不幸な結婚をしたオルディシア、幽霊に助けられて、自分の生き方を見つける物語
「無い。無いわ。わたくしの宝物が無いわ」
オルディシアは部屋の中を探しまくった。
自分がこの家に嫁いでくる時に持ってきた宝箱がない。
大事な物を入れてきた。
独身時代におこづかいを貯めて買った紫の宝石の着いた髪飾りだ。後、お母様に買ってもらったキラキラした金の美しい腕輪。
おじい様が買って下さったエメラルドのヘッドの首飾り。
お気に入りのアクセサリーが入っていた宝箱をそれはもう、毎日のように眺めて、心を慰めていたオルディシア。
でないと、この辛い環境に耐えられなかったからだ。
このパレス公爵家の公爵子息、ボルドに嫁いできたのは一月前だ。
言わずと知れた政略結婚で、嫁いで早々、言われたのだ。
「私が愛しているのは、リリアだ。お前はお飾りの妻でいてもらう。したがってお前なんぞ愛する気はない」
オルディシアは決して美しい女性という訳ではない。茶の髪の地味な女性だった。
それでも、ミード公爵家で、公爵令嬢として、しっかりとした教育を受けてきたのだ。
貴族の女性として自信はある。そしてこの結婚は政略。覚悟をしてきたのだが、頭に来た。
思わず叫ぶ。
「結構ですわ。リリアとやらは市井の者なのでしょう。貴方は貴方で、そちらの方と愛し合っていればよいのです。わたくしは構いませんわ」
オルディシアは強がりを言った。
公爵子息のボルドは、フンと鼻を鳴らして、オルディシアを睨みつける。
このパレス公爵家のパレス公爵は傾いた事業を立て直す為に、帝都にあるこの屋敷を留守気味で、残されたパレス公爵夫人も息子同様酷い人間で、オルディシアにあたりが厳しくきつい人だった。
「オルディシア、お前に魅力がないから、ボルドは市井の者なんぞに現を抜かしているのです。解っておりますか」
「はい。お義母様。申し訳ございません」
「本当に、もっと美しい嫁だったらよかったのに」
他にもネチネチと嫌味を言われる。だが、嫁の立場で反論する訳にはいかない。
オルディシアの実家、ミード公爵家の財力を当てにして、結んだ婚約。
パレス公爵家は名門だが、今や、領地経営が思わしくなく、経済的にも苦しい公爵家であった。
だから、オルディシアを嫁に迎える事で、援助を期待したのだ。
だが、父ミード公爵はパレス公爵家が思っていたような援助をしなかった。
それでいて、名門公爵家と縁を繋いだことをミード公爵は、貴族社会の社交に利用している。
だから、当然、オルディシアに対する当たりがパレス公爵家で強かった。
何で、パレス公爵家にもっと援助をしないのかと。
「もっと、お前の実家が我が公爵家に援助してくれれば」
パレス公爵夫人の口癖である。
「手紙を書きなさい。お前の実家に。もっと我が公爵家を援助するように」
公爵夫人はオルディシアに口うるさくそのように催促する。
夫であるボルドも、
「お前の実家がもっと援助してくれれば、私だってもっと贅沢出来るのに。愛しいリリアに豪華なドレスやアクセサリーを買ってやることが出来るのに」
オルディシアは、
「申し訳ございません。父に手紙を書いているのですけれども」
謝るが、オルディシアは思う。あの父は強かな所がある。そして娘であるオルディシアを可愛がってくれる事はあまりなかった。
可愛がってくれた母や祖父はもう、亡き人である。
頼りにならない実家。
オルディシアの心の支えは、唯一、持ってきた宝箱。
紫の宝石の髪飾り、キラキラ光る腕輪、エメラルドの首飾りの入った宝箱。
それを見て、心をふるい立たせてきた。
この宝箱のお陰で、冷たいパレス公爵家で、我慢して過ごしてきたのだ。
パレス公爵夫人は公爵夫人としての仕事を教えるでもなく、ただ、オルディシアに愚痴を言う毎日。
ボルドは屋敷にいない時も多く、愛人の家に転がり込んで遊んで過ごしているのであろう。
パレス公爵領は北にあり、冬は雪に覆われてしまうくらい、寒い地方だ。
今は、ジュエル帝国の帝都の屋敷で過ごしているが、社交のシーズンも終わるので、パレス公爵領へオルディシアも行かなければならないだろう。
あんな北の領地へ……
あの愚痴しか言わないお義母様と一緒に。
夫であるボルドは行くかどうか解らない。
そんな悲しみの中で、とある日、無いのだ。
心の支えである宝箱が。
大切に机の引き出しにしまっておいた宝箱が。
