第35話
近くの椅子に勢いよくドカッと坐るラーギルは、ユグムとリュベクに向かって股をひらき、陰部を見せつけた。どよめく周囲の奇声には反応せず、「どうだ、色も形も悪くないだろ? そっちの戦闘奴隷がおれのを舐めたら、小者の質問に答えてやる」と、リュベクを挑発した。
「なんで、そんなことをさせるの? だ、だめだよ、リュベク。ギルの云うとおりにしないで」
ユグムは敬称を失念したが、それどころではない状況につき、「ギル」と、さらに呼び捨てた。
「きみの値打ちは、いくらなの?」
「なんだいきなり。金の話かよ」
「そうだよ。ぼくは、今すぐきみを買う。そうすれば、きみの主人は、このユグム・アレッツォになる。命令に逆らうことは許さない」
「ハッ、正気かよ」
「ぼくには、きみが必要なんだ」
「おれがなんの役に立つって?」
「世間とはちがう意見が聞ける。ギルとぼくは、生まれたときから身分が異なっている。そうでしょ?」
「……だから? おれを専用の慰みものにでもする気かよ。小者のくせに、云うだけのものをぶらさげているのかどうか、たしかめてやる」
正面から摑みかかってきたラーギルを避けずに円卓へ押し倒されたユグムは、無遠慮な手つきで長衣の裾をめくられた。ラーギルは、太腿に装着してある小刀を見つけて床に捨てると、ユグムの股のあいだをさぐった。
「ハッ、小せぇな。こんなもので、おれが満足するとでも?」
「……ギル、やめて」
「せっかくだし愉しめよ。もっと気持ちよくしてやる……よ……」
ユグムの視界にラーギルの鮮血が散った。一瞬の出来事につき、誰も身動きできず、なにが起きたのかさえ、判断に遅れた。
「てめぇ、やりやがったな!」
創口を圧えてラーギルが叫ぶ。床に捨てたユグムの小刀を拾ったリュベクは、その動作の流れのまま性奴隷に向かって切りつけた。咽喉を狙うつもりだったが、絶命されては事後処理が厄介につき、首筋を浅く裂いた。思いのほか、大量の血が噴きだし、あたりは惨状になった。
「リュベク、なんてことを……」
「これくらいで死にはしない」
「でも、たくさん血が!」
「……くそっ、この戦闘奴隷が!」
「頭を起こすな。俯いていろ」リュベクは止血のコツを心得た傭兵気質で、衣袋から眼帯用の布切れを取りだすと、ラーギルの首筋へあてがい応急処置をした。無表情だが、的確な動きに見入るユグムの背後で、亭主が「おまえらなぁ」と、大きな溜息をついた。
「そういうことは外でやれ。どうすんだよ、この床板は。まるで殺人現場じゃねーか」
「あ……、ご、ごめんなさい。ぼくが弁償します!」
「ユグム坊っちゃんがか? さっきも、ギルを買うとかなんとか云ってたが、そんな大金、どこにあるんだよ」
「これを売ります」
紫水晶の耳飾りをはずして差しだすと、亭主は鑑定するまでもなく「こいつは高価だな」と、肩をすぼめた。ファーデン家の形見だが、ふたつあるうちのひとつを手放すユグムを見たリュベクは、微かに眉をひそめた。そうまでして、ラーギルを購う必要があるとは思えない。だが、ユグムの表情は真剣で、従者が口をはさむべきではなかった。
「リュベク! いっそ殺れよ。おれが死んでも、おまえらは自由だ」
「しゃべるな。止血している」
「てめぇで切り裂いておきながら、よく云うぜ。そんなにユグムが大事かよ」
「ああ」
「だったら、なおさら、今のうちにおれを斃しておきな。血がとまったら、あの坊っちゃんを殴り飛ばしてやる」
「その前に腕と足の骨を折る」
「ハッ、できるもんなら……」
リュベクはラーギルの背中を支え、楽な姿勢を取れるようにしている。血が流れる感覚も、おさまりつつあった。暴力によって敵う相手ではい。隻眼の男は、ユグムのためならば、迷わずラーギルを無力化する。だが、いっさいの殺気は感じさせない。無表情でありながら、強い意志の力を秘めていた。
「なんなんだよ、おまえら。……くそっ。おれがほしけりゃ、好きにしろ。買収の窓口はヒュドルの屋敷だ。行けるもんなら、行ってみやがれ」
「ユグム、罠かもしれんが、どうする」
「ぼくは、行くよ。ギルを地下売春宿には帰さない」
✓つづく




