第5話
正義の盾の騎士長でユグムを保護した青年グウェンは、大きな風にさからい、立ちのぼる硝煙に眉をひそめた。傭兵や砲兵は金銭で雇われた者が多く、領地を攻め落としたあとは散り散りに姿を消してしまう。ファーデン家の管区に目をつけて侵略した人物を調査するにあたり、日々、ナズリィと共に馬を走らせた。
ナズリィ・ユリアヌスは、グウェンが指揮権をもつ一隊の参事で、腕力に自信があり槍術に長けた男である。歳は四十を過ぎていたが、訓練を積んだ躰はがっしりとして、高身長の持ち主だ。グウェンがアスピダへ入団するさい、ナズリィは先輩騎士として実践試験に立ちはだかり、互いの刃を交えた。
「おい、グウェン。この辺りはもう廃墟しかねぇぞ。そんなに熱心に調べても、意味ないだろうぜ。それより、今後は西緯の動きに警戒したほうがいい。ギタールの町に、盗賊が出没しているようだ」
「盗賊?」
「ああ、肉屋の情報だ。まちがいないだろうさ」
「……そうか。詳しい話は、城にもどってから聞かせてくれ」
グウェンとて、領地や家族を奪われたユグムの悲しみを思わない日はない。死者を埋葬して墓標を建てることもできない現状に、唇を固く結んだ。ナズリィとエンドレ城に帰還すると、リュベクに声をかけられた。
「やあ、きみか。調子はどうだい」
「おれのことはいい。あんたに、ユグムを診てほしい」
「あのチビスケが、どうかしたか?」
グウェンとの会話に横槍を入れるナズリィは、リュベクに無視されて肩をすぼめた。わざわざ馬舎に駆けつけた理由を察したグウェンは、「わかった」とうなずき、砂埃をはらって室へ向かった。ユグムは、ベッドのうえで息を切らしていた。
「熱があるね。この症状はいつからだい」
「今朝、起きたときだ」
「……グ、グウェンさん? ぼく……、どうなっちゃうの……」
「だいじょうぶだよ、ユグム。薬をもらってくるから、少し、心臓の音を聞かせておくれ」
不安げな表情で見つめてくるユグムに、グウェンは笑みをつくってみせ、寝間着の前をひらいて胸に手のひらをおくと、じかに搏動を捉えた。わずかながら、グウェンの指先が小さく突出した乳嘴の片側にふれると、ユグムは「あっ」と短く叫んで、過剰反応を示した。
「ユグム、きみは、もしかして……」
ビクッと硬張る表情の変化を見のがさなかったグウェンは、少年の体質は受け身ではないかと気づいた。感覚を刺激したのは意図的ではないが、「すまない」と詫び、寝間着の前を合わせた。リュベクは、無表情で枕もとにたたずんでいる。
「慣れない土地にきて、疲れがでたのかもしれない。心音に異常は見られなかったけれど、軍医に報告して、解熱剤をもらってくるよ」
「頼む」
グウェンが去ったあと、ユグムはまぶたを閉じたまま従者の名前を呼んだ。
「……リューベック、いるの? ……どこ」
「ここだ」
「……リューベック、行かないで……」
「ここにいる」
熱のせいで意識が薄れるユグムは、リュベクに手をつないでもらい、ホッと息を吐いた。枕もとに坐って浅い呼吸を見まもる従者は、グウェンのようにユグムを支えることはできない。もとより、傭兵として仕える身につき、主人の命令や指示がなければ、自由に動くことは許されないのだ。
「……リューベック、お願い……、ぼくをひとりにしないで。こわい、こわいよぉ……」
「なにがそんなに怖いんだ」
「こわい人たちが……追ってくる……。ぼくを見つけて、殺そうとしている……。いつか……きっと……、くる……」
「おまえは誰にも殺されない。おれが守る。そのための戦闘奴隷だ」
「……ちがう」
「ちがわない」
「ち、ちがうんだ、リューベック……。ぼくは……、ぼくは……」
「あまりしゃべるな。とにかく、今は休め」
従者の口ぶりは不躾に聞こえるが、ユグムの意思によって敬語は使わない。薬と水を運んできたグウェンは、恋人同士のように手をつなぐ主人と従者を見て、ふたりの関係を懸念した。
性的傾向は個人の自由とはいえ、ファーデン家のひとり息子の将来は、明るい希望に満ちていたはずだ。忠実な戦闘奴隷を雇ったところで、善人のふりをして近づく連中がいるかぎり、どこにいてもユグムの身は危険にさらされる。領地や家族を失って丸裸にされた今、成人年齢に達する前に、貴族階級における品位の教養と、ある程度の護身術は必要不可欠だろう。
「ユグム、服薬をもってきたよ。にがいと思うけど、がんばって嚥んでみようか」
グウェンに枕もとをゆずるため脇へよけたリュベクは、上体を起こして顔をあげるユグムと目が合った。黒い眸が見つめる先に立つ従者は、「お願い、ぼくから離れないで」と哀願する心の声を聞いた……ような気がした。グウェンは微かに眉を寄せ、ユグムの看病をすませると、リュベクを倉庫へ呼びだした。
✓つづく