第二話 指宿上空
編集「五式戦は良かったというより強かった?」
本田「そうですね、ちょっと舵が効きすぎて神経質なところはありましたけど、機首の機関砲も強力でしたし、その前に乗っていたキ61(三式戦闘機、飛燕)に比べてパワーもありましたしね。シコルスキー(編集部注:F4Uコルセアのこと)相手なんかだと、状況次第ではがんばれば多少の劣勢はひっくりかえせました」
編集「本田さんの腕もあったのでは?」
本田「うーん、あまり自慢に聞こえたら、そんなつもりはないんですが、ちょっとはそれもあったと思います」
編集「本田さんの所属した飛行百九十一戦隊では、指宿上空でP-47サンダーボルトに勝利した記録があります」
本田「はい、よく覚えていますよ。ええと(手帳をめくりながら)ああすみませんちょっと正確には今わからないんですが確か五月の下旬だったかな」
編集「昭和二十年の五月二十五日とあります」
本田「あ、そうそう、そのくらいだったと思います。あの日は四機で徳之島に制空戦に行ったんですが、天候不良で接敵できずに全機で帰ってきたんですよ。帰ってくると黒煙が基地上空で上がってる。二十機くらいの小型機が地上を攻撃してたんです。で、これ言うのは恥ずかしいのですが(笑い)、その当時付き合っていた(当時は結婚前)愚妻が指宿で軍属として働いていたもんですから、もうなんというか」
編集「頭に血がカーッと」
本田「そう、そうです。久しぶりに武者震いです。でもやっぱり中隊長の伊吹さん(伊吹芳彦大尉、航士五十六期)は冷静でね。補充で来たばかりの、横井(横井明夫伍長、小飛十五期)と平川(平川勝伍長、小飛十五期)には最初の一撃で離脱するように指示を出して、それから時間差で四機で突っ込みました」
編集「五式戦四機対サンダーボルト二十機!」
本田「はい、自分と伊吹さんが最初の一撃で二機落として、空戦慣れしてない二機はそのまま離脱させて、あとは伊吹さんと私の二機で、上昇して降下して一撃してっていうのを繰り返しました。敵も必死に上がってきますから、あのゲームのモグラ叩きみたいになって。最初のうちは奇襲が成功したこともあって有利に戦ってたんですけど、やっぱり向こうはパワーが段違いだし、数も多いのでどんどん押してきましてね。最終的には同高度で乱戦になってきて、ちょっとこれは不味いかも、ってなったところをですね、命令無視して戻ってきた二機が飛び込んできてくれて、敵が逃げて助かったんです」
編集「危なかった?」
本田「そうですね、さすがに敵の方が圧倒的に数が多かったですしね。でもそこでまた流れが変わってくれて。全部で六機撃墜して二機撃破でしたね」
編集「実質二機対二十機、多勢に無勢からの大勝利ですよね。こちらの損失はなし?」
本田「そうです。まあ運が良かったのもあるんですけど。もうしばらくぶりの完全勝利だったから。しかも地上から全部見えてますでしょう。敵が逃げた後に降りたら大騒ぎになってて」
編集「大歓迎に」
本田「そう。着陸してプロペラを止める前からみんなわーっと駆け寄ってきてね、危なかった(笑い)。六航軍からは酒が届けられるし。夜には雨が降りそうだから翌日の出撃はないだろうということで、将校が宿舎にしていた旅館で大宴会になりました」
編集「部隊感状と個人感状が両方出ました」
本田「はい、あれはちょっと後でしたけどね、そういうのは例がなかったみたいです。平川なんか感激しちゃって、大変なことになりました」
編集「特攻の話も沙汰止みになったと」
本田「それですよね。それ、今でも私ちょっと苦しいんですが。もともと伊吹さんが断ってたのが正式に無くなったみたいで、でも我々が(隊員が)それを知ったの本当に戦争が終わってからなんですよ」
編集「なるほど。ところで飛行第百九十一戦隊ですが、沖縄戦の後は六月の終わりに甲府に移動しています」
本田「はい。そもそも指宿には第三中隊の桜隊だけで行ってたんですけど(第一第二中隊は赤羽のまま)、もうその頃には中隊って言っても操縦者は私と伊吹さんの他は2人くらいになっちゃって。さっき話した平川も徳之島に不時着したまま帰ってこれなくてね。伊吹さんの昇進(少佐)に合わせて、残った全員で、整備中隊含めてですけど、いったん下がって、新しい戦隊を編成することになったんです」
本田史郎氏は陸軍少年飛行兵十期、元陸軍准尉。航空マニア1981年7月号より転載
(注:フィクションです)




