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運命の子

第2章: 運命の子


天使族四大天使の一人、アルテミスは冷たく輝く瞳で配下に命令を下していた。


「エリスは出産していた。その子供がどこかにいるはずだ。必ず見つけ出せ!どんな手を使っても構わん。見つからなければ、見せしめに街を吹き飛ばしてやる!我々に逆らう愚か者には、天使族の恐ろしさを思い知らせるのだ!」


アルテミスの命令には、冷酷な決意が込められていた。彼女はエリスの子供を捕らえ、その力を天使族に取り込むことを絶対の使命と感じていた。天使族の未来を背負う力を手に入れるためには、どんな犠牲も惜しまない覚悟があった。


数日前、とある街が突然消滅したという事件が世間を震撼させた。その街は、何の前触れもなく、昼間のわずかな時間で完全に焼け野原と化したという。


目撃者による証言は衝撃的だった。突然、空が暗くなり、激しい風が吹き荒れ、次の瞬間には街全体が炎に包まれ、すべてが消え去ったという。


「ほんの一瞬のことだった……空が突然、暗くなって、強風が吹いて……あっという間に街が焼け野原になったんだ……何が起こったのかもわからなかった……。」


この目撃証言に、村や街では恐怖と混乱が広がった。天使族の力を恐れる噂が急速に広まり、人々は神に祈るように怯えていた。


だが、この事件の真犯人はアルテミスだった。彼女はエリスの子を見つけるため、躊躇なく一つの街を消し去ったのだ。


「エリスの子供は見つからなかった……ならば、その代償として街を焼き払ったまでのことだ。力に屈しない者には容赦しない。それが天使族のやり方だ……。」


アルテミスは冷酷な微笑を浮かべ、さらなる指示を出した。


「この程度では終わらない。エリスの子を見つけ次第、すぐに報告しろ。そして、この世界に私たちに逆らう者がいれば、どの街でも同じ運命を辿らせてやる。」


遠く離れた場所で、リリィとダリルはその脅威の陰を知らずに旅を続けていた。リリィの目は見えないが、その内にはまだ覚醒していない力が眠っていた。エリスから受け継がれたその力は、彼女自身も気づいていないが、徐々に世界に影響を及ぼし始めていた。


ダリルはそんなリリィを守りながら、彼女の成長を見守っていた。しかし、アルテミスの冷酷な狙いがリリィに向けられていることを、まだ彼らは知る由もなかった。


アルテミスの命令によって、天使族の配下たちは動き出した。彼らはエリスの子供、リリィを見つけるため、手段を選ばず追跡を続ける。そして、街一つを簡単に消し去るほどの力を持つアルテミスの脅威は、次第に世界中に広がり、運命の子であるリリィに大きな影を落としていくのだった。



運命の子


柔らかな朝日が孤児院の大広間に差し込む。窓辺に立つミリアの銀髪が陽の光を受けてきらめき、まるで絹糸が風に揺れているようだった。彼女はぼんやりとその光景を眺めながら、耳を澄ませていた。廊下の奥から、小さな子供たちの足音と笑い声が響き、パンの香ばしい匂いが漂ってくる。


パンを焼くのはシスター・マリアだ。厨房の扉越しに、彼女が手際よくパン生地を整え、熱い籠に詰めていく様子が浮かんでくる。焼きたての香りに混じるバターの甘さが、ミリアの鼻をくすぐり、胸を満たす。


「今日も、良い日になりそうだな……。」


小さく呟くと、ミリアの耳に聞こえてきたのは、元気いっぱいの子供たちの声だ。裸足で廊下を走る音が響き、笑い声が重なっていく。時折、シスターの柔らかい叱る声も混じるが、その声もどこか穏やかだった。



孤児院の中での生活は、何にも代えがたい幸福そのものだった。シスター・マリアは、狼族の銀髪を持つミリアに対しても、分け隔てなく愛情を注いでくれた。ある日、パンを焼きながらミリアに語りかけたシスターの言葉が、彼女の心に深く刻まれている。


「ミリア、あなたの銀髪は本当に美しいわ。まるで月の光をそのまま映しているみたい。きっと狼族の神様が、頑張るあなたを美しくしてくれたのね」


その言葉に、ミリアは照れくさそうに微笑みながらも、胸の奥にじんわりと広がる温かさを感じた。獣人族として冷ややかな目を向けられることが多かった彼女にとって、シスターの優しい言葉は心の支えだった。


仲間たちとの遊びも楽しかった。庭で裸足になり、追いかけっこをしたり、花冠を作ったりする日々。砂埃が舞い上がり、笑い声が溢れる中、幼い子、ナミが転んで泣き出したときには、ミリアが真っ先に駆け寄った。


「大丈夫、大丈夫、痛くないよ。」


ミリアがそっと抱き上げ、涙を拭うと、その子は少しだけ頷いてまた笑顔を見せてくれた。その小さな笑顔が、ミリアにとってどれほどの力を与えてくれたか、彼女自身が一番よく知っていた。



しかし、14歳を迎えた頃から、孤児院での生活に変化が訪れた。仲間たちが少しずつ新しい生活へと旅立ち始めたのだ。


ある日、親しい友人のエリーゼが孤児院を出ることになった。町の仕立て屋に引き取られ、新たな道を歩むことになった彼女は、少し寂しそうな笑顔を浮かべてミリアに語りかけた。


「ミリア、私、町で頑張るから。絶対に立派な仕立て屋さんになるね。」


その言葉にミリアは笑顔で頷き、強く抱きしめた。


「応援してるよ。きっと素敵な仕立て屋さんになるから。」


孤児院の門が静かに閉じる音が響く。ミリアは背を向けることなくその音を聞き、エリーゼの後ろ姿を見送った。胸の奥に小さな穴が開いたような感覚に気づきながらも、彼女は笑顔を崩さなかった。


その後も、仲間たちは次々に孤児院を離れていった。養子に迎えられる者、新しい仕事を見つける者、結婚して家庭を持つ者。それぞれの未来のために、彼らが巣立つたびに、ミリアの胸には別れの重さが積み重なっていった。



ある夜、ミリアは孤児院の庭で一人、星空を見上げていた。澄み切った空に浮かぶ無数の星々が、彼女の銀髪に淡い輝きを落としている。草むらから聞こえる虫の声が、孤独な心をほんの少しだけ癒してくれる。


