謹慎処分
救助されて本邸に連れていかれてもシエルは眠り続けていた。
事件は何者かがギルドを騙して警備隊に侵入し準備されたものだった。
アンは屋敷内では悪者扱いで最初は口撃の的だったが、シエルが生まれてからは母娘共々腫物扱いに代わり、誰も近寄ることさえしなかった。元より屋敷の一員として認められておらず、誰とも接点を持たなかったのでついには忘れ去られた。だから避難後の生存確認はなく放置された。
爆発が聞こえ咄嗟に放った防御魔法でシエルを爆風や衝撃から守ったが自身は爆傷により内臓をやられたことが死因だった。
「アンは子供が出来たとわかってすぐ、防御魔法や治癒魔法を取得していた。このような事態を考えていたのかもしれない……」
事件の翌日に行われたアンとシエルの葬儀は慎ましいものだった。参列したのはカエラムとその側近、官邸の代表者が数名だけだった。
官邸襲撃事件の犠牲者は2名。産休中の使用人とその子供で、身寄りはないということになっている。
内通者がいるかもしれない状況で屋敷の誰にも任せられず、カエラムは自室にシエルとアンの遺体を置いた。さすがにそれは良くないと咎められたが、
「聴取が終わるまで今は誰も信用ならない」
の一言で黙らせていた。
深夜のうちに容態が急変したと騒ぎ立て、王宮の医師を呼びつけてシエルの死を偽装した。ちなみにこの医師もカエラムの古くからの友人である。
騒ぎの間にシエルは孤児院に預けられ、葬儀の間にパラディス夫妻が引き取りに訪れている。
シエルは母親との最後の別れも出来ずにパラディス家の養女となった。
フォルトの妻は気立てのいい優しい女性だ。有力伯爵の令嬢であったが若くして病により子が産めなくなった。跡継ぎを望めない令嬢を娶るものはおらず社交界では役立たずとひどい陰口をたたかれていた。気にしないわけではなかったが努めて明るく振舞っていた。
それを気に入らない者が少なからずいた。
ある夜会で出席していた令嬢3人に囲まれ、
「子も産めないあなたが殿方のご機嫌を取るなど娼婦と同じでは?」
と面と向かって言われた。あまりのショックに言葉を失い、悔しさのあまり涙が溢れてきたが何とか持ちこたえるのに精いっぱいだった。
「それはあまりにも失礼では?」
男の声が聞こえ顔を上げると、目の前には大柄の騎士が立っていた。
「な、なに? きゃあー」
かこっていた令嬢たちは悲鳴を上げ逃げ出した。
熊と間違えられてもおかしくない大柄の男が鎧まで纏って立ちはだかれば誰でも恐怖する。
「大丈夫ですか?」
「……は、はい。……ありがとうございます」
男は伯爵家の次男で、その武勇からナイトの称号を得ていた。懇意にしている貴族がそれを祝って開いた夜会だった。
この出会いを切っ掛けに二人は結ばれた。
「あなたは跡継ぎの必要はないからと言ってくれたけど……。私は、本当は子供が欲しかった。あなたとの子供であれば尚更だった」
フォルトの妻ソニアは愛おし気にその腕に抱いたシエルを見つめている。
「貴方との子供として、この子は大切に育てて見せるわ」
「ああ、二人で……この子が幸せな未来を歩めるように」
満面の笑みを見せる妻と、何も知らずに眠るシエルを眺め
——この子が一人で生きていけるようになるまで、何としても守り通す!
その命を神に捧げるが如く、強い誓いを立てていた。
「フォルト……シエルの事、頼んだぞ」
「御意」
深夜にシエルの死亡を偽装するためにラングは密かに屋敷を出た。フォルトはカエラムの護衛としてこの場に残ることになっている。だが、カエラムは必要に周囲を警戒していた。この男がここまで慎重になることは滅多にない。
「何か心配ごとがあれば増員いたしますが?」
「いやそうではない。周囲に人はいないな?」
「気配探知のスキルを使用しております。周囲に怪しい気配はございません」
「そうか……」
そう言うとフォルトの側まで近づき、意を決したように口を開く。
「シエルは……私の子供ではないのだ」
「……⁉」
訳が分からなかった。失脚のリスクを冒してでも自分の子とする意味はあったのかと。結果的にアンは死亡し、その子供も危険にさらされている。
「父親の名は明かせない。すでに亡くなっている。私は……彼からこの子を……この国のすべての悪意から守るように託されたのだ。だからこそアンも身を挺して……。これらの事実は王室にも伏せていることだ。」
益々わからなくなった。王権派の筆頭であるはずの宰相が王にも隠すほどの秘密があるのだろうかと?
