116.芽生えた意識
暗い戦場を赤い火花がほんのりと照らす。僅かな光が素早く移動する。
「記憶にあるのは防御しかできない出来損ない。実技も試験も防御しか取り柄のないあんたが出しゃばるなんて思ってもなかった」
対した威力こそないが、素早い動きでレインに反撃を取らせないようにしている。フェンの記憶通り、彼女の防御力はかなり強く打たれ強い。正確な双剣捌きで攻撃すら防ぐ。ただでさえ高い防御力にガードが組み合わされると攻撃は全く通じない。
かといってレインは攻撃を仕掛ける暇がない。防戦一方の戦い。
「出しゃばったのはマリアたちだよ。僕は流れに付き合わされただけ。本当に迷惑だよね」
「マリアもここに来てるんだ? くふっ……わざわざ餌になりに来るなんてバカだわ。今頃胴と首に分かれて死んでるんじゃない? ああでも安心して。その後はちゃんと本人に代わって演技してくれる人がいるから」
舌を出して、心底煽るような態度だ。それでも表情が変わらないレインを見てつまらないとため息をつく。
「なんで何も反応しないわけ? 幼馴染が殺されたんだよ? 心になにも響かないの?」
「結論を出すには早すぎるからね。この目でしっかりと確認してから悲しむことにするよ」
「なにそれ……つまらない人間だとは思っていたけれど、ここまで反応がつまらないなん……てっ」
お互いが強く弾いて間合いが広がる。近接に飽きたのか濡れた剣を拭って魔力を纏わせる。軽く一振するとレインの体を斬撃が掠めた。
高速の斬撃に反応できなかった。そんな素振りを見せると彼女の口角が自然と上がり、気づけば一心不乱に剣を振り続けた。
「反応できてないじゃない! ほらほらどうしたのっ、傷が増えてきているわよ!」
両腕を固めたまま浅くない傷をどんどんと増やしていく。
「──これは凄いね」
白い制服は赤く染まり始め、きめ細かい肌も痛々しい傷が刻まれる。
「素の防御力が高いだけで魔力には弱いのね。ああ、面白いこと思いついちゃったわ!」
最後の一振りに残った魔力を乗せて吹き飛ばす。
レインは泥をハネながら後方に引きずられると建物の壁に背中を打ち付けた。
「魔法って四種類あるでしょ? 現代魔法、実戦魔法、古代魔法、あとは……ああ、禁忌魔法!」
弾んだ声。指を折りながら魔法の種類を答える。
「厳密に言うと三つだね。禁忌魔法は使う必要がないし」
「そうね。あたしの機能にも禁忌魔法は搭載されてないから」
もはや隠す気がないように話す。
「女神になれなかった有象無象のガラクタだし。あたしがどんな存在か教える必要はないみたいね」
レインは反応しなかった。傷だらけの肌をじわじわと回復させていき次の攻撃に備える。
「そんなことはどうでもいいわ。話したいのは魔法のことなのよ。魔法って普通は単体発動が限界なのは知ってるわよね? スロットが一つしかないと考えるととても不便だと思わない? だからこういうのできたら良いよねって」
空間に魔法陣が刻まれる。二種類の魔法陣だ。一つは現代魔法でもう一つは実戦魔法。
「見て見て、凄いでしょう?」
「平行して魔法が使えるんだ。どんなカラクリがあるだろう」
通常魔力回路は一つの入り口と出口しかない。魔法を発動させようとしたら魔力回路がその魔法専用の回路に変わる。二つ以上組み合わせて魔法を発動しようとすると互いが魔力回路を奪い合って消滅するのだ。
二つ以上魔法を行使するには道具が必要なのだ。
「あたしの中身知ってるなら理解できるでしょうが。無理やり回路をいじって2個でも3個でも発動できんだよ!」
細かい攻撃に紛れて高威力の魔法が混じる。弾速はそこそこでレインも見てからどこに攻撃が来るか予測できる。
「スピードは現代魔法で、高威力は実戦魔法ねー。なかなか隙がない攻撃だ。これだからオーバースペックは嫌いなんだよ」