慌てて、メイドに確認する。
「わたくしの宝箱が無いのです。知りません?」
唯一、オルディシアに仕えているメイドのアンは、震えながら、
「大奥様が持っていきました」
「お義母様が?」
慌てて、食堂へ行けば、珍しく家に戻って来た夫であるボルドと義母のパレス公爵夫人がすでに食事を始めていた。
オルディシアと一緒に食べるとまずくなるからと、食事は別にされてしまっていて。
パレス公爵夫人はオルディシアを睨んで、
「何です?わたくし達は食事中なのです」
ボルドも肉を切り分けながら、
「そうだ。私達は食事中だ。なんだ?みっともない」
オルディシアは震えながら、
「わたくしの宝箱はどうしたのです?お義母様」
パレス公爵婦人は、あっさりとした口調で、
「お前なんかにもったいない。あれは公爵家の為に売りました」
オルディシアは驚く。心の支えであった宝箱。あの中に入っていたのは愛する人たちからもらった大切な……自分が欲しくておこずかいを貯めて買った髪飾りが……
「わたくしの物を勝手に売るだなんて」
ボルドがハハハと笑いながら、
「お前が悪い。もっと我が公爵家に援助をしないミード公爵家が悪い。だから、お前の物を売ったのだ。何が悪い。これでリリアに良いものを買ってやることが出来る」
パレス公爵夫人も、
「わたくしのドレスを新調するのに、役立つのです。感謝こそすれ、これは嫁として当然の務めだと思わないのですか」
涙が溢れる。
食堂を飛び出て、自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこんで、泣いた。
大事な物が売りに出されてしまった。
とても大切な物が……
買い戻す力なんて自分にはない。
たかが18歳の小娘に何も力はないのだ。
かといって、実家ミード公爵家なんてあてに出来ない。
父は自分に無関心で……このパレス公爵家が嫌になったからって逃げかえっても、送り返されるだけだろう。
泣くオルディシアに、メイドのアンが、
「奥様。あの……メルディーナ様を頼ればよいと思うのです」
「メルディーナ様」
メルディーナという女性はかつて、酷い夫に暴力を振るわれていた女性だが、今は違う男と再婚し、悩める女性の為に逃げ込める施設を作って、相談に乗ってくれるという素晴らしき帝国の女性である。
アンは震えながら、
「メルディーナ様を頼るとなると、この家を捨てる事になります。わ、私は奥様にお世話になりました。で、ですから、奥様に恩返しをしたくて」
「アン。有難う。逃げたくても逃げられない。わたくしはミード公爵家から政略で嫁いできたのですもの。わたくしが逃げたらメルディーナ様に迷惑がかかるわ」
「奥様」
アンがハラハラと涙を流し、
「私、私……奥様の為ならこの、命……」
「え?何故?わたくしは貴方に命をかけて貰う程、貴方の事を助けた覚えはないわ」
「親切にして下さいました。私のような者の為に」
公爵家に来て、自分を世話してくれるアンとは日常的な話をしていただけだ。
「今日はお天気が良いのね」とか、
「あら、今朝は寒いのね」とか。
ただ、礼は言っていた。
唯一の自分につけられたメイドだったから。
「いつも有難う。助かるわ」
アンは嬉しそうに、
「奥様の為ですから」
と微笑んでいた。アンがどこから来たのか、アンの事なんて、あまり気にした事はない。
決して心を開いていた訳ではない。
自分の心の支えは宝箱だけだったのだから。
それなのに、アンは自分に恩を感じていてくれたらしい。
アンはぽつりぽつりと話し始めた。
「私は死にたくなかったのです。帝都の華やかな生活に憧れて、田舎から帝都に出てきました。でも、所詮、田舎娘。すぐに悪い人たちに捕まって。殺されてしまいました。持ってきた僅かなお金も、女性としての尊厳も何もかも奪われて。でも、メルディーナ様が助けて下さいました。貴方が生きていたとしたら、何をしたかったの?って。私は華やかな生活がしたいと言いました。でも、私みたいな田舎娘が華やかな生活が出来るはずはないと、地道な幸せを掴みなさいと。メイドの仕事を紹介されました。私、だから一生懸命働きました。奥様に仕える事が出来てとても幸せでした。だから恩返しをしたいのです」
「恩返しなんて考えなくていいのよ。有難う。アン」
ああ……この子は死霊なのね。
死霊?死霊????????
