女子大生と作り上げた新たな憩いの喫茶店
武 頼庵(藤谷 K介)様からいただいた原案をもとに書かせていただきました。
「いらっしゃいませ!」
元気良く客に挨拶をするのは、現在俺の喫茶店で働いているバイトの女の子。
今では笑顔を絶やさない子であるが、1番最初に会った時は真反対であったことをふと思い出す。
◆◆◆◆◆
そもそもこの喫茶店は寂れた街にあり、はっきり言って流行ってはいなかった。常連客を相手にして、少しの利益で生活をしていたのだが、地元住民の人達の温かさが心地よくて、好きだった。そのため、勿論売上はもっと上がってくれたらと良いなという考えはあるものの、そのスタイルには不満がなかった。
そんな生活を送り続ける中、半年前にあの子がこの店に現れた――これでもかと絶望した顔で。
彼女が初めてここに来た時に頼んだものは、ブラックコーヒー。とても嫌そうな顔で注文したため、不思議に思ったことを覚えている。
あるメニューに対して、客の注文に答えないわけにはいかず、俺は静かにブラックコーヒーを差し出した。
「苦い」
彼女がブラックコーヒーに口付けた瞬間、顔を顰め、そして赤ちゃんのようにワンワンと泣き始めたのだ。幸い彼女しかいなかったため、嫌な目で見る人はいなかった。しかし、何時まで経っても泣き止む様子はなく、話を聞いて宥めることも出来ない。そのため、自分に出来ることは1つぐらいしかなかった。
「ショートケーキです」
彼女は泣き止むことは無かったが、大変驚いていた。
「こちらはサービスなのでお気になさらず。甘い物でも食べて落ち着いてください」
このままだと食べないだろうともう一押しする。
彼女は少し戸惑いながらも、フォークを取り、ケーキに刺して口に運んだ。
「美味しい! これ何処のケーキですか? 材料は? 隠し味とかあります?」
先程まで大泣きしていたのが嘘のように、彼女は俺に質問攻めをしてきた。どうやらお気に召したらしい。
喜んでくれたことは嬉しいが、ただ態度が一瞬にして180度変わってしまい、正直戸惑っていた。
「私の手作りです。材料は普通のショートケーキと同じですし、隠し味はありません」
「嘘! これ手作りなのですか? プロのパティシエが作ったみたいに美味しいです」
彼女は目を大きく開いて、食べかけのケーキをマジマジと見た。どうやら手作りだとは信じられないようだった。
彼女の言っていることは強ち間違ってはいなかった。元々はパティシエでケーキも作っていたからだ。ただ、両親が亡くなり、その残された店を継いで経営しているという状況だった。パティシエ時代は多くのスイーツを毎回作っていたため、体力の消耗の激しさが大変だったが、今は少しの量を作っているだけなので、気楽に作れて、それはそれで楽しかった。
「甘い物が好きなのですか? 喜んでいただけて嬉しいです」
俺がふとそのように言うと彼女の顔は再び曇った。彼女はケーキを食べていた手をその場で止めて、フォークをそのまま置いた。
「え?」
思わず俺は声を上げてしまった。別にその行為を不快に思ったわけではなく、驚いただけだった。しかし、彼女は俺の表情を不快に感じたのだと思い、ごめんなさいと謝罪し、再び涙を流し始めた。
「大丈夫ですよ。何か事情があるのでしょう。もし良ければその事情を話してください。話ぐらいなら聞きますよ」
彼女が泣いたことを不快には感じていなかった。ただ心配ではあったため、少しでも安らぐなら自分の出来ることで力にはなりたいと思ったのだ。
彼女は少し時間が経ってから泣き止み、事情を話し始めた。
「私、浮気されてこっぴどく振られたんです」
彼女は同じサークルで仲良くなった先輩と2年間付き合っていたらしく、良好な関係を築いていると思っていた。しかし、彼氏は1年ほど前から浮気をしていたらしく、何故浮気をしたのか問い詰めたところ、こんなことを言われたらしい。
『可愛いけど、子どもみたいでウザい』
浮気相手は、セクシー系の美女で、趣味も彼と合い楽しく付き合っていたとのこと。
彼女はお酒は飲めず、苦い物が大嫌い、甘い物や可愛い物が大好きで、絶叫系は完全OUT、絵本や児童本も好んで読むと自分でも子どもみたいだと自負しているらしい。
彼に言われれたことがとても悔しくて、子どもっぽさを無くしてやろうと、まずはブラックコーヒーデビューするため、たまたま近くにあった喫茶店に寄ったと言うことだった。