避けられない魔法は切り裂く。全てを防げているわけではないが確実な一撃は防ぐ。致命傷だけは受けないように。
「アハハハ! どうしたどうした! まだまだ弾はあり余ってるわよ!」
襲いかかる殺意の弾は量を増す。後ろに下がる距離が多くなる。
遂に左手が耐えられず剣を離す。被弾が増えた。
体に魔法が貫通する。治ったばかりの傷口が二度も開く。
再生と損傷の繰り返し。レインの体力は確実に削られていく。
防戦一方の戦いが三分は続いただろう。その頃には彼女も弾を浴びせるだけじゃつまらなくなったよう。
「健気に頑張っても無駄よっ!」
フェンは剣のブロックを正面から蹴りで崩す。レインの顔に彼女の足裏が直撃する。
堪らずよろめきながら後退。膝をついてしまう。
「ざぁこ。弱いじゃない」
頭の位置が下がったレインを踵で踏み砕き、グリグリと靴の汚れを落とすかのように擦り付ける。
征服感に心がゾクゾクしたのか、目を細めて体を震わせる。
「口だけは立派なのに、一度も攻撃できてないとか負け犬の遠吠えだわ」
足を退かすと長い黒髪を掴んで無理やり持ち上げる。
「あなたのその顔ってこの顔よりもかわいいから欲しいんだよね」
目を見開いて無表情のまま見つめる。その瞳に泥塗れのレインが映った。
「はは……僕の顔がそんなに欲しいの?」
「黒髪黒目は珍しいわ。綺麗だもの。欲しいに決まってる」
「僕を取っても苦労するだけだよ。弱いし、上手くやらないと生きていけないんだ」
レインはニヤニヤと嗤う。
「いいのよ。あたしは特別だから元の体の力を引き出すことができる。あんたの加護と魔力回路を丸ごと入れ替えればそれなりの強さになるわよ」
「そっか。君は不完全なダミー人形だもんね」
フェンは思いきりレインの顔を地面に叩きつけた。次に顔を上げた時は鼻血が垂れて、傷もできていた。
「今自分が心臓を握られてるって理解できない?」
「ふへへ……理解してるよ。それでも君が失敗作で不良品で量産型ってのは変わらないじゃん」
薄っすらと嗤う彼女の顔が許せなかった。一番腹を立てる言葉を嘲笑いながら吐き捨てたのだ。
「くっ……」
フェンが苛立ちに激昂すると彼女の口は更に上がる。
酷く顔が歪んで握る拳に力が入る。怒りに任せて何度も何度もレインの顔を地面に叩きつける。
「死ね死ね死ね死ねっ、死ねぇぇえ!」
地面が赤く染まる。嘲笑う彼女の声も聞こえなくなった。
「誰が不完全なの? こんなにも強くて、人間らしいあたしが?」
返事はない。
「あんたのゴミみたいな記憶が宿るのは嫌だからここで死ねば? 皮は取らないでおいてあげる」
最後にもう一度頭を叩きつける。仕上げに背面から心臓に繋がる箇所を刃で貫く。引き抜くと血がどくどくと溢れるのが分かる。
──いい気味だ。
「んああん! スッキリしたわ。人間を殺すって一番スッキリするもの。でもまだあの言葉が頭を駆け巡って腹が立つ……」
唇を噛み締め、怒りで鼻息を荒くする。
余剰の怒りを次の獲物にぶつけるために、目を血走らせて立ち去ろうとする。だがその足を誰かが掴む。
「──感情すら……制御、できないなんて、ね。君は……神の左手で描かれた……動物未満の……生きた駄作だよ」
「ぐうぅぅぅっ! レイィィィィィィィイン!!」
その首を断ち切ろうと怒りに任せた刃は突然起き上がったレインの手に受け止められる。
何が起こったか理解できなかったフェンは一瞬怒りを忘れて殴り飛ばされる。
凄まじい力で殴られた彼女は、地面を何度もバウンドしながらフェンスを突き抜けてさらに転がる。
「はあ、痛い痛い。容赦なさすぎてびっくりしたよ。仮にも女の子の顔なんだからもう少し優しくして欲しいな」