「貴方、どう見ても生きているようにしか見えないけれども」
アンは寂しそうに笑って、
「奥様の幸せを、私は祈っております。どこからでも……たとえ、地獄の底からでも。メルディーナ様を、何かありましたら頼って下さいませ」
頭を下げて部屋を出て行くアン。
「待って?アン。貴方っーー」
廊下に出てみても、アンの姿は見当たらなかった。
廊下の彼方からものすごい悲鳴が聞こえてきた。
「ぎゃぁあああああっーーー」
慌てて行ってみれば、パレス公爵夫人が、飾り物の銅像の下敷きになっていた。
駆けつけてきたボルドや他の使用人達も真っ青になる。
ボルドは慌てて公爵夫人に駆け寄って、
「母上っ。医者だっーーー医者をーーー」
しかし、パレス公爵夫人は助からなかった。
銅像を支えていた金属が腐食していて、倒れたのではないかという騎士団の調べで。
パレス公爵夫人は事故死と片付けられたのだ。
「お前がお前が母上についていながら」
ボルドはオルディシアに喚き散らした。
「わたくしは部屋にいたのです。ですから、お義母様が廊下を歩いているだなんて知りませんでしたわ。増してや銅像の傍にいただなんて」
あの趣味の悪い3mにも及ぶ男性の騎士の銅像は、先祖代々に伝えられてきた銅像らしい。
だからこのお金に困っているパレス公爵家の廊下にいまだに飾ってあったのだ。
でなければとっくに売りに出されていたであろう。
パレス公爵家はお金がなく、公爵夫人の葬式もしめやかに行われた。
パレス公爵は忙しく、夫人の葬式にも帰ってこなかった。
ボルドは悲しんでいたが、今まで一緒に住むことの出来なかったリリアを呼び寄せてさっそく屋敷で共に暮らすことにしたようだ。
リリアと仲良く腕を組んで歩き、オルディシアを見ると馬鹿にしたように、
「さっさと手紙を書け。金を用意できないんだったら、お前を売り払ってもいいな」
「そんな事をしたら、さすがに父も黙ってはいないでしょう」
反論すればボルドは怒りまくって、
「だったら金を送るように言うがいい。その父とやらにな」
リリアという女性は派手な顔立ちの金髪の女性で、
「きゃぁお金が入ったら、私にドレスを買ってっ」
「勿論、リリア、買ってやるから」
あの日以来、アンの姿は消えてしまった。
アン。パレス公爵夫人を殺したのはアン、貴方なの?ねぇ……教えてアン。
秋も深まって来たとある日、手紙がオルディシア宛に送られてきた。
― アンから話を聞いております。貴方と一度会いたいわ。お待ちしております -
メルディーナ・ルシファン
帝都の中央にある教会にいるメルディーナに会いに行った。
アンの事が解るかもしれない。
ウエーブのかかった黒髪に真っ赤な口紅を付けたメルディーナ。
赤いドレスを着た彼女は大輪の薔薇のようだった。
そして、黒髪の一人の地味な青年を従えていた。
「ようこそ、メルディーナ教会へ。貴方の事はアンから聞いているわ」
「メルディーナ様。アンはどこへ行ってしまったのでしょう」
「まずはお座りなさい」
大きな協会の隅の席にメルディーナの対面に座る。
メルディーナは微笑んで、
「パレス公爵家から出たいのなら、わたくしの所へいらっしゃい」
「でも、メルディーナ様に迷惑が。それに、アンはどこへ行ってしまったのでしょう?アンは死霊だと言っておりました。それなのにアンは普通の人間のように私に仕えてくれました。わたくしはアンの事が心配で」
メルディーナに手を握られる。
「貴方、優しい方なのね。アンは貴方の為に最後の恩返しをしたいと言っていましたわ」
「恩返し?やはり、パレス公爵夫人を殺したのも」
赤い唇に人差し指を押し当てて、メルディーナは妖艶に笑う。
「事故だったのでしょう?アンの仕業ではありませんわ。それに、たとえアンだとしても騎士団にはすでに死んだ人間を裁く事は出来ないわ」
「アン……わたくしはアンに特別に優しくした訳ではないのです。わたくしは」
「それでも、アンは貴方に仕えた事がとても嬉しかった。貴方と話す日常会話がとても楽しかった。だから貴方の為に何かしてやりたいと思ったのだわ。ねぇ……アンを褒めてあげてくれないかしら。あの子は最後の仕事を貴方の為にこれからやるのだから」
メルディーナの隣に腰をかけた青年が。
「メルディーナ。それではあまりにもアンが」
青年はオルディシアに向かって、すまなさそうに、
「私はメルディーナの夫のアルク・ルシファンと申します。アンの事を止めたい。でも、アンは動き出してしまった。まことに申し訳ない」
オルディシアは立ち上がる。
「アンは。何をしようとしているのでしょう。わたくし、屋敷に戻りますわ」
急いで待たせておいた馬車に乗って、パレス公爵家に戻る。
戻ってみればとんでもない事が起きていた。
リリアが悲鳴をあげている。
