲は漸の肩に触れた。
―――あれ……?
一瞬、何か例えようもない感覚が過った気がした。
「漸――――」
「大丈夫だ。少し頭痛がしただけだ」
そう言うと漸は少しだけ笑ってみせる。
「なら…いいんだけど」
妙な感覚はもう無くなっていた。きっと気のせいだったのだろう。
漸は鞄に手帳をしまった。
「玲はどうする?」
「うん…僕はとりあえず松井と伊藤、それから出来たら渚の過去について調べてみるよ。履歴書を見せてくれるかい?」
「これからも必要だろ。コピーとっておいたからやるよ。ほら」
そう言って漸は玲に履歴書のコピーを手渡す。
「うん、有難う」
気が付けば駅の前にいた。
漸は再び大学へ向かうため下りのホームへ、玲は一番近かった松井の出身高校へいくために上りのホームへ向かうことになる。
「何か分かったらメールするよ」
「おう。じゃあな」
そう言って漸は、珍しく朗らかな笑顔を見せて去っていった。
―――何だ、ちゃんと笑えるじゃないか。
玲は安心して改札を通って上りのホームへと向かう。
玲が去ったのち、そこには―――紅い薔薇の花弁が一枚、風でひらりと舞い上がった。