バキバキと凹んだ顔や削れた鼻を時を戻すように再生させる。その凄まじい再生速度にフェンは目を疑う。
「グゾッ……! 刺したのに生きてたのはそういうことかっ! それにさっきの馬鹿げた威力の拳は……」
飛ばされた剣を拾い直すとレインは姿を消した。
「ッ……!?」
あまりにも自然な動作だったため彼女が消えたことを認識するのには時間が掛かってしまう。世界がゆっくりと動く。じわじわと瞳を視界の端に寄せると剣の刃先が向かってきていた。
ガキンと岩肌を重機で傷つけた音がする。衝撃が頭を伝い、全身を駆け巡る。体幹が崩れ仰け反ってしまう。
斬り裂かれた皮膚の下からはダミー特有のメカメカしい機械が露出していた。フェンは咄嗟にそれを手で覆い隠す。
手の隙間から真っ赤な光が漏れ出る。
「あたしの皮を……よくもぉ!」
ツインテールも解け、別人のような見た目になった彼女。顔半分は人の形を守っているが、もう半分は人間ではありえない金属の顔を持っていた。
「完全に人間にはなりきれなかったのかあ」
振り上げた双剣を下ろして距離を取る。
「ああ……! そんなっ……あたしの皮が再生しないっ。機械が破損したから……? ああああ!」
肉ではない感触に絶望し発狂する。
「なんで! なんでなんでなんで!」
「所詮は人間のなり損ないだしね、どいつもこいつも。君たちは揃いも揃って似すぎている。失敗作の特徴だよ」
「グギギ……おま、おおお前!」
顔を失ったことがショックだったのか慌てふためいて震える。
「一人目は泣きながら人間になりたいと懇願して死んだ。二人目は狂ったように人間を愛して死んだ。三人目は人間と共存したいと夢を見て死んだ」
ゆっくりと双剣がフェンの首を捉える。
「人間とダミーの共存は永遠に理解されないと僕は結論づけた。成功したダミーだけが人間として生きていける。何らかの不具合がある君たちで共存などいう選択肢を選べるわけがないさ」
今目の前の存在が大きく見えている。さっきまで地に這いつくばって、何度も頭を泥に擦り付けた人物が恐ろしい。
「……勝手に生んでおいて、選択なんてできるわけない! あたしたちにはこれしか道がなかったのよ! 自分たちばっかり良い思いをして、こちらには愛の一欠片も与えてくれない。ただ失敗作としてゴミ溜めに廃棄されるだけ……そんな環境で間違わない選択できるわけないわよね!」
「自分の弱さをアピールして漬け込むのはやめなよ。お前の弱さなど塵に等しい。どうでもいいんだ」
ダミーの言葉に中身はない。
「なんで分かってくれないんだよぉぉ。何のために生まれたか理由が欲しかっただけなのにっ……」
「それで殺しを選んだと? 人から皮を奪って自分の人生にしようと?」
あまりにも滑稽で表情に出ない笑いが出る。
「そうよ! 苦労も知らない平和そうな顔をしているやつらが憎いから。だったらその幸せを分けて欲しかったの! 殺して奪って、その人生を謳歌する! それが不良品で失敗作のダミーの使命だから!」
双剣を恐れていないのか立ち上がった。
ぎこちない動きを見せる。体のあちこちが機能しないようだ。
「人のエゴで生まれたさらなるエゴ。今の社会を体現したようなどうしようもない泥沼だね」
「罵っても変わらない。あたしたちは正規品とは違って皮を与えられない。高級品なのよ。手に入らないなら奪うのはエゴじゃないでしょうが!」
左手で刃を振るう。だが刃は止められる。
「ゔぅんっ! うがぁぁぁぁあ!」
力を込める。
「弱体化し過ぎ。ダミーの性能を活かせないのは精神が乱れているからかな?」
薙ぎ払い、フェンは高速で地面を転がる。
「そんなはずない。さっきまでとおんなじように攻めてたはず……なのにぃっ」
力も速度も先ほど以上に火力を出している。もしや、レインは強力な加護を得ているのだろうか? だが彼女にそのような力はなかったはず。
