21.縋る導か、願う導きか
自然を一望できる崖。危なっかしい場所でも彼女はレイピアの刺さった場所に一輪の花を添えた。その手は土で汚れていて乾いている。
喪失感に襲われ足の力が抜ける。
いっそのこと崖から飛び降りて一生を終えたいとまで考えた。だがそれでは逃げたも同然。どんなに理不尽なことがあろうと生きているうちは何でもできる。
死んだら何もできないのだ。
「許せない……」
少女の腹の底には少年へ復讐することだけしかなかった。握った拳は復讐するために。生きる理由の最後の一つだ。
相手がどれだけ強大であろうと関係ない決死の覚悟。
「待ってて。今、私があいつを……」
その場で言い残し彼女は森の奥へ消えていった。
◇◇◇◇
アケルナー村は相変わらず悲惨な状況だった。倒壊した家はそのままで生き残った村人たちはここへ近づかないようにしている。
農地や果樹園は寂しかった。農民が全て虐殺され管理する人がいなくなったからだ。
「何をしてるんですか……」
ミミは掠れた声でそう問うた。相手はアクベンス村長。村人との会話を中断して彼女に耳を傾けた。
「取り返しのつかないことになってしまった。もはやこの村は滅びゆく運命なのかもしれない」
アクベンスもそれなりに失った村人のことを考えていたのだろう。
「これからどうするんですか。どこで何をすればいいんですか。村を見捨てるんですか」
「村を見捨てるつもりは毛頭ない。ただどこで何をするかは決まっている。私たちもやられっぱなしではいけないからね」
「動いてくれるんですか……?」
「村の存続を危機に動かない村長がどこにいるんだ。脅威を排除するまでは動かないといけない」
アクベンスは防衛および迎撃に力を入れるそうだ。それまでは村の復興は行わず敵に対する報復だけを目的として動いてくれるみたいだ。
ミミはそれを少し聞いて安心したみたいだ。一人の力ではあの少年を打破するのは厳しいと考えていたからだろう。
これだけの人数。
それに今回は村長もついてくれると。
「相手が聖騎士団であろうと蹂躙し、ベルタゴスに報いる。私はベルタゴスを滅ぼし国の王となる。チャンスは今しかない」
「……は?」
ミミは何を言われたのか理解できなかった。
聖騎士団を蹂躙?
ベルタゴスを滅ぼす?
国の王になる?
彼女は全く予想もしない言葉にアクベンスを睨んだ。
「どういうことですか。聖騎士団は関係ないです! 村を滅ぼしたのは私と同じぐらいの少年です!」
「彼らのために……か? もちろん私は協力してくれた村人には感謝している。だが復讐を果たしても誰かが救われるということはないだろう? であれば今は目の前の課題を解決する必要がある」
アクベンスは付け加えて死んでいった同胞たちのことはどうでもいいと言い放った。
「は……はぁ? どういうことですか。村にとって彼らは、彼女は大事じゃなかったんですか!」
「時期が来たんだ。作物も同じで収穫される時がある。それと同じだ。彼らは悪魔によってその命を収穫された。私たちには抗うこともできない宿命なのだ」
彼は黒い書を開いて頷いた。
ミミはあれに似た書を知っている。
あの時だ。村の一本道で迷ったあの時の偶像に置かれていた一冊の書に。色は違えど紙質、まっさらなデザインからそれがあの時の書だと確信した。
「なんで村長がそれを……」
「私だけじゃない。これを持っているのは生き残っている村人全員が持っている。もちろん死んでしまった村人達はこの書を、『福音書』は持っていない」
「福音書……!?」
アクベンスは福音書をパタンと閉じてにこやかに笑った。
「さて、明日の朝にソリス・アグライア聖騎士団団長が軍隊を引き連れて村を調査しにくる」
「なんでそんなことを……?」
「それは神のみぞ知る……ということになる。それに今聖騎士団に来られたら困ることがあるのでな。私たちのやってきた悪事がバレてしまう……!」
アクベンスはこの世のものとは思えないほどの凶悪な顔をしていた。
「は? 何を言ってるんですか。あ、悪事? この村は何を目的に──」
「村人の皆さん、そろそろ儀式の時間です。これが我々にとって最後の儀式となるでしょう。その時は彼女が降臨なさる」
彼はミミの言葉を遮って手を叩く。
村人の意識がアクベンスに集まる。
「さあ福音書を、我らを導いてくれるのはこれだけです」
村人たちは狂ったように福音書に目を通して書かれていた導きに喜んだ。
異常な光景だ。今までこんな姿を見せてこなかったアクベンスとその他大勢の村人。ここにきてミミの信じていたものが全て崩れていくような気がした。
「福音書には何と書かれていましたか!」
『我らの勝利!』
声を合わせて腕を掲げる。
「そうです我らの勝利です。今あの忌まわしい聖人を淘汰する時が来たのです。神が我らに祝福を!」
「な、なにが……」
「さぁぁあ、ミミ。あなたにも儀式をお見せしましょう。そうすればきっとあなたの幸福な人生を福音書が授けてくれると思います」
村人たちは整列し、一斉に森の奥へ歩み出す。
アクベンスもそれに続いて歩き出した。
「ゆ、夢だ……」
「夢ではありません。我々今からフルリエル様にて最大のご加護を頂戴するのです! ここにいても仕方ありません。さあ、我々とともに往きましょう!」
乗っ取られたかのように人格、話し方、そして雰囲気が変わった。彼はアクベンス本人なのか、何かに取り憑かれた悪魔なのかわからない。
「ど、どうすればいいの」
「私たちと共に来るだけでいいのです。神の信徒に選ばれればあなたの下にも福音書が授けられることでしょーう!」
壊れているのだ。彼もまたミミと同じように何かを失って壊れてしまっているのだ。
「はっはっはー!」
だがそれは死んでいった村人で壊れたわけではないようだ。彼らではなくもっと大切な何かを失った狂人の笑顔だった。
初めてあった時の彼の顔はどこに行ったのか。いつからこうなってしまったのか。
「おや、どこに行くんですか?」
ギョロリとアクベンスの瞳がミミを捉えた。
「私はここにいる……ネペルを一人にはできない、からです」
「……失ったものは返ってこないんですよ。過去に縋っていても何も変わりません! さあ、私と共に行きますよ!」
アクベンスはミミの腕を掴んで無理矢理引っ張る。
「離してください!」
「駄目です。失って心に穴が空いた信者を見捨てるなど神の行為に反します。あなたも未来に縋り、神に縋るのです!」
「いや……離して!」
「暴れる行為はあまり好きではないとフルリエル様も仰っています。いえ、あなた様に手を煩わせるわけにはいきません」
途中から話している相手が変わる。天に向かってワケの分からない言葉を並べた後彼は魔力を手に握る。
「ですから私が……このアクベンスが迷える子羊を眠らせることにしましょう」
そして彼女の首元にバスっと一撃を加えると全身の力を抜いたミミが出来上がった。
「さてっ、彼女も立派な信者です。盛大にもてなして儀式を完成させることにしましょう!」
目をかっ開いた信者たちは福音書を掲げて新たな信者の誕生を喜びあった。