「別にコーヒーが嫌い、ケーキが好きで良いと思います。自分の好みに忠実で何が悪いのでしょうか?」
これが俺の本音だった。彼女は何も悪くない。悪いのは浮気した彼の方だし、偽ってまで好きを捨てる必要は何処にもないと思った。
彼女は俺の言葉に安心したのか、笑みを浮かべていた。その姿はまるで天使のようで、その場の雰囲気が華やぐ。
「確かにそうですね。オレンジジュースお願いできますか」
「少々お待ちを」
彼女は飲みかけのブラックコーヒーを俺が提供したところに戻して、もう今は飲まないという意思を示した。
俺はグラスを取って、冷蔵庫にあるオレンジジュースを入れて、彼女に差し出す。
彼女は嬉しそうにオレンジジュースを手に取り、口づける。その姿は先程と同様の笑みを浮かべ、幸せそうだった。先程のケーキと共に飲み進めていく。
本当に彼女は甘いものが好きなのだと、この様子でよく分かった。彼女の悲しみが少しでも和らいだようで嬉しく思う。
彼女はケーキを食べ終わると財布を取り出しブラックコーヒーとオレンジジュース代だけでなく、ケーキ代まで払おうとしたので、俺はサービスだからと頑なに受け取らなかった。もし宜しければまたご来店くださいと言って彼女を納得させた。
それから彼女は客として、毎週ここに訪ねるようになった。彼女は暫くの間ケーキとオレンジジュースを頼んでいたが、俺が紅茶も相性が良いと教えたところ、それからケーキと紅茶を頼むようになった。
また、最初は元彼のことを話していたものの、暫くすると元彼のことは全く話さなくなり、自分の話をするようになった。今でもプリキュアを見て、彼女達にはいつも元気をもらっているとか、グリとグラは2匹のやり取りが可愛くて癒やされるので、何度も読んでいるとか、彼女は子どもの時に好きだったものが今でも好きだということ語っていた。
確かに子どもっぽいが、ただそれは一途なのだと思う。俺は好きなものがその時により変わることが多いので、彼女を羨ましく思った。
彼女が初めて来てから3ヶ月経った頃、彼女は俺に信じられないことを願い出た。
「ここで働かせてください」
それはもう何度も疑った。何故こんな所に働きたいのかよく分からない。それに、バイト代を渡せるほどの余裕があるわけでもない。そのため、俺は勿論断ったのだが、彼女はその意思を微塵も曲げるつもりはないようだった。
「ここで働かせてください」
俺はとうとう折れて、最低賃金しか出せないけどそれでも良いならと妥協した。すると、彼女はこれまでで1番の笑みを浮かべて無邪気に喜んでいた。
◆◆◆◆◆
ここで冒頭に戻る。彼女は身長150cmに満たない高さと小柄でありながら、目鼻立ちはしっかりしており、丸顔のため、大変可愛らしく、また大変愛嬌がある。そのため、彼女が店員になると、噂はあっという間に広がり、彼女目当てで店に来る者が多くなった。その結果、今まで横ばいだった売上が一気に右上がりになった。
「マスター、ブラックコーヒーをよろしくお願いします」
彼女に声をかけられ、現実の世界に戻される。少し過去に思いふけていたようだった。俺はごめんと謝り、急いでブラックコーヒーを用意する。その間に彼女は客と話して相手をしていた。
「もう少しでバレンタインでしょ。愛ちゃんは誰かにチョコレート渡す予定ないの?」
「渡したいなとは思っているのですが、まだ何を用意するか決めてなくて」
愛ちゃんというのは彼女の名前だ。みんなからそのように呼ばれている。するとまた、違う客が彼女達の会話に割り込んできた。
「そう言えば、この店のメニューにバレンタイン特性メニューとかないの? チョコレートパンケーキとか、ホットチョコレートとか?」
「この店にはそういう特製メニューみたいなのは無かったはずです」
「そっか、残念だ」
彼女はすみませんと謝りながらも、口元は笑っていた。どうやら喜びを隠しているようだった。しかし、目線は俺の方へ向けていて、少しドキっとしてしまう。彼女からの目線はバイト中でも、よく感じるため最初は驚いたものの、今では慣れている。しかし、ふとした視線にはどうしても未だにまだ慣れない。俺はその動揺がバレないように、ブラックコーヒーを持ち、客の元へと出す。
「ブラックコーヒーです」
客は笑顔でどうも言い、そのままブラックコーヒーを受け取る。そして、客はブラックコーヒーを口づけながら、彼女との会話に戻った。
「愛ちゃん、サンドイッチお願い」