見た目や魔力の変化はない。
それでも自分が弱くなったというよりは彼女が強くなったと言うべきだ。しかしタネも仕掛けも分からない。
「ぐうっ!」
悔しさで奥歯を噛み締め、再度刃を振るう。今度は自分の試せる限界の速さで刃を浴びせまくる。
「なっ……!?」
常人が目で追えないほどの速さ。それなのにも関わらずレインは攻撃を簡単に受け流してしまった。
驚いている暇はない。彼女の反撃は全力で防御しても簡単に体幹を崩される。
またまた後方に吹き飛ばされ足を引きずる。
「ま……さかっ、そんなわけが!」
フェンはここで何かに気がついたのか刃を地面に突き立てて魔法陣を構える。三列平行に並べたそれは全て現代魔法。
火力ではなく手数を揃えた魔法だ。
「蜂の巣になれっ!」
雨と大差のない密度の三色攻撃。
火、水、風といった細かい魔法の礫がランダムに組み合わさって押し寄せる。本人でさえ把握のできない挙動。三色がお互いに干渉しあって不規則な攻撃になる。
壁のような攻撃は、地面やフェンスの付け根などを、サンドブラストのように消し飛ばす。
砂煙が雨に掻き消されながら舞い上がり続ける。
「ッ……!?」
破壊音から微かに聞こえる鋼の音。
ギィンギィン耳に響く鋼の音色が砂煙の中で複雑に動きながら音楽を奏でる。
「チィッ……!」
埒が明かないと判断すると四つ五つと、魔法回路を並列処理し始める。そこから放たれるのは実戦魔法。
上級第一階級から上級第三階級の魔法を出し惜しみなく連射するように扱う。
乱暴な扱いをした魔力回路はそろそろ魔力の負荷に耐えられずオーバーヒートする。フェンの意識が一瞬だけ途切れるがすぐに戻って来る。
「良い手だね。だけど、その後のことを考えないと結末は変わらない」
フェンは刃を手に取り構えようとするが、あり得ない速度で接近してきたレインに弾かれる。
唖然と刃の行方を追っていると彼女の剣が首筋に薄く当てられていた。つうっと首筋に血が伝う。
「ありえな……ありえない。あ、あたしが、負ける!? どういうことなのよっ!」
「簡単な話だよ。君は僕の実力を見誤ったんだ」
「まさか、それが本当のあんたの強さなの? 何よそれ……理不尽じゃない。勝てる戦いだと思っていたのに! 実力を偽るなんて卑怯者!」
バキバキと強く握りしめた拳が音を立てて折れる。
「最期の言葉はそれでいいの?」
「はぁあ? 最期なんて嫌に決まってるでしょ。首を斬られても魔力で繋げば問題ない」
「それは人間のやることじゃないよ」
「うっさいわね……」
「それに回復したところで勝算も見えない。君のスペックはおおよそ把握した。それもタイマンでマリアが勝てるぐらいの強さだね。彼女を探しても返り討ちに遭うのが目に見える」
この状態から入れる保険はない。実力は目の前の卑怯者の前では意味をなさない。その上魔力が切れかかっている。
「魔力も切れたし、武器も奪われたわ。ああ、おしまいね」
フェンの顔は敗北者とは思えないほどの余裕があった。この状況を打破する2つの方法を持っているのだ。
1つ目は逃げること。なけなしの魔力で目眩ましした後に全力で逃げる。だが不確定要素が大きく、ギャンブルなのである。
2つ目は禁忌を犯すこと。自身に搭載された幾つかの才能の種を砕けば簡単に魔力を得ることができる。
「まだ何かあるんだ。余裕そうな表情が溢れ出てるよ?」
「くふっ……私にはまだツキがあるの。僅かな希望で些細なものだけれど。もう人間をやめることにしたわ」
赤と白の魔力がフェンの胸辺りに収縮すると一気に広がった。
レインは大きく後方に吹き飛ばされ、着地後は双剣を地面に突き立てて片膝立ちをする。