「ボルド様がっーーーボルド様がーーー」
アンが裸のボルドの上に乗っかっていた。自分も裸で。
しかし、ボルドは白目を剥いていて、死んでいるのが遠目から見ても解り過ぎる位、ボルドの顔色は真っ青で。
オルディシアは叫んだ。
「アンっーーー。貴方っーーー」
アンは笑い出した。
「アハハハハハハハハ。軟なご主人様だこと。ちょっと私と遊んだら、死んでしまったわ」
使用人達がかけつけてきて、男の使用人がアンを拘束しようとした。
アンは急に泣き出して。泣きながらきちがいのように笑った。
「私を捕まえる事なんて出来ないんだから。アハハハハハハ」
アンはどろどろと溶け出して、地に骸骨となって転がった。
リリアが悲鳴を上げる。
「きゃぁあああああああああっーーーー」
オルディシアは茫然と突っ立っていた。
アンは、自分の為に身体を張ってボルドを殺したのだ。
アンは……アンは。
涙がこぼれる。
でもパレス公爵家の人間として、やらねばならない事がある。
「騎士団を呼んで頂戴。旦那様が変死したと。知らせて頂戴」
リリアは錯乱したように、泣き叫んでいる。
余程、ショックだったのだろう。
「リリアを連れて行って」
メイド達に命じると、オルディシアはてきぱきとやるべきことを使用人達に指示するのであった。
妻の事故死に息子の変死。
さすがに戻って来たパレス公爵。
彼は落ち込んだように、
「我が公爵家は呪われているのだろうか。ミード公爵から、我がパレス公爵家との関係を切らせてもらいたいと言って来た。オルディシアに戻って来いと。オルディシア。これからどうする?」
オルディシアは頭を下げて、
「夫のボルド様は亡くなってしまいました。わたくしは実家には戻りたくありません。市井に下って、教会に身を寄せようと思いますわ」
「解った。止めはしまい」
リリアはあまりのショックに、頭がおかしくなってしまったようで。
病院に入れられた。
パレス公爵家で起きた出来事は、呪われた出来事として騎士団からいつの間にか広まり、
ただでさえ、傾きかけていたパレス公爵家は、人が寄り付かなくなり、事業も更に傾いて、爵位を手放すことになってしまった。
パレス公爵家を出たオルディシアには関係ない事であるが。
オルディシアはメルディーナの所へ身を寄せる事とした。
メルディーナの所へは沢山の悩める女性達が相談に訪れる。
メルディーナはその人たちを時には匿い、時には優しく相談に乗って、女性の力になる仕事をしている。
オルディシアもメルディーナを手伝う事にした。
そんなとある日、父であるミード公爵が会いに来た。
「お前に新たな縁談を持ってきた」
オルディシアはそんな父に向かって微笑んで、
「わたくしはもう結婚しませんし、貴族に戻る気もありませんわ。呪われたパレス公爵家にいたわたくしを誰が受け入れると言うのです」
「それはだな」
メルディーナが出てきて、
「調べたのよ。わたくし。愛人が何人もいる伯爵にオルディシアを売るつもりでしょう」
ミード公爵は叫んだ。
「我が公爵家の為に役に立つんだ。金になるのだ。光栄だと思え。お前のような傷物にはふさわしい嫁ぎ先だ」
オルディシアはきっぱりと、
「お断りします。お父様。いえ、ミード公爵」
ミード公爵は怒りまくって、
「こんな教会つぶしてやるわ」
メルディーナはホホホと笑って、
「皇帝陛下が後押しして下さっているメルディーナ教会。貴方は皇帝陛下を敵に回すおつもり?」
分が悪いと思ったのだろう。
「この悪女がっ」
メルディーナを睨みつけて、ミード公爵は帰って行った。
オルディシアは礼を言う。
「有難うございます。メルディーナ様」
メルディーナが抱き締めてくれた。
「貴方が不幸になったら、アンが悲しむもの」
自分の為に身体を張って、ボルドを殺してくれたアン。
騎士団に持っていかれたアンの骨は粉々に砕かれて、どこかへ捨てられたらしい。
アンのお墓を作ってあげられなかった事がとても心残りだ。
あの少女は自分との何気ない会話が楽しかったと言っていた。
既に死んだ身でお世話をして、生きた気分になって……
何とも言えない位に悲しい。
教会の祭壇に花を手向けながら、アンの冥福を祈ることにした。
どうか、アンが地獄で苦しんでいませんように。
彼女はとても優しい人なのだから。
どうか、天国にいけますように。
教会の天窓から、秋の日差しが差し込んで、両手を組んで祈っている優しい顔をした女神像を照らしている。オルディシアは願いを込めてその女神像に祈るのであった。
あれから、ミード公爵が現れる事もなく、オルディシアは結婚もせず、メルディーナ教会で一生働き続けた。
彼女の献身的な働きぶりに、メルディーナ教会の聖女様として沢山の女性達に慕われた生涯だったといわれている。