第8話
大陸の西緯に、ギタールという港町がある。活気のある大きな町で、代々の領主は王族の外戚にあたり、高台には水平線が一望できる幾何学模様が美しいヨンソン城が建つ。海からの交易品や職人文化が見どころのひとつだが、かつて、原野だった地を開拓した土着勢力が住みつき、西陽がかたむくころ、町の一区画は物騒な雰囲気に変わる──。
エンドレ城、春。
「え? ユグムさまがお仕事ですか?」
「うん。ぼくとリューベックに、なにかできそうな仕事があれば、紹介してほしいんだ」
成人年齢を過ぎてまもなく、ユグムは働きたい意思をダンテスに伝えた。日中は城を留守にすることが多いグウェンに代わり、従騎士のダンテスは、ユグムの話し相手となる気さくな青年だった。掃除用具を抱えて立ちどまるダンテスは、廊下をすれちがう先輩騎士へ頭をさげて挨拶すると、ユグムの背後にたたずむリュベクを、ちらッと見た。
やや世間知らずな貴族の少年と、無表情で隻眼の男とは、なかなか難しい組み合わせである。「ええっと……」すぐには思いつかず、ダンテスが口ごもると、めずらしくグウェンが登場した。
「やあ、ユグム、おはよう」
「グウェンさん、おはようございます!」
「リュベクも、おはよう」
朝の見まわりを終えて帰還したグウェンは、軽く会釈するだけのリュベクを見て、くすッと笑みをこぼし、ユグムの脇へ歩み寄った。「グウェンさま、おはようございます!」と敬礼するダンテスに、小さくうなずく。
「どうしたの、ユグム。こんなところで立ち話かい」
「実は、ぼくたち、働こうと思って……」
「働く? お金が必要ならば、わたしが用立てよう」
「あ、ありがとうございます。でも、だいじょうぶです。ぼく、やっと十六歳になったので、生活費くらい、じぶんで稼がせてください」
体力不足は否めないが、いつか旅にでる資金を貯める必要がある。ユグムに力仕事は無理だとしても、リュベクならば問題ないだろう。
「どうしましょう、グウェンさま」とダンテスが意見を求めると、騎士長は数秒ほど考えたのち、「わかったよ。ついておいで」と歩きだす。グウェンはユグムの誕生日を承知していたが、ヒンメルの町に身をおく事情を配慮して、盛大な祝辞は控えた。ただし、夕食の献立に焼き菓子や新鮮な果物を添えるなどして、少年の成長を密かに祝った。
「あれ、ここって……」
グウェンに案内された場所は、地下の倉庫だった。
「少し地味な仕事になるけれど、きみたちふたりに、倉庫番をお願いしたい」
エンドレ城の地下倉庫には食材も保存されているため、黴が発生したものや、変色したものは廃棄対象となる。処分した食材を台帳に記して、新しいものを町で調達し、棚へ補充する。床掃除や、予備の武器と防具の手入れなど、たしかに地味ではあるが、買いだしのさい、ついでに町を散策できるため、気分転換も可能だった。
「床の掃除は、週にいちどで充分だよ。町を出歩くときは、かならずリュベクにお金を持たせること。なかには、悪巧みをする盗人もいるから気をつけるように」
倉庫番の仕事をひき受けたユグムは、町へでかけたとき、もうひとつの仕事を見つけ、小さな酒場で下働きを始めた。調理場での皿洗いが主な作業につき、客と顔を合わせることはなく、リュベクは酒樽の積みおろしや老朽化した屋根の修理などの雑用に、こき使われた。
「ユグム、これを塗っておけ」
洗剤による手荒れがひどくなっていたユグムに、リュベクが軟膏を差しだした。ベッドのうえで寝間着に袖をとおすユグムは、「これ、どうしたの?」と首をかしげた。
「市場で見つけて、買っておいた」
薬用と書いてある容器を受けとり、さっそく蓋をあけて指に塗りこんだ。いつのまに買ったのだろうと思いつつ、礼を述べて眠りにつくユグムは、来年の春、十八歳の誕生日を迎える。そのときには、ヒンメルの町をでる資金も貯まる予定だ。
ユグムの旅路に、どんな物事が待ち受けているのか、リュベクは半ば危ぶみつつ、懸念をおし秘めて傍観した。
✓つづく