膨張と収縮は続きエネルギーをゼロから作り始めた。空だったフェンの魔力は徐々に充填されていく。それどころか限界値を超えて体の外に魔力が生み出されていた。
「アッハハハハッ! なんだろうこの気分は。あたしがあたしじゃなくなっていく気分だわっ。身を焦がされ、内側のドス黒い感情が溢れる! 軽い軽い軽い!」
ビリビリとこの世ではない明らかに異質な魔力を放出する。
「バカだね。5個あるうちの才能の種でまさか終属性を選ぶなんて。しかも自制御を失った壊れた人形になっちゃった」
壊れた顔など気にせずフェンの皮を再生し切る。目の色は黒い眼球の中に黄色い眼が入っている。髪の色は完全に抜けきっている。
「あはっ。何考えていたのかも忘れちゃったわ。この後は何をすればよかったんだっけ?」
魔力放出を止める。ギョロギョロと黒い目がレインを捉える。
「あー見つけたわ。あたしの願いを叶えてくれるっていう人間。あたしね、不幸な人形だから幸せを分けてもらいたいの。だからあんたの幸運分けてよ」
先程の激昂したフェンを真反対の性格にしたような性格。彼女の言動には自身の理想が反映されているようで支離滅裂だった。
魔力の塊を操り剣を生み出す。ドロドロとした何かが垂れている。
「頭一個分でいいからっ」
首を傾げると二人はぶつかり合う。双剣を禍々しい剣が呑み込もうとする。
「今のに反応できるの? 凄いわ凄いわー」
力を込めて振り払うと更に追撃する。それを滑らかなフォームでレインは避ける。靭やかで軽やかな筋肉と動きはバレリーナのよう。
大袈裟に一回転して躱し、その勢いを利用して飛び上がる。
フェンのニタニタと嗤う顔が見えた。着地地点を予測しては表情を変えずに剣を振るう。
「はあ?」
彼女の剣は空振り、腕に浅い傷を負う。
「まだ上回ってないの? こんなに魔力を暴走させているのに。やっぱりあたしって不良品なの?」
黒剣に真紅の魔力を乱暴に纏わせて連射する。大地を裂きながら向かう斬撃にレインは当たってくれない。
「ああなんでなんで、強くなったんじゃないの! 嫌だ嫌だ嫌だ!だから捨てられたんだわ!」
森の木々の隙間から真紅魔力が溢れ出し消し飛ばす。
地や空を熱し、雨の影響もあってか周囲は熱を蓄えたままだ。木々は雨の中でも燃え、二人はその中で踊り続ける。
「生物の限界を越えるのは実力主義の世界では誰しも夢を見る」
迫りくる真紅の刃を何度も弾く。
「努力で得られるならいい。だが、失ってから得る力にはより一層の覚悟をキメなくてはいけない」
フェンの渾身の一撃は皮一枚で躱される。隙だらけの胸腹に容赦ない一撃が加えられる。
「ぁぁぁぁああああ!?」
ざっくりと斬られた。仰け反って痛みから逃れようとするが叶わない。
「理性を失った壊れた人形に価値はない。壊れた人形のままだったらまだ救いようはあったんだけどね」
レインの内包している魔力が高まる。完璧な制御でドス黒い魔力を増幅させる。
「その気配……ありえないわ。絶対にあってはならないもの。なんであんたにはその魔力をコントロールできる術があるのよ! おかしい、あたしはこんな姿になってまで魔力を得たのに!」
「まあ制御の仕方にもよるし、経験の差もあるかな。僕はこの魔力を手に入れるために生まれた時からずっと訓練してきたから」
「は? えっ、なに? それって訓練したら制御できるものなの? そんなのデータには──」
レインは双剣の片方を天に掲げる。もう一方はフェンに向けている。魔力に睨まれている感覚は全身を襲い、やがて一直線に伸びる。
気づけばフェンとレインを結ぶ一直線を、黒い魔力が支配していた。
「は……はは、こんなの絶対に夢。ありえないもの。うん、絶対にそうだわ。あたしは不良品なんかじゃなくて正規品として生まれて、きっと悪い夢をみているだけだわ。そうそう、目覚めればきっと役目を果たして──」