「またね。」


これまでに何度も口にしたその言葉が、心の中で繰り返される。振り返ると、孤児院の建物は静まり返り、その影が薄暗い闇の中に溶け込んでいた。日中の喧騒が嘘のように、静けさだけが広がっていた。


(私は……どうしてここに残っているのだろう。)


胸の奥にぽつりと浮かぶ疑問。働き口も、養子先も見つからなかった現実が、彼女の心に重くのしかかる。それでも、孤児院は彼女の居場所だった。去っていった仲間たちがいたからこそ、この場所は温かかったのだ。



ミリアは深く息を吸い込み、星空を見つめながら静かに呟いた。


「たとえ一人でも、この孤児院を守る。この場所が私にくれた愛を、私も返したい。」


その言葉を胸に刻むと、夜風が彼女の髪をそっと撫でた。星の光が銀髪に反射し、静かな決意に包まれた彼女の姿が、夜空の下で淡く輝いていた。


孤児院は静寂に包まれていたが、その静けさの中で、ミリアの心には新たな希望の光が灯っていた。



市場へ向かう道のりは、どこか重苦しい空気に満ちていた。朝日が差し込む街路の石畳はいつも通りだったが、その上を歩く人々の視線は、どれも冷ややかで遠巻きだった。


ミリアの銀髪は、朝の陽射しを浴びてまばゆく輝いていた。しかし、その美しさが人間族には異質に映るらしい。道行く人々は少し距離を取りながら、囁き合う。


「あの子、狼族だろう?」「あの目、鋭くて怖い……。」


彼らの声は決して大きくなかった。それでも、狼族の鋭い聴覚を持つミリアには、すべてがはっきりと耳に届く。


彼女はその囁きに反応することなく、ただ真っ直ぐ歩き続けた。顔はうつむきがちだが、背筋はまっすぐに伸びている。それは、彼女の小さな誇りのようなものだった。



市場の喧騒が近づくと、ミリアは深呼吸をし、気持ちを落ち着けた。店主たちに話しかける準備をする。自分の声を少しでも優しく聞こえるように意識しながら、店の前に立った。


「すみません、働き口を探しているんです。何かお手伝いできることはありませんか?」


彼女がこう切り出すたびに、店主たちの顔には一瞬の戸惑いが浮かぶ。そして、すぐに断りの言葉が続く。


「すまないが、今は人手が足りているんだ。」

「また今度、様子を見てくれないか?」


その「また今度」が本当の意味であることは一度もなかった。ミリアはそれを知っていた。それでも、何も言わずに小さく頭を下げ、また次の店へと向かった。



孤児院に帰る道すがら、ミリアは静かなため息をついた。人々の冷ややかな視線、拒絶の言葉、それらは彼女の心を静かに蝕む。それでも、孤児院の門が見えると、不思議と胸の中に温かいものが広がっていった。


門を開けると、シスター・マリアの優しい声が出迎えた。


「おかえりなさい、ミリア。今日はどうだった?」


その声には、いつも彼女を包み込むような温かさがあった。ミリアは無理に笑顔を作りながら答えた。


「うん、特に何もなかったよ。でも、森で野草をたくさん摘んできたの。」


彼女はそう言って小さな袋を差し出した。シスターはそれを受け取り、優しく微笑んだ。


「ありがとう、ミリア。みんなで美味しいスープを作りましょうね。」


その言葉だけで、ミリアの疲れは少しだけ和らいだ。



翌朝、ミリアは孤児院の中庭で子供たちと遊んでいた。裸足で駆け回る子供たちの笑い声が、朝の冷たい空気を心地よく温めている。


「待て待て~!」「こっちだよ、ミリア!」


子供たちは笑顔で走り回りながら、ミリアを挑発するような言葉を投げかけるカイ、ミリアはその声を聞くたびに、胸の中が温かくなるのを感じていた。


「負けないよ~!」


彼女はその声に応えるように軽快に動き、子供たちを次々と追い詰めていく。その狼族特有の俊敏さで、まるで風のように彼らの間を駆け抜け、笑いながら小さな子供を抱き上げた。


「捕まえた!次は誰かな~?」


ミリアの腕の中で笑い転げる子供たちの無邪気な顔。それを見るたび、彼女の心は満たされていく。彼女にとって、これが何よりの幸福だった。


その日の夕食後、ミリアはシスターの手伝いをしながら、心の中で自分の未来について考えていた。皿を洗う彼女の指は手際よく動き、流れる水の音が静かな夜の厨房に響いている。


「私はこの孤児院に残る。ここが私の居場所だ。」


そう心の中で呟いたその時、シスターがふと呟いた。


「ミリアがいてくれると、本当に助かるわ。ありがとうね。」


その言葉に、ミリアは小さく微笑んだ。


「私がここにいるのは、私がやりたいことをしているだけです。」


彼女の言葉に、シスターも優しく微笑んだ。その笑顔を見るたびに、ミリアは自分の選んだ道に迷いがないことを再確認していた。



夜、子供たちが眠りについた後、ミリアは孤児院の屋根に登った。冷たい風が銀髪をそっと撫で、満天の星空が広がっている。


「私はここで生きる。この孤児院を守り、子供たちに笑顔を届ける。それが私の使命。」


星明かりに照らされた彼女の瞳には、揺るぎない決意が浮かんでいた。人間族の冷たい視線や拒絶が、彼女を押しつぶすことはない。狼族の血が教えてくれた強さが、彼女を支えていた。


夜風が彼女の頬を撫で、遠くで木々がざわめく。その音が、彼女の選んだ未来を祝福するように聞こえた。


「ここが、私の家族の場所……。」


ミリアはその夜、静かな星空の下で、孤児院という家族を守るための決意を新たにした。そしてその決意が、彼女の銀色の髪を輝かせ、未来への小さな光を灯していた。


孤児院の朝はいつも早い。夜明け前の薄暗い時間、私は子供たちが目を覚ます前に台所に立ち、少しでも食事を用意しようと必死だった。食材はいつも足りず、手元にあるのは干からびたパンの端切れと少量の野菜だけ。火を起こしながら、私は冷え切った鍋の底を見つめ、ため息をついた。


