第16話
白い陸地が、なだらかな起伏をなしてひろがる波打ちぎわを歩くランディは、照りかえしの陽をあびて前方に見える客船に向かうアグリスを呼びとめた。
「師匠、本当にきょう、ギタールの町をでるおつもりですか? とどまる理由がないのは、私の星読みが、はずれたからでしょうか……」
潮風に頭巾がゆれ、銀色の前髪がさらさらと視界を流れる。深緑色の髪をした師匠のアグリスは、左右で睛の色がちがう虹彩異色である。めずらしい銀色の髪をもつ弟子をしたがえて各地を訪ね歩く目的は、誰にも告げていない。
「なにか、とても大きな存在が、ギタールに近づく気配がしたのですが、私のまちがいだったのでしょうか。……師匠は、なにも感じませんか?」
ランディの質問に答えず先を歩く師匠は、煙管を薫らせている。火皿と吸い口が金属でできた喫煙具で、島国からの貿易品だ。行儀はよくないが、雁首を裏返して刻みたばこの灰を砂地へ落とすと、海鳥が飛びまわる埠頭へ視線を向けた。足をとめ、ランディが追いつくのを待ってから口をひらいた。
「べつにおまえの星読みは関係ない。ここをでるのは銭の問題だ。それに、南緯の玉座に坐ったゾロアスは、おれの知り合いでね。ちょいとばかり、挨拶しにいく用事ができた」
「太陽王の血筋であるゾロアス卿が、師匠の知人ですって? ま、まさか、本当にそんなことが……!」
アグリスはランディの親代わりといえる存在だが、素性は不明な点が多かった。癖髪の中年といった姿とは裏腹に、ときおり、優雅な仕草が垣間見えるため、高貴な身分を思わせる。身につける衣服にも、ふしぎな模様が刺繍されていた。かつて、北緯の小さな村で生まれたランディは、汚穢とされる銀色の髪をした忌子につき、山へ捨てられてしまった過去があり、当時のアグリスは、その山が近いシンシアという町を訪れていた。死にゆく運命だった赤ん坊を救出したアグリスは、自らの手で育て、ランディと名づけた。
「いったい、師匠は何者なのですか? 私のような人間には、まったく想像できません」
とつぜん判明する意外な事実に当惑するランディだが、アグリスには恩返しをする必要があるため、師匠の正体にかまわず、そばを離れるわけにはいかなかった。まして、未熟者と見捨てられるわけにはいかない。星読みの基礎は学んだが、占者としての素質に自信が持てないランディは、まだまだ修行が足りないと思いこんでいる。袖の内側へ煙管をしまうアグリスは、わざとらしい溜息をついた。
「おれが何者かは、おまえが忘れているだけだ。正体を知りたければ、じぶんで思いだしてくれ。おれの口から二度も云わせるな」
「私が忘れている? 師匠がいつ、そんな話を……」
あの日のことを思いだせないランディは真剣に悩んだが、アグリスは口笛を吹いて気楽なようすである。この長い放浪の果てになにがあるのかさえ、ランディは知らなかった。
しおれた花束をもらって
胸にかざる
ここはダハウの町
屍衣をまとったものたちが
うろつき廻って
この世ならぬたそがれに
ああ、いつかの夜を聴く
アグリスは(どこか悲しい響きの)小唄を口ずさみ、客船の切符を買うと、ランディへ一枚差しだした。
「師匠、私は……」
なにかを云い澱む弟子に、アグリスは笑みを浮かべた。ランディを育てるうち、好みの顔に成長したこともあり、手放すつもりはなかった。北緯では忌子と呼ばれて虐げられようと、外の世界では好青年にしか見えない。ごく一部の地域では、個人の判断の是非よりも、集団主義を重んじる傾向が強いため、第三者が便宜を図っても通用しない。アグリスは、こうした人間の無責任な態度をきらい、ふだんは気怠そうな顔をしていた。
ギタールの町を目ざすユグムとリュベクは、師弟のふたりをのせた船が南緯へ向かって出港したころ、急勾配の山道を進んでいた。気圧や酸素濃度が低い山頂付近へ到着したユグムは、激しいめまいに襲われ、動けなくなった──。
✓つづく