第27話
界隈から目立たない路地裏に、地下への入口がある。紫色がかった門灯が目印だ。港町に暮らす者たちは売春宿の存在を認識していたが、無縁をよそおう程度の分別や、気づきもせずに通りすぎた。富裕層が集う特殊な空間に呼び鈴はなく、利用客は自ら扉をあけてはいってゆく。
老舗宿の軒下へ身を低め、こっそり入口のようすをうかがうユグムの背後で、躰を斜にして立つリュベクがつぶやいた。
「まるで公然の秘密基地だな」
「思ったより、お客さんこないね。それとも、もう定員なのかな?」
「はいるには少々面倒な手続きが要されるから、時間差でくるのだろう」
「手続きって?」
肩ごしにリュベクを見あげると、暗がりでほとんど顔は確認できなかった。ギタールの町へ滞在するユグムは、偏見を持ちたくないといった理由から、性奴隷について聞き流すことはできなかった。粗野な俗語も、諸学の対象である。
「書類審査とかある感じ?」
「そうではなく、身体検査のほうだ。刃物類は持ち込み禁止だからな」
「よく、わからないんだけど……」
「ヒュドル・シャダ・オウレンセは、残忍酷薄な男ではない、ということだ」
この手の話題に疎い主人に、従者は小さく肩をすぼめた。性奴隷とはいえ、商売道具である以上、むやみにキズモノにされては困る。利用客は窓口で順番を待ち、ひとりずつ身体検査を受けてから性奴隷と戯れることができる。つまり、シャダ王が管理する地下施設へ身をおく性奴隷たちは、無差別的な脅威から多少なりとも守られた。
商用で訪れていた異邦人が、船旅気分で簡易宿へ乗りこんでいく。じぶんが最初に身ぐるみをはがされるとは予想していない、軽やかな足取りだ。酒場が近いため、酔っているのかもしれない。
「そういえば、シャダ王はお酒を飲んでいたけれど、酒場の亭主は、どんな人だろう……」
奴隷商が贔屓にする酒場など、近寄らないほうがいい。だが、ユグムは首をのばし、周辺の建物へ視線を向けた。
「……行ってみるか」
「二十歳未満でもはいれる?」
「ああ。酒場は軽食も提供しているからな。飲食代と情報料はべつだが、たいてい、有力な話しを聞ける場所だ」
「じゃあ、行こう。……ぼく、お酒って飲んだことないや。リュベクは、どれくらい飲めるの?」
「おれは左党だ。島国の男ってのは、酒に強くできているらしい」
アルコールの分解能力は、遺伝的要素や健康状態などにより、個人差がある。大衆食堂では適量範囲での飲酒が基本だが、酒場となると、泥酔して騒ぎを起こす者もいた。ちなみに、左党とは酒豪の意である。島国は祭事で酒坏をあおることが多く、リュベクは、生まれつき酒に強い両親の特徴を引き継いでいた。ついでに、ユグムは下戸である。
「おまえ、酒を飲む気じゃないよな」
「え? だめかな」
「自粛しろ。酔いつぶれたとき、介抱するのはおれだ」
なんとなく酒に弱い印象があるため、リュベクが牽制すると、ユグムは「むむっ」といって唇を尖らせた。物陰から離れたふたりは、営業中の酒場へ向かった。建物は開放的な造りで、出入口と窓から海風が通りぬけてゆく。吹き抜けの階段をのぼった二階は満席で、遅い時刻にもかかわらず、にぎわっていた。
骨太な男衆にじろじろとにらまれるユグムは、雰囲気に呑まれそうになり、リュベクの左腕にしがみついた。カウンターでグラスを磨く髭面の亭主は、ふたりが入店した直後から目で追い、「いらっしゃい」と、野太い声で空席をすすめた。
「ほう、近くで見ると、なかなかいい男だな。隻眼とはめずらしい。あんた、戦闘奴隷かい」
「おれは傭兵だ。にごり酒を一杯もらおう」
「はいよ。そっちのかわいい連れは、なににする?」
「こいつは腹が減っている。食事はできるか」
「ちょうど、新作のパンができあがったところだ。濃いお茶と、甘いジャムをつけてやるよ」
「一皿でいい、頼む」
「まいどあり」
亭主とカウンター越しに会話するリュベクは、ユグムを壁ぎわの椅子へ坐らせると、店内のようすを注視した。
✓つづく