「フォルト、おまえは幼少の頃から私を慕いついてきてくれていた。最も信頼する友人として頼む。私は今後、多少の犠牲を払ってでもあの子を守り通すつもりだ。お前も命を懸けてくれるか?」
軽々しく命を懸けるなど絶対に言わない人だと知っていた。どのような場面においても人命を優先させ、犠牲を避ける潔癖な宰相。理想を自らの力で叶えようと努力する姿をその眼で追ってきた。尊敬し今でも憧れている。
その彼に命がけの任務を下された。
「あの子を守り通すために……この命を捧げましょう」
この日、ようやく安堵の表情をみせ
「頼んだぞ、フォルト」
そう言うと鎧の上からでもわかる大きな肩にかけた手は震えていた。
「そういえば、名前も変えた方がいいだろう」
「お名前はどなたが?」
「名前は二人で決めたとアンが言っていたな」
「ならば、そのままにいたしましょう」
「……危険ではないか?」
「あの子から、名前まで奪うのは……あまりにも不憫です」
はっとした表情から小さな声で「そうだな」というと薄く笑みをこぼし
「お前には武術だけではなく、父親としても敵いそうにないな」
心底安心し、全身の力を抜いて椅子へ腰を下ろした。
カエラムは自分ひとりでは守り切れないと察したのだろう。しかし最も信頼する男に託すことが出来た。
自分は陰からサポートし、付け狙う犯人を追えば良い。
それでもアンを死なせてしまったのは自分の責任だと思っている。最良ではないと思いながらも、ひとりではこの方法しか思い浮かばなかった。早くにフォルトに打ち明けていればと後悔する。
母娘共々、守ると誓ったはずなのに、とも。
新たな誓いは過激派弾圧や子供がいる家庭への補助や減税など、王権国家でありながら完全に主権を握る長期政権の始まりとなった。
俺はシエルの周囲で起きる出来事しか把握できない。
だから事件発生から犯人を拘束し助けが来るまでに外で何があったのかは知らない。
養子に出される経緯やカエラムが実の父親ではないことは聞こえていた。
シエルは眠っていたし、起きていたとしてもわからないだろう。
あいつは自分の責任だと言っていたが、それは違うよ。
人間ごときがどうにかできる事なんて、たかが知れている。
あの時、シエルの声をちゃんと聴かなかった俺の所為だ。
ちゃんと聞いていれば母親を死なせずに済んだかもしれない。いや、俺なら助けられたはずだ。
あの時シエルは……、言葉も禄に知らない、この娘が必死になって願ったのは
——母親を助けて、だったんだ
俺はシエルを守りたい一心で、自分を守ってほしいのだと勝手に解釈した。
母親のことなんか気にも留めていなかった。単純に俺がこの娘を助けたいだけだった。自分の都合が良いように聞いてしまった。
浮かれていたのか、焦り過ぎていたのかはわからない。
確かな事実は、シエルを守ることはできた。でも願いを叶えてやることはできずに不幸にしてしまった。全部、俺の責任だ。
天の声としてやっていける自信がない。
辞められるなら辞めたかった。
——誰か代わりはいるのか? 代わっても大丈夫なのか?
そんな事を考えるのもシエルに申し訳ない気がした。
ただの人間でさえ、苦悩しながらできる事をやろうとしている。
——おまえの所為じゃないのに……
シエルが俺の声を聴けるようになるまで謹慎することにした。
聞こえないとわかっていても時々話しかけてみたりしていたが、今後は自粛する。
どんな危険があるかわからないから見守ることは続けるし、時が来た時には最大の恩恵を受けられるように準備はする。
幸いパラディス夫妻はシエルを大事にしてくれそうだった。フォルトが騎士団長であるため邸宅も王宮の騎士団詰所である通称“武宮”からは近く、カエラムのように通い詰めということはない。伯爵家の次男ながら庶民派で質素倹約を続けてそれなりに財力もある。
辛いことはあったが、シエルの今後のためにはリセマラ成功と思いたい。
無用な敵意や命の危険を伴う悪意からはしばらく遠ざかることになる。
生まれて3ヶ月で激動の波に攫われそうになったが、ここからは平穏に過ごすことになる。
シエルの成長が多くの人々を救う。
俺も救われるひとりになるなんて考えもしなかったけど。