「これで、全員分……足りるかな……。」


お湯を沸かし、ほんの少しの塩で味付けをする。スープの中に刻んだ野菜を入れ、ぐつぐつと煮込む音が台所に響く。香りは申し訳程度に広がるが、その薄さに私の胸は痛んだ。スープを少しだけ舐めて味を確認する。舌にほんのりと塩気が広がるが、物足りない味だった。


「もう少し塩を足せば、子供たちは喜ぶかな。でも……塩も残り少ない……。」


私はそっと棚を開け、中身を確かめる。ほとんど空になった食材の容器が並んでいる。ひとつ、ふたつと容器を手に取るが、どれも軽い。そんな光景を何度も目にしてきたが、慣れることはなかった。



朝食の時間、子供たちが賑やかに集まってきた。私は何とか用意したスープを小さな器に分け、パンの端切れをそれぞれの皿に置いた。


「いただきます!」と元気な声が響き渡る。


その声を聞くと、私の胸は少しだけ温かくなった。スープを飲む子供たちの顔には笑顔が広がっている。それがどれほど私を救ってくれるか、彼らには分からないだろう。


小さな女の子、ミシェルが私の袖を引っ張りながら言った。


「ミリアお姉ちゃん、今日のスープもおいしいね!」


その言葉に、私の目が潤んだ。ミシェルの手をそっと握り返しながら、私は笑顔で答える。


「そう?よかった。たくさん食べて、大きくなってね。」



食事が終わり、子供たちが遊びに出かけると、私は空になった鍋を見つめていた。中にはほんの少しだけスープが残っている。私はスプーンで掬い、そっと口に運ぶ。


「……これで、十分。」


空腹を感じないわけではない。だが、私が食べることで、子供たちがほんの少しでも満足できるなら、それでいいと思った。それが、私の役目だから。



それでも、夜になると、私は不安に押しつぶされそうになることがあった。寝室で子供たちが無邪気に眠る姿を見守りながら、胸の奥に沸き上がる疑問が消えない。


「このままでいいのだろうか……。」


孤児院の資金は底を突きかけている。これ以上、どうやって子供たちを養えばいいのか。その答えは見つからなかった。シスターも無理をしていることを私は知っていた。彼女の疲れた顔を見るたびに、申し訳なさが胸に広がる。


だが、子供たちの寝顔を見ると、その不安はほんの少しだけ和らぐ。小さな手を握りしめ、安心したような笑顔を浮かべて眠る姿。それが私にとっての唯一の救いだった。


「この笑顔を守りたい。それが、私にできる唯一のことだから。」



私は星空を見上げながら、深く息を吐き出した。冷たい夜風が頬を撫で、髪を揺らす。どれほど厳しい現実が待ち受けていても、私は負けるわけにはいかない。子供たちの笑顔を守るためなら、どんな困難にも立ち向かうと心に誓った。


「きっと、大丈夫。私がいる限り、この孤児院は守れる。」


それは小さな決意かもしれない。だが、それが今の私にとってのすべてだった。



森の中、静けさに包まれた小道を歩きながら、ミリアは膝を折り、地面に生える野草を摘んでいた。湿った葉が指先にしっとりとした感触を残し、冷たい土の匂いが鼻をくすぐる。その何気ない作業が彼女にとって日常の一部であり、空腹をしのぐための大切な行動だった。


だが、突然――。


鼻をつく異様な臭いが、彼女の嗅覚を強烈に刺激した。焦げた肉と焼けた木材が混じり合ったような、熱と絶望が染み付いた臭いだった。それはまるで、彼女の頭を無理やりつかんで現実を突きつけるかのようだった。ミリアの背筋がぞくりと凍りつく。


「……何、これ……?」


顔を上げると、森の上空に黒煙が立ち昇っているのが見えた。もくもくと揺れるその煙は、青空に不吉な黒い影を広げていた。彼女の胸が締めつけられるように、鼓動が早くなる。



ミリアの耳元では、どくどくと血が流れる音が大きく響き始めた。自分の鼓動が早まり、息が荒くなる。焦げ臭さが風に乗って一層強くなると、嫌な予感が全身を駆け巡った。


「街……?街の方だ……!」


震える声が、自分の耳に届く。喉の奥がひどく渇き、全身が震える中、ミリアは摘んだ野草の入った小さな袋をその場に放り出し、駆け出した。地面を蹴る足は重く、身体中の筋肉が悲鳴を上げる。それでも、彼女は止まらなかった。


木々の間をすり抜けるたび、枝が頬を掠め、服の袖を引き裂く。肌に鋭い痛みが走るが、そんなものを気にしている余裕はなかった。全身を流れる冷たい汗が、彼女の恐怖と焦燥を増幅させる。


「お願い…私の勘違いだよね.....」


声にならない祈りが、喉の奥で詰まる。酸欠のような息苦しさを感じながら、それでも彼女は全力で森を抜けた。



森を抜けた瞬間、視界が大きく開けた。そして、ミリアはそこで見た光景に立ち尽くした。


「これが……街?」


かつての活気ある街並みは、今や廃墟と化していた。家々は骨組みごと崩れ落ち、瓦礫があたり一面に散らばっている。黒い煙が地面から立ち昇り、その中で、赤く染まった地面がじんわりと熱を帯びているのが見えた。焦げた木材の臭いと、血の鉄臭さが混ざり合い、肺を圧迫するような息苦しさを感じた。


遠くから聞こえてくるのは、泣き叫ぶ人々の声だった。


「助けて……!」

「誰か……誰か来て……!」


その声はどれも掠れて弱々しく、彼女の胸を鋭く締め付けた。瓦礫の隙間から覗く人影が、ゆっくりと蠢いている。助けを求める手が、崩れた壁の隙間から空に向かって伸びているのが見えた。


ミリアの瞳が揺れ、足が震える。全身の力が抜け、膝が瓦礫に崩れ落ちた。



「なに....これ....」


震える声が、無意識に口を突いて出る。狼族の優れた体力も、鋭い嗅覚も、この状況ではまったく役に立たない。ただ目の前の地獄を見ることしかできない無力さが、彼女の心を押しつぶしていった。


瓦礫の間を漂う黒煙が、彼女の髪を揺らし、涙で滲んだ目をさらに曇らせる。振り返れば、森の緑が遠くに見える。そこに戻れば、逃げることはできる――だが、彼女はその場を動けなかった。


