第12話
深い接吻の音が聞こえる。あらわな裸身になって人間そのものが放つ熱気をじかに捉えるふたつの影は、ベッドを軋ませて愛し合った。忠誠をつくす従者の腕に抱かれた夜、ユグムの生理的欲求は満たされたが、いちどきりで終わらせたくない夢をみて、飛び起きた。
「……ハァハァッ」
宿屋のベッドで目を覚ましたユグムは、すでに仕度を整えて窓辺に立つリュベクの姿を見つめ、ホッと胸を撫でおろした。
「また怖い夢か」
「な、なんでもない、忘れて……」
ユグムは額の汗を手の甲で拭うと、新しい水が汲んである洗面盥で顔を洗った。単衣を脱いで裸身になり、着がえをする。主人の素肌を無表情でながめるリュベクは、細い下肢へ視線を落とした。隻眼とはいえ、右睛の視力は良好で、死角から攻撃を受けるほど反射神経は鈍くないため、片睛だけあれば行動を制限されることはなかった。
主人の肌へ接触を許されるリュベクだが、これまでのように寄り添って眠ることはなく、自慰による生理現象の処理にも手をかさない。ユグムの自主性を妨げないよう、リュベクなりに考慮した結果、以前より距離を保ちながら見まもった。
「ユグム、宿屋をでたら、しばらくベッドとはお別れだ。山道で野宿をすることになる」
「……うん。わかってるよ。いくつか山を越えなきゃ、西緯の町へたどりつけないもんね。ぼく、がんばって歩く。日数は、どれくらいかかりそう?」
「天候の影響にもよるが、七日か八日程度だな。まずは、市場で日持ちする食糧と水を買う。それから出発だ」
少ない荷物をサックにまとめて肩がけにすると、リュベクは片刃剣を革製ベルトに固定した。体力が心配なユグムは、素手で身軽の状態である。
にぎわう天幕で必要なものをそろえるリュベクは、ユグムに左腕を摑ませておく。なるべく躰の距離をあけないよう密着させ、常に周囲を警戒した。ユグムの正体が領地を亡ぼされたファーデン家の息子と気づくものは少ないが、首謀者ならば、ただひとり生き残った青年を放っておくはずがない。とはいえ、現在地は長閑な田舎町につき、これから足を踏みいれる山間部のほうが危険だった。
「ねえ、リュベク。これはなに?」
天幕の露台には、新鮮な果物や野菜がならぶ。見たことのない形をした食材を指さすユグムの表情は明るい。ヒンメルの町(グウェンの元)を離れて数日ほど経過したが、前向きな姿勢を見せるユグムは、両耳に紫水晶の耳飾りをつけていた。大火に燃える宮殿から、リュベクが持ちだした形見で、身につけるものとしては高価な宝飾品だ。山賊が狙うとすれば、ユグム自身か、紫水晶だろうと思われた。しかしリュベクは、「イヤリングをはずせ」とは云わない。
山賊と出喰わした場合、さっさと殲滅すればいい。傭兵は一瞬の迷いが命取りとなるため、問答無用で相手を斬り殺す。片刃剣を手に血の雨の下を駆け抜けてきたリュベクは、庭の土を掘って遊ぶ幼いユグムを見たとき、澱んだ心が重たく感じた。
「ねえ、リュベクったら」
名前を呼ばれて質問に答える従者は、出発の準備を終えて山道へ向かうと、いくらも歩かないうちに木陰へユグムを連れこみ、深い接吻をした。
「……んっ、……んんっ! な、なに? とつぜん、どうしたの?」
「厭か」
「そうじゃなくて……、まさか、こんなところで……する気……?」
「つづきはない。おどろかせて悪かった」
いきなり舌を絡ませてきたリュベクに途惑うユグムだが、積極的な口づけはうれしくもあり、現在地が宿屋ならば最後までしてほしかった。
幼いころに恋焦がれた従者と旅をするユグムは、めぐり逢えた奇蹟に感謝して思いを打ち明けている。エンドレ城での初夜は合意の上で行われたが、リュベクの腕に抱かれるうち、なぜか切ない気持ちになったユグムは、ますます従者のぬくもりに依存した。
「歩けるか」
「……うん、だいじょうぶ」
リュベクは声をかけるだけで、手を差しのべない。グウェンのように、穏やかな笑顔を見せることもない。それでも、ユグムの心は満たされた。
「リュベクはさ」と、ユグムは歩きながら会話した。「船にのって大陸に渡るとき、不安じゃなかった?」「とくには」「本当? 強いね」「傭兵だからな」「島で暮らしていたほうが平和そうなのに……」「そうでもない」「なんで?」「おれは三男で、家督を継ぐことはない。自立する必要があった」「だからって……」「生まれた島に、おれの居場所はなかった」「……リュベク。でも、ぼくはこうしてきみに出逢うことができた。どうか悲しまないで……」
涙を流したことなど、いちどもないリュベクは、大陸では戦闘奴隷の身分となる従者へ、身も心も捧げてくるユグムの純真さに、危機感や全身の力が萎えた。
✓つづく




