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まさか、村長自らお出でとは? 若い教師は小馬鹿にした態度で、私がお孫さんの担任の田中です、と自分の祖先よりもまだ年長の保護者に対し、頭も下げず、手も差し出さずに云ったものだが、それは図らずも、怒れる村長への第一接触として、唯一の正解だった訳であり、と云うのもその時迂闊に握手など求めようものなら、男は村長の灼熱に触れ一瞬で燃え尽き、一個の大きな消し炭と化し、せいぜい寒い信州の冬の、囲炉裏の焚き付けぐらいにしかならなかっただろうし、ましてや頭を下げようものなら、それこそ天叢雲のような村長の法外な手刀で、瞬く間に首を断たれていたに違い無いからであって、しかしこの不遜な奇襲のお陰で村長は図らずも冷静さをも取り戻すと、溜まっていた熱をまともに田中の顔面に、シューッ!と口から一気に吐き捨てて、だから身内に溜まったチャクラに引火して、地球の裏側で眠る人たちを爆発で叩き起こすという悲劇だけは回避されたのだけれど、しかしそうなれば必然的に、目の前の男は竜の息吹きを浴びた事のある人間なら誰でも同じ様に、やはり全身が腐って肉が爛れ落ち、五感も全て失われてしまうというのが常なのに、驚いた事に、田中はそんな攻撃などどこ吹く風と、怯むどころか却って挑発するような不遜な目で村長を睨み付けてくるので、さすがにこれはおかしいといぶかんだ村長が、慌てて取り出した天狗様伝来の千里眼で覗いて見たところ、この男、実はその昔遠野の山村で神隠しに遭った娘の子供で、鬼に拐われた娘は一度だけ実家に姿を見せると、この忌み子だけを置いて再び鬼と暮らす山の中の窖へと帰って行ったのだが、老いた祖父母は同じ屋根の下で半妖と暮らさねばならぬという恐怖から、既に弱くなっていた体の骨という骨が遂には軽石までに脆くなってしまったかと思うと、時を待たずにポックリと逝ってしまったものだから、それからは施設に教会、娼家に奴隷小屋、それよりも辛い薄情な親戚の家といった、凡そこの世で数えられる限りの地獄をたらい回しにされたものだから、とうとう人間自体が捻れてしまい、人の愛というものを知らぬ野生人へと育ってしまったのだが、なるほど、愛も知らない鬼の子には、そもそも愛する孫の為に立ち上がったワシの心情など分かる道理も無いだろうから、寿命を知らないワシが死ねないよう、コイツも容易に傷付く事すら出来ぬのだろうと思えば少しく不憫にもなり、しかしだからと云って人の子を苦しめて良いという理由はならぬ、そうだ、ワシがここに来たそもそもの原因を忘れるところだった、これも遠野の語り部の血、混ざり物の鬼のそれも加わって人心をたぶらかす術にも長けているのだろうと踏んだ村長は、殆ど面倒を避ける為という理由からではあったが、さっそく孫への謝罪を要求したのである。