22.禁忌の儀式
村外れにある獣道を抜けた先には、完全に朽ちた遺跡が自然の中に身を潜めていた。
──石に触れればボロボロと崩れそうな柱。
日々雨風にさらされ続け芯という芯はボロボロに。
そこに朽ちそうで朽ち果てない手入れのされた偶像が一体置いてあった。
見た目はキレイだが状態は最悪で頭部は欠けており、体の半分が溶けている状態だった。そんな姿の偶像は人々の頭を地に伏せるような大量の禍々しい魔力を持っていた。
「ははーフルリエル様ぁー」
「フルリエル様ぁー」
村人たちが石造りの地面に頭を叩きつけ狂ったように像を崇拝し始めた。
それに呼応するように偶像の魔力に変化が訪れる。邪悪なオーラを出すそれは村人たちの前に現れる。
形は朧げで黒紫の塊でできているようだった。左右に少し揺れて平伏する村人たちを見て気分が良くなったのだろう。
「ぐっ……なに……」
不快な魔力に当てられたミミは悪夢によって目覚めされられる。遺跡の入口付近に倒れていた彼女は声のする方へ向かうと口元を押さえる。
グジュグジュと沸騰するような音で、魔力を増幅させる何者かが村人に囲まれていた。目で見てもわかる。あれは亜神だ。
「なに……してるの……」
邪悪な亜神を崇拝するなど頭が狂ってるとしか言いようがないこの場面。
『贄ガ、タリマセン。マリョクヲ貢ゲヨ、ワタクシヲゲンダイニ呼ブモノタチヨ。贄ハ、ドコデスカ』
黒紫の塊は言葉を発した。ぐちゃぐちゃに混ざり合った人ならざるものの声。
「フルリエル様、ようやく姿をお見せに……!」
「アナタタチハ……。贄カ、ソレトモ信者デスカ?」
「信者にございます、フルリエル様!」
黒紫の塊はフルリエルと呼ばれた。
「アレが……フルリエル。エルフの里で伝えられた伝承と全く違う。彼女は水の女神だったはず……なのにアレは亜神──」
姿こそ見えないがアレを彼女はフルリエルだとは思わなかった。触れてはならない禁忌の存在のように思える。
肌が痺れる。
瞳が震える。
「ソチラノエルフ……贄デスカ。信者デハ、アリマセンネ。スゴイマリョク……スガタヲ、依代ニサイヨウデキレバ、ワタクシハ……」
「彼女は新たな信者です、フルリエル様」
「信者……イイデスネ。昔ハタクサンノ信者ニ囲マレテ……記憶ハ断片的デスガ、トコロドコロ見エナイ記憶ニアナタタチガイタヨウナ……。ナニヲシテイタノカ……」
フルリエルはその場で膝をつくような動作で倒れる。
「フルリエル様! いかがなさいましたか!」
「昔、条件ニ合ウ依代ヲ崩サレテ以来、ワタクシハマリョク体デハ長ク持タナクナッテ……」
邪悪な魔力は空気中に霧散していく。徐々に小さくなっていく魔力体にアクベンスは涙を浮かべてかき集める。
「消えてはなりませんフルリエル様! おいお前たち! 彼女に魔力とその身を捧げるのだ!」
「「ハイ! 我が村長!!」」
数人の村人が魔力体に近づき黒い短剣で自らの命を絶った。
血に濡れた死体から魔力が溢れ出ると魔力体に吸収され再びフルリエルは蘇った。
「──良い忠誠心ですね」
声が先程より鮮明になり鈴の鳴るような声になった。亜神に相応しくないその美しい声は確かに水の女神のものだった。
ただの魔力体から四肢が分かれシルエットだけが現れる。だがそれ以上の変化が無いようで黒紫のオーラは消えなかった。
「その美しい声……ああ、フルリエル様! あなたを失った人生はつまらなかったのですよ!」
「それは大変失礼しました。あなた方の存在がわたくしを支えているというのに、そのわたくしがいなければ崇拝のしようがありませんでしたね」
彼女はアクベンスに近づきそっと抱き寄せた。
「ああ! 私はこのときのために生きていたんですね!」
「そうです。あなたはこのときのために生きていたのですよ。ですからあなたの役目はわたくしを呼び出した時点で終わっているのです」
フルリエルは彼の頭を撫でながら言った。
「──そ、それはどういうことですか……!」
「言葉の通りです。信者が命を捧げてくれたお陰でわたくしは再び現代に姿を現すことができたのです」
嬉しそうに弾むような無邪気な声で囁いた。
「あなた様を呼び出したのはアケルナーを、私の野望を叶えて欲しいからで……」
「わかりますよ、ええわかります。この手を通じて信者の野望は頭の中に入ってきたのです。『ベルタゴスを我が物として神々の生きやすい世界を創る』そんな福音書通りの野望ですね」
「あなた方女神の教えのとおりです。この身、あなた方の為ならなににでも!」