今度はいつもの常連客が彼女に注文をした。彼女は新たな客だけでなく、常連客にも人気があり、誰もから好かれる看板娘だった。彼女が働く週3は、彼女と様々な客と新たな雰囲気が生まれ、これこれでとても楽しいものであった。
◆◆◆◆◆
「マスター、いつものお願いね」
「マスター、こちらもいつものお願い」
今回の客は、昔から来てくれていた常連客のみだ。今回は彼女がいないため、俺に直接注文をする。今まではこの距離感で満足していたのだが、彼女がいない今では寂しさを感じてしまう。彼らも、今日は彼女がいないのだと少し寂しさを感じているようだった。
◆◆◆◆◆
今日は彼女がバイトで店に来ているため、賑わっている。今回はいつもに増して多くの客が来客していた。
「愛ちゃん、今日バレンタインだからチョコ受け取って」
「俺も俺も」
「私も受け取ってよ」
彼女は男のみならず、女からもチョコレートを多く受け取っていた。どうやら義理チョコとして、彼女に渡しているようである。女から男へという概念はやはりもう古いのかと実感する。
「愛ちゃん、好きです。俺の気持ち受け取ってください」
中には本命として、チョコレートを渡している男客もいた。いわゆる逆本命チョコである。普段ならこんなことは興味を持たないが、何故か今回は彼女がどのように答えるのか大変気になってしまった。
「気持ちは嬉しいのですが、他に好きな方がいるのでごめんなさい」
彼女は大変申し訳無さそうに頭を下げる。その様子に俺は何故かほっと一息をついた。告った男は、やっぱりかとガッカリしながらも、頑張ってと彼女を応援していた。彼女は苦笑いしながらも、ハイときちんと返事をしていた。
閉店時刻となり、俺はふとこの生活がもう3ヶ月も続いているのだなと感慨深く思った。
俺1人の時は、落ち着きがあって、常連客とコミュニケーションを取れることが大変居心地が良かった。
今は前に比べて騒がしくなって、落ち着きがあまりない。また、常連客との会話は減ってしまった。それでも、様々な客と関わることが出来て、そして彼女の関わる時間が増えて、今まで以上に楽しんでいる。
しかし、彼女ももうすぐで大学4年生。そろそろ就活をする時期だろう。そうなると、ここのバイトも辞めて、俺はまた元の生活に戻る。きっと、物寂しくなるだろう――常連客も、そしてこの俺も。
俺がこんな風に悩んでいたところ、後ろからスッと1杯の飲み物が差し出された。
「マスター、どうぞ」
差し出したのは彼女。差し出してきたものは、この店のメニューにはない『ホットチョコレート』だった。
「今日はバレンタインです。だから、私の気持ちをここに込めました。受け取ってくれますか?」
その含みのある言い方に俺は硬直してしまう――どう反応すれば良いのだろうかと。
「最初に会った時に励まされて、それからすぐに立ち直ることが出来ました。マスターと話すのが楽しくて、客だけでなく、店員としてもっと長く話したいと思いました」
彼女は少し早口になっていた。とても緊張しているようだ。俺もそれにつられて緊張が高まる。
「マスター、好きです。これからも傍に居させてください」
最後の言葉はとてもストレートで、勘違いしようがないものだった。彼女が勇気を出して言ってくれた言葉のため、俺も素直に気持ちを伝えることにした。
「最初から純粋で素敵な子だなと思っていました。これからもここに居てくれたら良いのになと。だから………そう言っていただき嬉しいです」
先程の彼女のように、俺もつい早口になってしまう。最後はしっかり言おうと一呼吸置いて口を開いた。
「私も貴女が好きです」
彼女がストレートに思いを伝えてくれたため、俺もストレートに思いを伝えた。少し恥ずかしさはあったが、それ以上に嬉しさの方が上回っていた。
彼女はハイと大きな返事で、屈託のない笑顔を浮かべた。今までで見た中で、最高の笑顔だった。
「ホットチョコレート、いただきますね」
俺はホットチョコレートに口をつけた。それはとても温かく、またココアとは違った濃厚の甘さで、一気に心が癒やされていく。俺の表情を見て、彼女は心底嬉しそうだった。
このホットチョコレートのように、この場所をこれからも居心地の良い場所にしていたいと強く思った。
ご覧いただきありがとうございます。
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