瓦礫の奥で何かが崩れる音がして、彼女ははっと顔を上げる。進まなければならない。誰かが助けを必要としている。ミリアは震える足を支えながら、再び立ち上がった。


「何が起こったのか……皆んなの無事を確かめなきゃ……」


涙を拭い、浅く乱れた呼吸を整えながら、彼女は一歩を踏み出した。焦げた瓦礫を踏みしめるたび、足元から細かい灰が舞い上がる。それでも、彼女はその足を止めることはなかった。瓦礫の先に待つものが、どれほどの絶望であろうと――。


黒煙に覆われた街の中、ミリアの心は引き裂かれたようだった。呼吸は荒く、胸の奥で渦巻く不安が彼女の全身を突き動かしていた。足元の瓦礫は鋭く彼女の裸足に食い込み、その痛みが現実だと教えてくれる。それでも彼女の意識は、胸に湧き上がる恐怖の中に飲み込まれていた。


「孤児院のみんなは……?無事だよね……?なんで……なんでこんなことに……?」


ミリアは息を切らしながら必死に走り続けた。目の前には、崩れた建物や倒れた木々が散乱し、進むたびに障害物が彼女を押し戻そうとしてくる。顔に熱を帯びた灰が吹きつけ、目を開けるのも困難だった。それでも彼女の足は止まらない。全身を貫く恐怖と焦燥が彼女を駆り立てていた。


「やだ……やだ……やだあああああ!」


その叫びは、荒れ果てた街並みを切り裂き、燃え上がる炎に吸い込まれて消えていく。耳には遠くから人々の叫び声が微かに聞こえてくるが、それはもはや現実感を伴わない幻のようだった。彼女の耳に響くのは、自らの叫び声と、心臓が破れそうなほどの鼓動の音だけだった。



孤児院があった場所にたどり着いたとき、ミリアの膝はその場に崩れ落ちた。


目の前に広がっていたのは、かつての温かい家ではなく、黒く焦げた瓦礫の山だった。家の柱は焼け落ち、天を向くように無惨に折れ曲がっている。瓦礫の隙間からは黒煙が立ち上り、赤い炎が未だ残骸を嘲笑うかのように揺らめいていた。


「あ……ああ……なんで……」


ミリアは呆然と立ち尽くした。喉の奥からかすれた声が漏れる。その声には現実を否定する力も、抗う力もなかった。かつて子供たちの笑い声が響いていた場所。その中心にあった暖かさ。それがすべて、無惨に焼き尽くされていた。


そして、その光景が現実だと理解した瞬間、彼女の中の何かが弾けた。


「嘘だ、嘘だ、嘘だぁぁー!!!!!」


絶叫が喉の奥から絞り出されるように響き渡る。涙がすすで汚れた頬を伝い、地面に崩れ落ちた彼女の拳が、焦げた瓦礫を力任せに叩いた。


瓦礫を掻き分ける手


「みんな……どこ……いるはずだ……!」


ミリアは震える手を瓦礫の中に突っ込んだ。焼け焦げた木材に触れた瞬間、じゅっと音を立てて皮膚が焼け付き、鋭い痛みが彼女を貫いた。それでも、彼女の手は止まらない。指先に力を込め、瓦礫を一つ一つ押しのけていく。


「ミシェル!カイ!ナミ!……答えてよ!」


彼女の声は涙で掠れ、嗚咽が混じる。それでも叫び続けた。瓦礫を掻き分けるたび、心の中に微かな希望が湧いては消えていく。この下にいるかもしれない、彼らが息をしているかもしれない。だが、掴むのは崩れた木材と灰ばかりだった。


瓦礫を掴む指先の皮膚が裂け、血が滴り落ちる。それでも彼女の手は止まらない。焦げた柱を掴み、投げ飛ばし、次の瓦礫に手を伸ばす。そのたびに爪が剥がれ、腕に火傷が広がる。全身はすすと血と汗でぐちゃぐちゃになり、心も体も限界を迎えつつあった。



「シスターーー!!!」


声が枯れ果てるほどに叫んだその瞬間、背後で何かが崩れる音が聞こえた。振り返る暇もなく、焼け落ちた柱が彼女の背中に重くのしかかる。全身が地面に叩きつけられ、鋭い痛みが彼女を襲った。


「あ……」


声にならない声が漏れ、意識が薄れていく。それでも、彼女の手はまだ瓦礫の中に伸びていた。痛みで感覚を失った手の先に、何かを掴むように――大切なものを取り戻すように――。


目を閉じると、彼女の脳裏に浮かんだのは、大好きだった日々の光景だった。笑顔を見せてくれた子供たち。いたずらをして叱られたときの楽しそうな声。優しく微笑み、頭を撫でてくれたシスターの温かな手。


「ああ……これでいい……」


涙が瞼の裏を熱く濡らす。瓦礫の中に埋もれながら、彼女は小さく呟いた。


「みんなのところに行くよ……待っててね……」


そう言い残し、意識が闇の中へと吸い込まれていく



ミリアは意識を取り戻した。薄暗い光が視界にぼんやりと映り、鼻腔にかすかな薬草の香りが漂っている。冷たい汗が額を伝い、全身を覆う疲労感が襲う中、彼女は自分がどこにいるのか分からなかった。


「……ここは……どこ……?」


天井に吊るされたランプの揺れる光が、静かに医務室の影を映し出していた。木の柱や古びた薬棚が周囲に見える。布団の上で横たわる彼女の体は、重く動かない。


自分の手を動かそうとしても、筋肉は力を失い、指先がわずかに震えるだけだった。視線を下ろすと、体中に巻かれた包帯が目に入る。


「……私は……生きてるの?」


呟きは震え、喉の奥で詰まった。彼女の頭の中では、瓦礫の中で見た光景が繰り返される。孤児院が燃え落ちる様子、崩れた瓦礫、そして、かき分けても届かなかった大切な人たちの名前。


視界はぼやけていて、全身に重い痛みが走る。体中が熱を持ち、火傷の痕がじんじんと痺れていた。鋭い痛みが脳裏を突き刺し、思考がまとまらない。彼女はぼんやりとした視界の中で、自分がまだ生きていることを理解し始めた。


