第25話
寝坊といっても、目覚まし時計など持ち合わせがないユグムは、気がついたとき、時刻は昼を過ぎていた。
「……ん……、リュー……ベック……」
寝ぼけて起きあがると、半裸の従者が両手を床につき、腕立て伏せをしていた。適度に鍛えた胸板がまぶしい。手ぬぐいで汗を拭くリュベクは、「起きたか。新しい衣服だ」といって、椅子の背もたれに引っかけてある長衣を指さした。下着姿のユグムは、裸足でベッドからおりて「これ、どうしたの?」と訊ねた。リュベクは、上衣の衿を合わせて身なりを整えると、右睛を扉のほうへ向けた。主人は目配せの意味を理解できず首をかしげたが、新しい衣服を手にして、さらに首をかしげた。
「……す、すごい、全部絹糸だ」
人間の肌の成分に近い天然繊維につき、質感はなめらかで、着心地もよく、高級素材である。ヒンメルの町をでるとき、グウェンが用意した着がえは荷物のなかに含まれていたが、百パーセント絹糸の織物は初めて身につける代物だった。いつのまに新調したのか、ふしぎそうにリュベクをふり向くユグムは、昨夜の件を思いだし、「ま、まさか、これって、シャダ王が……?」と、声がふるえた。四六時中、建物の壁や扉に聞耳を立てるとは考えにくいが、宿屋のやりとりはヒュドルの部下によって、筒抜けとなってしまう可能性が高い。
「安心しろ。廊下に見張りはいない。その衣服は、レオハルトという男が直接届けにきたものだ」
「……レオ? もしかして、その人、シャダ王の部下?(ぼくたちがエッチしたことを、報せた人だったりして……)」
「どちらかと云えば、腹心だろう」
金色の美しい睛をしたレオハルト(三十代後半の男)は、権力者の側近で、重要な役割を果たす人物である。昨夜、ユグムの単衣を路上で豪快に引き裂いたシャダ王は、ほんの気まぐれで銀糸の長衣を用意した。ユグムが袖を通すと、着丈はぴったりだった。光沢があり肌馴染みのよい天然繊維だが、からだの線をそのままなぞるような薄手である。一枚着でも寒くはないが、リュベクは、あからさまに視線を逸らした。
「あれ、そんなに似合わない?」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ、なんで横を向くの」
「主人の着がえを凝視するほうが無礼だろう」
「う~ん、そうだけど……、リュベクなら見ててもいいよ(ぼくの裸身なら、とっくに知られてるし……)」
ユグムの無頓着さに小さく溜息をつくリュベクは、「おなか減った」とつぶやく主人のために、宿屋の一階にある食堂から、野菜スープとパンを運んできた。室で食事をすませたふたりは、ひとつのベッドへならんで坐り、会話におよぶ。
「きのうは、本当にごめんなさい。反省してる。助けてくれて、ありがとう」
「シャダ王は、おまえに危害を加えるつもりはなかったはずだ」
「息がお酒くさかったから、酔っていたのかも……」
「殺気も感じなかった」
「殺気? ぼくは、ものすごく怖かったけれど……」
「最初から仕留めるつもりならば、絞首なんて時間のかかる方法は選ばないがな」
「やめてよ。そんな物騒なこと、真顔で云わないで」
「おれは、こういう顔だ」
「そ、そうだったね!(エッチしてるときも、ぼくばっかり余裕をなくしちゃうもんね。リュベクの表情筋は、どうなってるのさ……)」
暗がりで首筋を摑まれた恐怖は、尋常ではなかった。たとえシャダ王が手かげんをしていたとしても、リュベクの尾行がなければ、持久力のないユグムは、息の根がとまったかもしれない。あまりにも心臓に悪い経験だが、ユグムの社会勉強はつづく。
「おまえはどうしたい」と、めずらしくリュベクのほうから問われたユグムは、真剣な表情に変わって沈黙した。従者の「どうしたい?」という聞き方は、主人の判断にしたがう意向を示している。よく考えて答えなければ、最悪の事態を招くおそれがあった。
「……ぼくがしたいことは、触民の人に逢って話しをしてみたい、かな」
✓つづく