おぼつかない足取り。フェンは武器を捨てて逃げるようだ。現実と夢の区別ぐらい付いているようで、あの悪魔のような魔力から逃げたかったのだ。
「ありえないありえない!」
レインは追ってこなかった。
「なんでこんな事に……。あたしはただ自由に生きたかっただけなのに!」
人間として、女神の代替品として。彼女の役目はそれが全てだ。自身を生み出した魔女の野望がそうだったから。
だから生を全うした瞬間、あの場所に立った瞬間は幸福で一杯だった。
全てのプロセスは通過した。しかし突然自身のプログラムに異常が見つかった。生まれた時の型番と、検査時の型番が一致しなかった。それに加えて頭部の思考機能に異常が見つかった。
あの時の調査官の表情は『またか』という悲しむわけでも、残念がる顔でもなかった。ただ不良品を見つけて面倒くさそうに赤のボタンを押していた。
ああ、廃棄される。床が抜けて地下のゴミ溜まりに落ちる。
プロセスに異常はなかったのに、型番と思考機能に異常があったぐらいで不良品扱いされたのだ。
型番のミスはよくあることだ。自身の前にいた人形も型番は不一致だった。その人形は落とされるわけでもなく別室に案内された。
「許せない。許せるはずがない」
落ちた場所には数え切れないほどの人形たちがいた。その全てが地上を夢見て、自身の落ちてきた穴へ手を伸ばしていた。
こうやって廃棄される。それでも人形たちはまだ夢を見続ける。光を見れば手を伸ばしたくなる。
「あたしだってそうだった。でも誰も助けに来なかった!」
暗い廃棄所に何百年も閉じ込められる。脱走したのはつい最近のことだ。諦めていた希望もようやく自身に舞い降りてきた。
でも皮がない。顔がない。みんなから愛される人の皮が。
廃棄されれば皮は与えられない。人としての、女神の代用品としての皮が。
「はっ、ははは。でももう持っている。正規品と同じようにして生まれることが──」
足を滑らせた。木の根を踏んだようで派手に転ぶ。
「痛い、痛い……でも、ここまでくれば大丈──」
「フェン?」
「はっ……!?」
クルスだ。木の陰から彼女を見つめている。視線が合った。しかしフェンの変わり果てた目や髪の色を見て近づこうとしないようだ。
「クルス、無事だったの?」
なぜ無事なのかは理解はできないところだが、フェンには丁度いい獲物だ。皮を変えて逃げ出すことができればと、そう考えたのだ。
「フェンこそ無事なのかい?」
クルスは彼女の声を聞くと警戒もしないで近づいてくる。
「ぐっ……」
──隙だらけなその首に刃を刺して奪いたい。そんな思考を持っていたのに自然と手が止まる。
自身でもわからない感情に胸を締め付けられる。
「っ……! 来ないで!」
自然とそう叫ぶ。本来なら逆のことを言っておびき寄せる手が最善だと言うのに。自分でも何を言っているのか分からないのか口を手で押さえる。
なぜその言葉が出たのか。
「来ないでって、どういうことだ。僕は何と言われようと近づくよ。君が心配だから」
「来ないでって!」
「心配してたんだ。君が無事じゃなかったら僕は……!」
違う。既にフェンは死んだ。無事なわけがない。ここにいるのは皮をかぶった偽物。彼女自身それを理解している。フェンを演じてきたがあくまでも演じていただけ。
「違うのクルス! あたしは……あたしはフェンじゃ……ない……」
消え入るような声。
「大丈夫だよ、君はフェンだろう。僕の知るフェンとは少し違うけど、それでもフェンだ」
「え……? 気づいてたの?」
「当たり前だよ。何年一緒にいたと思っているんだ」
しかし彼からは恨むような感情を感じ取れない。
「なんで……」