「……ん……あ……行かなきゃ……みんな……待ってて……行かないで……!」


かすれた声が自分の口から漏れた。意識が完全に戻っていない状態でも、彼女の心は子供たちを探し続けていた。薄れる意識の中でも、それだけは忘れられなかった。


だが、全身を貫く激しい痛みに、彼女の目は一瞬で見開かれる。


「痛っ……!」


鋭い痛みが、体の奥深くから湧き上がる。彼女は反射的に手を伸ばし、自分の状況を確かめようとした。だが、腕を動かすたびに焼けつくような痛みが走り、全身が鉛のように重く、思うように動かない。



ゆっくりと視界が焦点を結び始める。視線を下に向けると、自分の足元がどうなっているのかを確認しようとした。


その瞬間、彼女は凍りついた。


そこにあるべきものが、なかった。


彼女の太腿の先は途中で途切れており、モモの付け根から先は真っ赤に染まった布に包まれている。包帯の上からじわじわと血が滲み、かすかな鉄の臭いが漂っていた。焼け焦げた肉と血の臭いが鼻を突き、視界がぐらりと揺れる。


「……これ……なに……?」


呟きはか細く震えていた。目の前の光景を理解するまで、少し時間がかかった。そして、ゆっくりと全てが腑に落ちた瞬間、胸に冷たい衝撃が走った。


「う……あ……!」


喉から押し出される叫びは、言葉にならない。彼女は必死に足を動かそうとするが、太腿の筋肉がわずかに引き攣るだけで、どれだけ力を込めてもそれ以上は動かない。彼女の体は完全に壊れていた。



目の前が真っ白になり、耳鳴りが遠くで響く。恐怖と絶望が重なり、理性を粉々に砕いていく。だが、それでも彼女の心は止まらなかった。


「……まだ……私、まだ……行かなきゃ……。」


声が震え、涙が止まらない。それでも、ミリアの胸に湧き上がるものがあった。それは、たとえ壊れた体でも動こうとする彼女の執念だった。彼女の心にはまだ子供たちの姿があった。ミシェルの笑顔、カイのいたずら、ナミの優しい声。彼らが彼女を待っている――そう信じたかった。


彼女は手を地面に突き、必死に這いずるように動こうとした。


ミリアの耳に最初に届いたのは、掠れた自分の息遣いと、床を這う音だった。包帯の巻かれた手が冷たい瓦礫に擦れ、かすかな摩擦音を立てる。そのたびに焼けただれた皮膚が新たに裂け、じわりと血が滲み出る。痛みは鋭く、全身を駆け巡る波のように何度も彼女を襲った。


「……でも……行かなきゃ……みんなが……待ってる……!」


彼女の掠れた声が、荒れ果てた瓦礫の間に溶けて消えていく。両手を震わせながら伸ばし、冷たい地面に爪を立てる。痛みを無視して体を少しずつ前に進めるたび、瓦礫に食い込む手がさらに傷つき、焼けつくような激痛が全身を貫いた。


彼女の涙が瓦礫に落ちるたび、すすと血に混ざり、冷たい大地に染み込んでいく。視界は滲み、目の前の光景はぼやけて影のように揺れていた。それでも、進む足を止めることはできなかった。止まれば、子供たちの笑い声が遠ざかってしまう気がして――。



ミリアの肩が瓦礫にぶつかり、そのたびに鈍い音が骨に響いた。焼け焦げた手が尖った破片に触れるたび、痛みが鋭く跳ね上がる。指先からは血が滴り、皮膚は裂け、まるで冷たい大地が彼女を拒むように感じられた。


「……う、あぁ……くそ……くそっ……!」


呻き声が喉から漏れる。痛みと絶望、そして何かに抗おうとする思いが入り混じった声だった。涙が止まらず、すすで汚れた頬を濡らす。それでも、彼女の手は止まらなかった。


胸には子供たちの顔が浮かぶ。無邪気な笑顔、小さな手の温もり。彼女の耳に届くはずのない彼らの声が、心の中でかすかに響いた。ミリアはその声を手繰り寄せるように、痛みを押し殺して前へ進んだ。



孤児院があった場所にたどり着いたとき、ミリアの体力はすでに尽きかけていた。呼吸は荒く、胸が痛む。煙の匂いと焼けた木材の鉄臭さが鼻腔を満たし、胸が押しつぶされそうになる。


だが、目の前に広がるのは――灰と瓦礫だけ。


かつて温かい光が灯り、子供たちの笑顔があふれていた場所。シスターが優しい声で歌を口ずさみながらパンを焼いていた家。それが今や、瓦礫の山と化していた。


「……みんな……どこ……?」


震える声がかすれ、喉の奥で途切れる。彼女は最後の力を振り絞り、瓦礫を掻き分けようとする。だが、焼け焦げた手は思うように動かず、指先から血がじわじわと流れ出るだけだった。


心の中で叫び続ける。


「返して……お願い……私の家族を……!」



その時、遠くからかすかに聞こえる音があった。幼い声が鼻歌を口ずさんでいるような、不思議な音色だった。軽やかで温かく、絶望に沈んだミリアの心に、一筋の光が差し込むような響きだった。


「フンフフンフフーン……」


その音に、ミリアの体が反応した。涙で滲んだ視界の中、耳を澄ませる。音の主を探し、微かな光を掴もうとする。


「……いた……子供たちが……迎えに来てくれたんだ……!」


彼女の唇がかすかに動き、微笑みが浮かんだ。力尽きた体が静かに瓦礫の上に倒れ込む。その目は重たく閉じられ、静寂が彼女を包み込む。



ミリアの体は動かず、ただ冷たい瓦礫に横たわるだけだった。かすかに揺れる風が彼女の銀髪をそっと撫でる。遠くで続く鼻歌の音が、本物なのか、彼女の幻聴なのか、それは誰にもわからない。


だが、その音だけが、壊れかけた彼女の心に温かな光を灯していた。それは希望のように小さく、それでも確かにそこにあった――。


焼け跡の中、響く歌声


森を抜けた先、焼け焦げた街の匂いが漂う中、ダリルはリリィを肩車しながら進んでいた。リリィは鼻歌を歌い、楽しそうにリズムを取っていたが、突然、ダリルの足が止まった。


ダリル

「……ん?こりゃ……まずいな。」


その低い声に、リリィは眉をひそめた。


リリィ

「どうしたの?ダリル、何か変なの?」


ダリルは肩車しているリリィをそっと下ろし、真剣な目つきで前方を見据えた。瓦礫の間に微かに見える、血に染まった手。小柄な女性が地面に倒れ込み、まるで力尽きたように微動だにしない姿があった。肌は灰と血に覆われ、焼け焦げた布が彼女の細い体にまとわりついている。


