第23 話
考えても理解できないときは、誰かに訊くか、じぶんで調べるしかない。頭が冴えて眠れないユグムは、その晩、こっそりベッドを抜けだした。浅い眠りにつくリュベクは、わずかな物音で目を覚ました。しのび足で室をでるユグムのうしろ姿を確認すると、ベッドを軋ませて起きあがり、衣服を整えてあとを追った。
夜道に危険はつきものだが、そこまで急ぐ必要はない。ユグムには護身用の小刀を持たせている。緊急時に使いこなせるよう、実践経験も重要だ。まるで主人が襲われてほしいみたいな思考におよぶ従者は、微かに眉をひそめた。月あかりは頼りなく、片睛を凝らして尾行する。宿屋からシャダ王の屋敷は見えなかったが、ユグムはヨンソン城とは逆の方向へ進んでゆく。
汐風に吹かれて黒髪がゆれると、紫水晶の耳飾りがキラリと光った。青年の所有物のなかで、唯一、高価な装飾具である。大事な形見につき、眠りにつくとき以外は常に身につけていた。港町の景観と夜の海をながめて「きれい……」とつぶやくユグムだが、その心境は複雑だった。上級貴族の家系に生まれ、なに不自由なく育てられてきた今、大陸の法に疑義の念を抱くことになるとは、夢にも思わなかった。
ザザーンと、海岸から波の音が聞こえてくる。ユグムのほかに人影はなく、しづかな夜だった。そのとき、天幕がならぶ市場の大通りを、一台の馬車が走り去った。ヒュドルの屋敷へ向かっているとすれば、のっている人物は竿師ということになる。
「ぼく、なにをやっているんだろう……。リュベクがいなきゃ、なにもできないのに……」
昼間、ヒュドルが引き取っていった触民の現状が気になるユグムは、じっとしていられなかった。受け身とは、他者のぬくもりによってしあわせを実感できる体質につき、半狂乱の事態を招くような調教を施すなど、とうてい理解できない。自己満足を得る手段として性奴隷が凌辱されるなど、容されない扱いである。
「そんなの、だめだ。やっぱりおかしいよ。……ほかにも方法があるはずなのに、どうして誰も、彼らを助けようとしないの?」
社会の通念や偏見を改めて問いなおし、最下位に位置する人々の運命を操作するのではなく、平等に管理すること。支配者に服従させるのではなく、生活水準の向上による救済と解放は、労働の生産性や技術の革新へとつながるはずだ。
「生まれた境遇で差別するなんて、そんな選民思想は古すぎる」
「小者の分際で地の民を侮るか」
とつぜんの声はシャダ王である。路地からのびてきた腕に咽喉もとを摑まれたが、とっさに小刀へ手をかけたユグムは、「くっ!」と眉を寄せた。太い指が皮膚に喰いこみ、息ができない。足をバタつかせて抵抗したが、体格差もあり、筋力でかなう相手ではなかった。顔をのぞきこむ男は、酒くさい息を吐く。
「おい、小者。死にたけりゃ、この場で殺してやる」
「っ!? だ……れが……!」
ユグムの細い首など片手で折ることが可能なシャダ王は、反対の手で青年の単衣を乱暴に裂き、地面へ破り捨てた。太腿に紐で固定してある小刀に目をとめ、「ほう」と笑みを浮かべる。
「少しは仕込まれたか」
「……は……なせ……」
首を絞められて苦しいユグムは身動きできず、路肩へ押し倒された。
「騒ぐと夜警に見つかるが、恥をかくのは小者のほうだぜ」
呼吸を乱されて躰に力がはいらないため、仰向けの状態でシャダ王をにらみつけた。もみあげや顎に髭があり、肩幅はひろく、渋い顔だちをしている。酒に酔った勢いなのか不明だが、下着のなかへ指を這わせてくる。無遠慮な手つきで股のあいだをさぐられるユグムは、恐怖のあまりゾッと血の気がひき、思わず、従者の名前を叫んだ。
「そいつは、専属の戦闘奴隷か? さては、おまえ、どこぞのお坊っちゃんだな」
「ぼ、ぼくに触るなぁ……!」
紫水晶の耳飾りを指でなぞるシャダ王の腕をふりはらおうとしたユグムは、月明かりを背にして立つ従者と目が合った瞬間、表情が硬張った。
✓つづく