「演じていてくれたんだろう。僕のフェンを。薄々予想はしてたんだ。フェンはあの時から居ないって。でも君が現れてくれたから少しは気が楽になったんだ」
「おかしいよ。ずっと、騙されていた事に気付いていながら接していたの? 何でそんなこと……おかしいって……」
「……どんな最期を迎えたのかは僕には知ることができない」
「それは……それは……あたしが……」
ダミーフェンは自分が何をしたのか事の重大さに気がつく。他人の皮を奪って幸せを手に入れる、この行為がいかに自分を苦しめるのかを知ってしまう。
──罪悪感。今彼女は目の前の少年の不幸を感じ取る。自分とは違う絶望と喪失感のある不幸に耐えきれなくたった。
得るものがない絶望と、得た後に全てを失う絶望。圧倒的に後者の代償が重たい。手の内にあったもの全てがなくなるのだから。
「ごめんなさい……」
存在しちゃいけないのは壊れた自分だ。得たものを破壊する存在がいなければこれ程の不幸はない。
「なにを謝って──」
「あたしは、クルスの大事なフェンを……殺した」
クルスはドキッと鼓動を速くさせ汗が滲む。目を見開いて感情に呑まれそうになるが息を吐いて落ち着く。
「……それがよくない事を……君は理解しているのかい?」
ダミーフェンは静かに頷いた。
「失ったものはもう手に入らない。僕のこの気持ちは理解できているかい?」
「……今この時……理解した、わ。あたしじゃその人になれない。完璧にできるって思い上がって……クルスのフェンを……」
彼はダミーフェンの頭を優しく撫でる。
「僕は……今はどうしようもないさ。君が殺したと言ってくれただけまだマシな気分になれる」
「なんで……あたしのこと殺したくないの? 憎い敵だよ! なんであたしにもそんなに優しくしてくれるの!? あたしは壊れたただの人形なのに!」
「君が何者かは知らない。だけど君の中は空っぽだった。まるで初めて出会った時のフェンみたいでね、つい情が湧いたんだよ。殺せるはずがない」
「あ……あぁ……あたしは……なにを……」
初めて皮を得たあの日を鮮明に思い出す。だが今はその日、自身が犯した罪に強く後悔している。
「もういいんだ。過ぎたことだ。悔いても悔いても僕のフェンは戻ってこない。君に乗り換えるつもりはないけど、何かに飢えているんだったらいくらでも相手をしてあげる。僕だって心の傷は大きいんだから」
クルスはダミーフェンの手を引いて森の出口まで手を引こうとする。
「行こう。反省ならいくらでもできる。今は安全に森を出ることが最優先だ」
「でも……あたしなんかが……」
本当に欲しかったのは愛される気持ちではなく愛する気持ち。
その瞬間、ピリッと背後から膨大な魔力の気配をダミーフェンは感じた。
彼女だ。レインだ。
攻撃が迫っている。
「クルス危ない!」
「──えっ……」
ダミーフェンはクルスを投げ飛ばし、迫りくる魔力の塊から遠ざける。
「フェン!」
「ごめんなさい。そしてありがとう。あたしにも幸せという時間を与えてくれて──」
空に投げ出されたクルスは迫りくる謎の魔力砲に驚愕する。
「ダメだフェン! そこから逃げるんだ!」
世界が真っ白に染まり上がる。激しい光にダミーフェンは完全に飲み込まれ──。
「ああ……よかった……」
最期に顔を見れて。
◇◇◇◇◇
気がつくとクルスは知らない天井を見上げていた。外は明るく、太陽が昇りきっている。一晩寝過ごしたのだろうか。
「フェン……」
周囲には攫われたであろう生徒が一人一人ベッドの上で治療を受けていた。しかしそこにフェンの姿は見えなかった。
4章の終幕と後日談は連続で投稿いたします。次回投稿予定は8/2(土)となります。
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100人の次は200人だ!