ダリル

「女の子が倒れてる……ひどい状態だ。」


リリィ

「えっ……ダリル、早く助けて!」


リリィの声には、いつもの無邪気さではなく、心底怯えたような緊迫感があった。彼女は目が見えないが、鼻歌を止め、全身でその場の異様な雰囲気を感じ取っていた。



ダリルは瓦礫の中で倒れている女性へと歩み寄った。近づくにつれ、彼女の体の状態がはっきりと見えてくる。両足は膝下から焼け爛れ、無残に欠けていた。血で覆われた手は瓦礫を掴んだまま硬直しており、焼け焦げた爪の間からは乾いた血が滲んでいた。


ダリル

「……ひどいな。何があったんだ……。」


膝をつき、そっと彼女の体を抱き上げた。手に伝わる彼女の体温は驚くほど冷たく、痩せこけた体はまるで折れてしまいそうだった。それでも、彼女の顔にはどこか微かな笑みが浮かんでいた。


ダリル

「こんな状況で、笑ってるなんて……。」


彼女の顔はすすで汚れ、髪は焦げてぼろぼろになっていた。それでも、その微笑みだけが、この焼け跡の中で唯一の光のように感じられた。



ダリルは彼女の胸に耳を当て、鼓動を確認する。弱々しくも、確かに命の音が響いていた。


ダリル

「まだ生きてる……助けられる!」


彼はその言葉と同時に顔を引き締め、抱き上げた体をしっかりと支えた。


リリィの直感


ダリルが戻ると、リリィは震える声で尋ねた。


リリィ

「ダリル、助けられるの……?」


ダリルは力強く頷いた。


ダリル

「もちろんだ。俺が絶対に助ける。」


リリィは微かに眉を寄せ、目の見えない瞳を少しだけ伏せた。


リリィ

「その人、すごく……寂しい匂いがする。」


ダリルはリリィの言葉に一瞬息を飲んだ。目の見えないリリィには、感覚で何かを感じ取る特別な力がある。その一言に、ダリルの中で彼女を救う決意がさらに固くなった。



ダリルは、倒れていた女性――ミリアを抱きかかえ、足早にその場を後にした。リリィはダリルの後ろを小走りでついていきながら、小さな声で鼻歌を歌い始めた。その歌声は、焼け焦げた街にかすかに響き、重苦しい空気をほんの少しだけ和らげていた。


ダリル(心の声)

「こいつを助けるだけじゃ終わらねえ。これをやった奴ら……許さねえ。」




ミリア


ミリアはぼんやりとした意識の中で、重たい瞼を開けた。自分が今どこにいるのか、一瞬わからなかったが、目の前には知らない子供が立っていることに気づいた。


ミリア

「なんで……なんでまたここに……?」


声が震え、混乱が押し寄せてくる。あの時、自分は孤児院に行ったはずだった。そこでみんなに会えると思っていたのに、どうしてまだ生きているのか理解できなかった。


リリィ

「あ、起きた!」


目の前の少女は、無邪気に笑みを浮かべた。その様子に、ミリアの心の奥で何かが揺さぶられる。


ミリア

「お前ら……誰なんだよ……なんでこんなこと……!」


怒りと悲しみが混じり合った言葉が口をついて出た。自分が感じていた絶望の中で、こんな状況があってはならない、助けなんていらないと思っていた。


リリィ

「昨日、お姉さんが外で寝てたから……ダリルが助けてくれたの。」


リリィはただ事実を言ったに過ぎなかったが、その言葉にミリアの心は不意に締めつけられた。なぜ助けたのか、なぜ放っておいてくれなかったのかという思いが彼女を襲う。


ミリア

「余計なことすんじゃねえよ!なんで助けたんだよ……!」


涙がこみ上げ、視界がぼやけていく。自分の運命を受け入れようとしていたのに、その運命を変えられたことが、ミリアの心を激しく揺さぶった。


リリィはミリアの反応に驚き、戸惑いの表情を見せた。彼女は一瞬何も言えずにいたが、次第にその目から涙が溢れ始めた。


リリィ

「なんで……?」


リリィの小さな声が震える。何が起きているのか理解できないまま、彼女もまた泣き始めた。


リリィ

「わーん……!」


ミリア

「もういないんだ……みんな、もういないんだ……私には何も残ってないんだ……!」


ミリアは顔を覆い、声を震わせながら叫んだ。孤児院のみんな、シスター、子供たち……彼女にとって大切な家族は、もう誰も残っていない。それが現実であり、その現実が彼女を押しつぶしていた。

ミリア

「もう、、わたしは、、、1人なんだよ、、、」


リリィ

「いるよ!」


突然、リリィが叫んだ。その声には力強さがあった。ミリアは一瞬息を呑んだ。


ミリア

「何だよ……お前に何が分かるんだよ!」


彼女はリリィに噛みつくように叫んだが、リリィは泣きながらそれに応えた。


リリィ

「分かんないよ!でも、リリィもダリルもいるよ!」


泣きながらそう言い放ったリリィは、突然ミリアに向かって飛び込むように抱きついた。彼女の小さな体が、ミリアの胸にしっかりとしがみつく。


ミリアは驚き、混乱しながらも、リリィの温かさを感じた。小さな体が震えているのがわかり、その震えが彼女自身の心の奥に響いた。


ミリア

「……わけわかんないよ……どうして……」


ミリアは戸惑いながらも、リリィの小さな体を抱きしめる。リリィは涙でぐしゃぐしゃになった顔をミリアの胸に押し付けながら、嗚咽を漏らしていた。


その温かさが、ミリアの心にじんわりと染み込んでいった。自分は孤独だと思っていた。誰もいない、誰も助けてくれない、そう思っていたのに、この小さな子供は必死に彼女に寄り添ってくれている。


リリィは泣き疲れ、ミリアの体の上でそのまま寝息を立て始めた。ミリアはリリィの小さな顔を見下ろしながら、静かにその涙を拭った。


ミリア(小声)

