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花火と波間の記憶

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 八月一日——若狭高浜の空気は、朝から祭りの熱気を帯びていた。

 屋台が並び、潮風と甘辛いソースの匂いが入り混じる。海の家「しらはま」も、昼から人で溢れている。


 蓮は鉄板の前で焼きそばを炒めながら、ふと浜辺を見た。美空の姿はなかった。

「岩山のほうに行ったみたいだよ」民宿の従業員がそう教えてくれた。


 夕方、仕事を終えると蓮は人混みを抜け、岩山へ向かった。

 波打ち際を過ぎ、潮の匂いが強くなる小道を登る。やがて、視界がひらけた。

 群青の海、遠くに浮かぶ台船、その向こうに花火を待つ夜空。


 岩の上、美空が立っていた。

 白地に紺の朝顔柄の浴衣。髪は高く結い、うなじが月明かりに淡く照らされている。

「……来たんだ」

「祭り会場じゃ、会えなかったから」

「人が多くて苦手なんだ。ここなら花火も海もきれいに見えるから」


 ドン、と海を震わせる音とともに、最初の花火が空に咲いた。赤い光が美空の横顔を染める。

 何発目かの花火が上がったとき、美空がぽつりと呟いた。

「八年前の今日も……ここから花火を見てた」


 蓮は息を飲んだ。

「その時……何があった?」


 美空は海を見つめたまま、唇を噛んだ。

「沖まで泳ぎに行って、流されて……もう駄目だって思ったとき、誰かが助けてくれた」

「……悠真か」

 美空がゆっくり振り返る。その瞳が、蓮を射抜いた。


「最初、名前も知らなかった。でも……あなたの顔を見た瞬間、わかったの。あの人と、あまりにも似てたから」

 蓮は心臓が跳ねるのを感じた。

「似てた……?」

「ええ。助けてくれた人の目、笑った時の口元——全部同じだった。だから、ずっと言えなかったの。もしも……あの人の家族だったら、私……」


 花火が大輪を描き、轟音が二人の間を満たした。

 蓮は拳を握った。

「悠真は……俺の従兄だ。小さい頃から兄貴みたいな存在だった」

「……やっぱり」美空の声が震えた。「私、あの人の命を奪ったのよ」

「違う!」蓮は一歩近づいた。「あいつは、お前を助けるために行ったんだ。それが悠真だ」

「でも……私は笑ってたの。助けられて、花火がきれいで、笑ってた……あの人が沈んでいったのに」


 蓮は言葉を選びながらも、強く言った。

「悠真は、お前が生きてることを望んだ。それだけだ。罪悪感で自分を殺すな」


 最後の花火が金色の大輪を描き、波間に光が揺れる。

 美空は涙をこぼしながら、それでも微かに笑った。

「……似てるよ、本当に。きっと、あの人と同じことを言うんだろうね」


 蓮は何も言わず、その横顔を見つめた。夜風が、花火の煙とともに二人の間を抜けていった。



---



 最後の花火が夜空に溶け、波の音だけが残った。

 海上の台船では作業灯が点き、後片付けの人影が小さく動いている。


 美空は浴衣の袖で目元をぬぐい、小さく息をついた。

「……終わっちゃったね」

「ああ。でも……お前の顔は、少し楽になった気がする」

「え?」

「ずっと、重たい何かを背負ってる顔してた」


 美空はうつむき、砂利を小さく蹴った。

「そんな顔……してた?」

「してた。でも、今は違う」蓮は海を見やった。「悠真の分まで、生きろよ」


 美空はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。

「……蓮くんは、不思議だね。会ってまだ数日なのに……なんだか昔から知ってるみたい」

「俺もだ。たぶん、悠真が間にいるからかもしれないけど」


 夜風が二人の間をすり抜け、遠くで波が岩に砕ける音がした。

 美空は小さく笑った。

「じゃあ……また明日、海で会える?」

「もちろん。朝から海の家だしな」

「ふふ……そっか」


 二人は並んで岩山を下りた。

 暗がりの中、砂浜を歩く足跡が二筋、静かに続いていく。


 その足跡は、まだ形が定まらない関係を映すように、波打ち際で一度消え、また寄り添うように現れては消えていった。



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