第43話
背後からかぶせられた布には、眠薬が仕込まれていた。呼吸をした瞬間、薬品のにおいに気がついたラーギルは、とっさに息を止めたが間に合わず、意識は遠のいた。ゆるゆると催眠状態から抜けだしたとき、湯気が立ちのぼる湯船に裸身で浸かっていた。
「……くっ」
躰じゅうの痛みや、表皮に浮きでる鬱血痕、体内領域へ残留する異物感に眉を寄せた。ぬるっとした感触がして、泡立てた石鹸でラーギルの背中を洗い流すレオハルトは、「目が覚めたか。このあと、シャダ王より三つ目の烙印が押される。これが性奴隷として最後の通過儀式となるだろう」と説明した。
「……レオ……か。ハッ、なんだよ、あんたがおれを拐ったのか?」
「そうだ。薬の効果で記憶があいまいだろうが、先程までおまえは、シャダ王の腕に抱かれて悦がっていた」
「そんなことだろうと思ったぜ。こんな面倒な真似をしなくても、おれはいくらでも股をひらいてやるってのによ。……シャダ王とは、この屋敷にいたころ、数え切れねぇほどヤったんだぜ。なんで、わざわざ意識を奪う必要があるんだよ」
「寝ているやつを弄ぶのも一興なのだろう。……しかし、この首筋の繃帯は気にいらなかったようだ。この町の性奴隷は、すべてシャダ王の所有物ゆえ、勝手にキズモノにされては困るんだよ、ラーギル」
「この傷は戦闘奴隷の所為じゃない。おれが、従者の主人に手をだしたからだ」
レオハルトの腕が腋窩からすべりこんできて、ラーギルの下腹部を愛撫した。ピクッと反応する部位へ指を絡め、しばらくラーギルをあえがせた。湯のなかに欲望の渦ができると、憐れみのような笑みを浮かべて腕を引く。レオハルトに欲望の名残りを排出されたラーギルは、血圧が上昇した。
「はぁ、はぁっ、熱っつ……」
「ここで、おとなしくしていなさい。水を持ってこよう」
「……ん……了解……」
頭に血がのぼりそうなラーギルは、ザバッと湯船からあがると、タイルのうえで大の字になった。天井から落ちてくる水滴が、頬をつたい、首筋へ流れていく。リュベクに裂かれた傷痕が、じんじんと痺れた。
「おれは、性奴隷のラーギルだ。ユグムに購われたあと、何者になればいい? 戦闘奴隷の情人なんて、ふざけた話……、笑えるぜ……」
愚かにも、ユグムを主人と認めて行動を共にする覚悟をきめたラーギルだが、リュベクの存在は厄介に感じた。なぜ、こんな形で出逢ってしまったのか。リュベクのような強い意志を貫いて生きる人間は、憧憬の対象である。島国出身の男と初めて肌を合わせたラーギルは、心ごと、そっくり抱かれたような気分に捉われた。数年前、ヒュドルの圧倒的な存在感に魅了されたラーギルは、閨事の担当に呼ばれたとき光栄だと思った。しかし、結局のところ、性欲処理の器として抱きつぶされたあと、地下売春宿へ送られた。
「くそが……。おれが好きになった男は、どいつもこいつも悪趣味だな……」
じぶんのことをいちばんに愛してくれる人間は、この世にひとりもいない。酒場の亭主も、ラーギルから誘って簡易宿で関係をもった。くたびれた中年が快楽を得るために奮いたつようすは、何度見ても滑稽で飽きなかった。
「誰が、こんな惨めなおれを愛するって? 性奴隷は、他人から解放されたら終わりなんだよ。死を急ぐか、孤独しか残らねぇ。……ユグム坊っちゃんは、それをわかっちゃいねぇんだ」
苦しみに耐えるから、生きていける。ラーギルは、ユグムによって性奴隷として働く日常に終止符を打たれたが、触民の身分が変わるわけではなかった。
「おれの墓場は、あの地下だと思っていたのに、まったく考えもしなかった人生を歩むことになりそうだぜ……」
✓つづく