「何なんだよ、この子……なんでこんなに優しいんだ……?」


戸惑いながら、ミリアはダリルに視線を向けた。リリィの涙と鼻水を拭いながら、彼女は困惑したままだった。


ダリル

「リリィはさ、ほっとけないんだよ。そういう子なんだ。」


ダリルは優しく微笑んで答えた。


ミリア

「でも……私のこと、何も知らないじゃないか……どうしてこんなに……」


ダリル

「リリィも、君と同じなんだよ。今の君と、同じだったんだ。」


ミリアはその言葉に驚き、リリィの顔をもう一度見つめた。この子が自分と同じ? どういう意味なんだ? 彼女はまだ信じられないように眉をひそめた。


ダリル

「リリィはね……目が見えないんだ。そして、昔は一人で生きることを諦めかけていた。そんな時に、俺がリリィを見つけたんだ。君と同じように。」


ダリルの言葉が胸に重く響く。ミリアは、リリィがどれだけの苦しみを抱えていたのか、想像するだけで胸が締め付けられた。この小さな体で、どれほどの孤独と闘ってきたのだろうか。目が見えない世界で、一人きりで……


ミリア

「嘘だろ……こんな小さな子が……目も見えないで……一人で……」


ミリアの目から再び涙が溢れた。自分が、この優しい子に向かって酷いことを言ってしまったことが、今では耐えられなかった。リリィがどれほどの痛みを抱えて生きてきたかを思うと、心が裂けるような後悔と悲しみが込み上げてきた。


彼女は震える手で、リリィをそっと抱き締めた。


ミリア

「ごめんね……ごめんな……リリィちゃん……」


その言葉に、リリィは眠りながら静かに息を立てていた。その小さな体を抱きしめながら、ミリアは静かに泣き続けた。


彼女の胸には、初めて感じる温かさが広がっていた。そして、孤独だと思っていた自分が、実はそうではないことを、少しずつ感じ始めていた。



それからの日々


ミリアが目を覚ますと、そこにはいつもリリィとダリルがいた。リリィは無邪気な笑顔を浮かべ、ダリルは静かに、しかし誠実に看病を続けていた。ミリアは彼らの優しさに触れながらも、心の中にはいつも重苦しい雲が漂っていた。彼女は自分が二人の足枷になっていると感じていたのだ。


ある日の朝、ミリアは決心したように静かに言った。


ミリア

「私はもう元気だから……二人は旅を続けてくれていいんだよ。ね?」


彼女の声は小さく、まるで自分を説得するかのようだった。ミリアは心の中で、自分が二人に負担をかけていると繰り返していた。


リリィはその言葉に驚き、真剣な顔で即座に言い返した。


リリィ

「やだ!ずっと一緒にいるもん!」


リリィの目は涙で潤んでいた。ミリアはそのまっすぐな反応に胸が締め付けられるような思いを抱いた。


ダリルも、微笑みながら首を振った。


ダリル

「そうだな。俺たちは一緒にいる。」


彼の声は静かだったが、その言葉には深い決意が込められていた。ミリアは苦笑しながら、自分の包帯で覆われた手を見せた。


ミリア

「でも、私はもう歩けないんだ。手だってこんなぐしゃぐしゃで、何もできやしないよ……」


彼女の無力感が心を蝕んでいた。両手は火傷でただれ、まともに動かすことも難しい。失った足のことを考えるたびに、彼女の心はさらに暗く沈んでいった。


しかし、リリィは全く気にせず、力強く言った。


リリィ

「だから?関係ないよ。リリィはずっとミリアと一緒にいるもん!」


リリィの無邪気で純粋な言葉に、ミリアの心は不意に揺さぶられた。リリィは目が見えないから、自分の足のない姿も、火傷でぐしゃぐしゃの手も見えていない。それでも、彼女は自分を全く気にせず、ただ一緒にいたいと言ってくれる。ミリアの目から、再び涙がこぼれた。


ミリア(心の声)

(そっか……見えてないからか。でも、それでも……嬉しいな……)


ミリアは涙をぬぐい、リリィに感謝の言葉をつぶやいた。


ミリア

「……ありがとう。」


その夜、ダリルはリリィを膝に乗せて、静かに語りかけた。


ダリル

「リリィ、あの子……ミリアを助けたいか?」


リリィはダリルの顔を見上げ、真剣な眼差しで即答した。


リリィ

「うん!家族になりたい!だって、一人は嫌だもん……」


ダリルはその言葉に、優しく微笑んだ。


ダリル

「そうか……俺も同じだ。ミリアを助けたいよ。」


次の日、ダリルはリリィをミリアの元に預け、一人で森に入った。彼は黙々と作業を始めた。ダリルは騎士団時代、手足を失った仲間に手作りの義手や義足を作っていた経験があった。彼の手は不器用に見えても、その実、非常に器用で、義足を作る技術を持っていた。


翌日、ダリルは完成した義足を手に持ち、リリィと共に再びミリアの元へ向かった。


ダリル

「リリィ、これをミリアに渡してやってくれ。」


リリィは義足を受け取り、不思議そうに聞く


リリィ

「なぁにこれ?プレゼント?」


ダリル

「そうだよ。今、ミリアに一番必要なものだ。」


リリィはその言葉に目を輝かせ、嬉しそうに飛び跳ねた。


リリィ

「ミリアが喜ぶ!やったー!」


リリィはそのプレゼントを抱きしめ、心を込めて歌を歌い始めた。彼女の歌は優しく、温かく、愛情に満ちていた。その瞬間、ダリルは信じられない光景を目にした。リリィの歌声が光となり、義足を包み込むように輝いていた。彼女の願いが、その歌に宿っていたのだ。


