第29話
「なんだ、おまえら。ずいぶんノンキな主従だな!」
「え? ぼくたちのこと?」
「ほかに見えるかよ。公衆の面前で、アーンなんて口をあけるように云うやつがよ」
「わっ!」
ガシッと、ユグムの頭をわし摑んでぐしゃぐしゃ撫でる亭主の腕を、「よせ」といってリュベクが制する。
「なんだよ、過保護な戦闘奴隷だな。少しくらい触ってもいいだろうが」
酒場の四隅に坐る客は、レオハルトの手下である。罠にかかった獲物を見極め、ヒュドルの屋敷へ伝達する。酒場に足を踏みいれた瞬間、ユグムとリュベクは狩りの対象と見なされていたが、亭主の目配せにより、臨戦態勢は解いてあった。酒場において、亭主の命令は絶対服従である。奴隷商の多くは裏組織の人間と通じているため、あらゆる場所に監視の網がひろがった。
リュベクは、注文したにごり酒には口をつけず、亭主の動きを警戒した。すきのない姿勢は、戦場の傭兵らしい気迫が漂っている。強者の器を感じた亭主は、無用な騒動を避ける判断をくだし、「それで? おまえらは港町へ、なにしにきたんだ。ただの火遊びか?」と、軽い調子で会話した。
「観光客には見えんし、旅人にしちゃ、そっちのやつは小綺麗だな。……その絹糸の長衣、どこで手にいれた?」
「こ、これは……」
と、口ごもるユグムの横で、リュベクが「あんたたちの王だ」と、正直に答えた。酒場の四隅でこちらの会話に耳をそばだてる手下は、リュベクの科白に、ピクッと眉を吊りあげた。ことば選びには気をつける状況だが、リュベクの脅威となるような存在は見あたらない。たとえ片睛しか見えなくても、ユグムひとりならば守り切ることは可能だった。
亭主は太い腕を組み、なにやら思案顔になる。椅子へ腰かけずユグムの横にたたずむリュベクは、いつでも片刃剣を抜ける状態を維持した。酒場には一般の客も含まれていたが、シャダ王の息がかかった場所へ足を運ぶには、それなりの理由があった。
「ごちそうさまでした」
重苦しい空気にかまわず、パンを食べ終わったユグムは、空いた皿をながめた。丸い皿のまんなかに、鳥の羽のような模様がある。ユグムが着ている長衣の左胸にも、同じ刺繍が施されていた。レオハルトの家系は小売店を経営しており、服飾のほか、個人的な依頼も引き受けている。シャダ王のシンボルマークは、海鳥の羽がモチーフになっていた。第三者の目には、ユグムがシャダ王の所有物かのように見えたが、あまりにも幼い容姿をしているため、たんに、遊ばれているだけだと見過ごされた。戦闘奴隷をしたがえているという時点で、ユグムの立場はあいまいだ。
「ひょっとして、おまえ、貴族の坊っちゃんか」
少ない材料でユグムの正体に気づく亭主は、眉間に皺を寄せた。さすがに、領地を亡ぼされたファーデン家の嫡子だとは思わないだろうが、リュベクは状況の悪化を懸念した。こちらの情報を、相手にあたえる予定はない。ユグムは当惑の表情を浮かべ、リュベクの顔を、ちらッと見た。こんなとき、なにをすれば正しい行動となり、被害が最小限となるのか、ユグムに考える力はなかった。数秒ほど沈黙したリュベクは、亭主相手に取り引きをはじめた。
「そのとおりだ。こちらのお坊ちゃまは好奇心が旺盛で、性奴隷について知りたがっている」
パチッと、カウンターに硬貨を載せていう。リュベクの差しだす情報料は安くない。亭主は「そうきたか」と笑い、「あんたも坊主のとなりに坐れよ」と椅子をすすめた。
✓つづく
 