「ですが、なにやらそこにご自身の野望まで含まれておりませんか?」
一瞬アクベンスが動揺した。やましい気持ちは一切ないのだが彼女から伝わってくるプレッシャーには身が震えると言ったところだろう。
「そ、そんなことは……」
「信者であるあなたが神であるわたくしに意見するなどあってはならないことですよ。あなたはあの一瞬に動揺し、神の身体を抱くなどと言う不敬な妄想をしましたよね」
「ぐ……それは……」
下を向く彼の顎をフルリエルは人差し指で上げる。
黄色の瞳と、紫色の目が合う。
ピリピリと伝わるプレッシャーにアクベンスの瞳は飛び出そうになる。
「ですが、いいのですよ」
しかし彼女から視線を外し、優しく柔らかく言った。そして細い腕を彼の首元へ回して絡みつくように密着する。
耳元に彼女の息が当たる。
「身体はとても正直なようですね……」
魔手が彼の肉厚な体に触れるとぴくんぴくんと反応を示した。
「ふふふ……あなたが全ての聖人を滅ぼし、未来永劫わたくしを崇拝し続けるのならこの身をあなたの好きなようにさせてあげましょう」
最後に耳に息を吹きかけアクベンスの思考を止めた。彼女はゆっくりと彼から離れて福音書を手に取った。
彼は耳を押さえたままフルリエルを見つめた。
「やはり信者とは言っても中身は獣人のままですね。神が人の子を孕むとは思いませんが福音書通りならあなたの野望を……あら?」
するとフルリエルの手が止まり小難しい顔を見せた。そして薄っすら微笑むと目を瞑った。
「どうかなさいましたか……」
「いえ……福音書に間違えはないはずでしたが、どうやらあなたの望む未来ではなくわたくしが望む未来のほうが先に訪れてしまいますね」
意味深に笑いヒタヒタと歩いて手を伸ばす。伸ばした手の先にミミがいた。
「へ……?」
手を差し出されたミミは意味がわからないのようだった。両手を重ねて胸に引く。その手を取らないようにするため。
震える手にフルリエルは目を細めた。
「こちらに手を、そうすればあなたはわたくしの力を与えることができます。さあ早くしてください」
女神の手なら喜んで取っていただろうがこの手は取ってはならない。
「い、嫌です……」
彼女の目がさらに細くなる。
「はて……こちらの方は信者なのですよね?」
顎に手を添えて考える仕草を見せた。その目は完全に閉じておりわざとらしく首を傾げる。
「そのとおりです。ミミ、我がフルリエル様に無礼を働かないでください。信者となりあなたも一緒に未来を掴むのです」
「い、いや! こんな亜神の手なんて……!」
地面の土を掴んでそれをフルリエルに投げつける。パラパラと小さな砂の粒がフルリエルの体に当たる。そして彼女は困ったように手をおろした。
「そう……ですか」
悲しそうに懐から福音書を取り出して未来に記載されている出来事を覗き見る。
パタンと、わざとらしく大きな音で福音書を閉じると信者たちの肩が震えた。
「わたくしの福音書にはこんな風に記載がありました」
すると信者の半数の首が吹き飛んだ。
ブチュッとねじ切られた首は無慈悲に投げ捨てられ血の池を作る。
「フルリエル様なにを!」
「んふふ、福音書通りですよ。信者なら黙って見届けていてください」
魔力が荒れる。
死んだ信者から魔力を掻き集めているようだ。掻き集めた魔力はミミに向けられ手足を固定してしまう。
「や、やめてください。私はっ……!」
「仕方ないことです。どうやら魔力の依代となる体にあなたが選ばれてしまったみたいなのですから」
黒紫の魔力が悪女の体を覆う。
「やめ──」
悲鳴は届かず闇に飲まれる。
邪悪な魔力はどんどんとミミの魔力を吸い出して管のようにリンクする。
彼女は死人のようにして動かなくなりその場に放置された。
「それでは行きましょう」
シルエットだけの彼女はミミから視線を外してそう言った。
「えっと……彼女は……」
「彼女なら私の依代となりました。安心してください。たった1人の犠牲ですから」
「たった1人……確かにフルリエル様の血肉となれればそれはさぞかし名誉なことでしょう」
「ふふふ、それもそうですね。ではみなさまは今夜に備えて英気を養っておいてください。そこを乗り越えれば残るはベルタゴスのみですから」
頰を赤らめたフルリエルは両手を空に掲げると暗雲が日の姿を隠し始めた。
「今夜……?」
アクベンスは彼女の発言が気になったのかふと口からそう漏らした。