いつものように、ミリアはベッドに横たわっていた。すると、リリィが飛び込むようにミリアの元へやってきた。


ミリア

「また来たのかよ……今日は何だ?」


リリィは義足を差し出し、嬉しそうに言った。


リリィ

「はい、これ!」


ミリアは一瞬、何が起きているのか理解できなかった。そして、リリィが手渡した義足を見つめ、感情が一気に溢れ出した。


ミリア

「な……なんだよ、これ……」


彼女の目からは涙が止めどなく溢れ、その温かいプレゼントを胸に抱きしめた。


ミリア

「くそっ……なんで……なんでこんな……」


ダリルは黙ってミリアの側に座り、彼女の足をそっと持ち上げた。


ダリル

「ちょっと触るぞ。」


彼は慎重に、義足をミリアの足に装着した。丁寧に固定していくその手は優しく、温かかった。


ミリア

「きゃっ……!」


ミリアの驚いた声に、リリィがすぐに反応した。


リリィ

「ダリル~!」


ダリルは少し困ったような顔をして苦笑した。


ダリル

「違う、違う。真面目にやってるんだよ。」


その真剣な顔が妙におかしくて、ミリアは思わず笑い出した。


ミリア

「ぷぷ……あははは……!」


その笑い声に、リリィも続いて笑い出した。


リリィ

「はははは!」


ダリルも、ミリアの笑顔を見て思わず微笑んだ。


ダリル

「まったく、騒がしいな。」


温かい笑い声が響き渡る中、ミリアの胸にあった重たい雲が、少しずつ晴れていった。義足の温もりと、リリィとダリルの優しさが、彼女の心をゆっくりと癒していくのを感じながら、ミリアはその瞬間、初めて「もう一度、生きてもいいのかもしれない」と思った。


そして、心の奥に隠していた悲しみや痛みが少しずつ和らぎ、彼女は新たな一歩を踏み出す決意を固めていった。ミリアの中に、希望の光が差し込んできたのだった。



ミリアの回復と新たな旅立ち


ミリアは徐々に体を回復させていった。義足での歩行練習は最初こそぎこちなく、何度も転んだり、足が思うように動かないことに苛立ちを感じる日もあった。それでも彼女は諦めず、少しずつ慣れていった。獣人族特有の身体能力の高さも手伝い、やがて歩くだけでなく、ついには走ることもできるようになっていた。


初めて再び走れるようになった日の夜、ミリアは一人で夜空を見上げ、涙を流した。体が動くという当たり前のことが、これほどまでに嬉しいとは思わなかったからだ。彼女は自分の力で再び生きていることを実感し、心の中に新たな希望が芽生えていくのを感じた。


数日後、リリィとダリルがいつものようにミリアの元を訪れた。ミリアはその時が来たと心の中で感じていた。彼女はもう二人に頼る必要がなくなったと、自分に言い聞かせながら口を開いた。


ミリア

「二人とも、本当にありがとう……もう大丈夫だから、旅を続けてくれていいんだよ。」


彼女の声は少し震えていたが、その目には決意が宿っていた。ダリルはミリアをじっと見つめ、疑うように首をかしげた。


ダリル

「本当にか?」


その言葉に、リリィも真似をして首を傾げながら尋ねる。


リリィ

「か?」


ミリアは少し笑いながら、真剣に頷いた。


ミリア

「ああ、本当だよ。だから、旅に戻ってくれていいんだ。私はもう平気だからさ。」


そう言いながらも、心の奥には微かな不安があった。自分は本当に大丈夫なのか? 二人が去った後、一人で生きていけるのか?それでも、自分が彼らの足枷になってはいけないと思い、言葉に力を込めた。


しかし、ミリアが言葉を終えた瞬間、リリィが彼女の手を強く握った。


リリィ

「行こう!」


リリィの小さな手の温かさが、ミリアの心を包み込んだ。その無邪気な声は、まるで命令のように力強かった。


ダリル

「そうだな、行こう。」


ダリルも優しい笑顔を浮かべながら、リリィに同意した。ミリアは一瞬、彼らの言葉が信じられなかった。


ミリア

「え……?私も?」


彼女は自分が今何を聞いたのか、理解しようとしていた。


リリィ

「うん!ずっと一緒って言ったじゃん!」


リリィの顔は真剣だった。その言葉に、ミリアの胸がじんわりと熱くなった。自分が足手まといになるかもしれないという不安が、リリィの言葉で少しずつ溶けていくのを感じた。


ミリア

「でも……本当にいいの?私がいたら、旅が遅れるかもしれない……」


ミリアの声にはまだ少し迷いが残っていた。彼女は自分の存在が二人にとって負担になるのではないかと心配していた。


しかし、ダリルは穏やかに肩をすくめて笑った。


ダリル

「別に急いでるわけじゃないさ。ゆっくり、歩いて行かないか?疲れたらおぶってやるし。」


その言葉は、まるで彼女の心の中の重たい鎖を解き放つようだった。ダリルの穏やかで温かい声が、ミリアの不安を一つずつ取り除いていく。


ミリア

「……大丈夫だし!必要ねーし!ちゃんと自分で歩けるから!」


彼女は少し照れくさそうに答えたが、その言葉には笑顔が含まれていた。ミリアは自分のことをこれまで重荷だと思っていたが、リリィとダリルの優しさに触れ、心が温かくなるのを感じた。


ダリル

「そうか。じゃあ、一緒に歩いて行こう。」


ダリルは柔らかい笑みを浮かべ、リリィもその笑顔に答えるように、満面の笑みを見せた。ミリアはその二人の姿を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。この二人と一緒に旅をすることが、自分にとって新しい家族との冒険になるのだと感じた。


そして、ついにその日が来た。ミリアは義足を装着し、リリィとダリルと共に故郷を後にすることを決めた。シスターや子供達のお墓に手を合わせて

ミリア

「みんな、もう少し待っててくれよな」

彼女の足元はしっかりと大地を踏みしめ、以前のような不安はなかった。心の中には新たな希望と、共に歩んでいく家族の存在があった。


ミリア

「ありがとう、リリィ……ありがとう、ダリル……。」


ミリアは小さな声でつぶやいた。彼女の目には涙が浮かんでいたが、その涙は悲しみのものではなかった。彼女はついに、自分が一人ではないことを受け入れられたのだ。


彼ら三人は、一緒に新たな旅路へと足を踏み出した。どこに向かうかはわからない。道は長く、時には険しいかもしれない。しかし、三人が一緒であれば、どんな困難も乗り越えていける。ミリアはそう信じていた。彼女にとって、この旅は新しい人生の始まりであり、これからは一人ではないことを確信していた。


リリィは、ミリアの手をぎゅっと握りながら、にこにこと笑っていた。


リリィ

「これからも、ずっと一緒だよ!」


その声に、ミリアは優しく笑いながら頷いた。


ミリア

「ああ、ずっと一緒だね。」


彼女の目には、新しい未来が映っていた。そしてその未来は、もう孤独ではなかった。


こうして、ミリア、リリィ、そしてダリル――新しい家族を手に入れた三人は、明るい未来に向けて共に歩み始めた。

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