官邸襲撃および誘拐未遂顛末と事後処理についてⅢ
「あの赤ん坊も一緒に死ねばよかったんだ!」
「いけませんぞ、坊ちゃま! 軽々しくその様な言葉を発せられては、御父上が悲しみます」
「でも……」
カエラムの長男トニリアスを祖父ほど歳の離れた初老の教育係が宥めつつ、窘めていた。
ある日突然現れた妹とその母親が事件に巻き込まれ、母親の方は死亡したと聞かされた。赤子の方は意識不明で医者の到着を待っている。
事件に巻き込まれたことはかわいそうに思うが、それ以上に彼女たちに対する憎悪が彼の中にはあった。
父親譲りの頭の良さは神童とまで言われる。それでもまだ5歳の男児には死というものが何かをはっきりとはわからなかった。
わからないが故の純粋さで心をざわつかせる人物が消えてくれるのであればなんでもいいと思っていた。
宰相官邸が襲撃を受けてから数時間が経過し、警戒態勢は維持しつつも追撃はないと判断されて避難していた人々は屋敷に戻っていた。
宰相婦人と子どもたちは大事をとって使用人たちと大広間に集まっていた。室内にも数名の警備兵がいて物々しい雰囲気であったが、大人たちは落ち着
きを取り戻しつつあった。
「このような事件が起こり、さぞ怖い思いをされたでしょう」
教育係は膝を折り、手を握ったまま真っすぐに視線が合う位置に降りる。
「貴方は御母上を本当に愛していらっしゃる。それと同じくらい、御父上を尊敬していらっしゃいますね?」
彼はしっかりとした意思を込めて教育係と向き合い、力強くうなずく。
「このご年齢から御父上と同じ宰相を目指して勉学に励んでおられるのは大変ご立派です」
この初老の教育係はトニリアスを宰相の子息というだけではなく、将来国の政治を担う者の一人として育て上げるつもりでいるため、あまり子供扱いはしないようにしている。だが、子供らしさも必要な道程である事を承知している。
「故にそのような思いは私めだけにお聞かせください。決して他の誰かに話すようなことは致しません。……苦しい胸の内を誰かに明かすことは、とても……とても大事なことですから」
「……うん、わかった。民を公然と憎んでいては父上のようにはなれない、ということでしょ?」
「その通りですトリニアス様! やはり貴方は賢い」
初老の教育係は目を細め、彼こそが王であると言わんばかりに褒めたたえた。
遠くで様子を眺めていた母がこちらを向いて微笑んでいる。
未来の宰相を目指す幼子は胸を張り、偉大な父の子であることを誇りに思う。
それと同時に彼の深い部分では、同じ父を持つといわれる赤子への憎しみが増していた。
トニリアスがシエル母娘をよく思わないのにはそれなりの理由がある。彼女たちが来て以降、自分の母が毎日のように泣き伏せていたこと。生まれた子供が自分たちの妹であると知らされたこと。はっきりと理解できたわけではないが、家族が壊れるような恐怖を感じさせる母娘に憤っていた。
今回の事件発生直後、彼は公務中の父が帰って来ることはないと思っていた。
だから避難から戻り邸内の窓から父の姿を見たときは心が躍るように嬉しかった。
きっと家族を心配して駆け付けてくれたのだと。
しかし父は真っ先に例の母娘のいる別館へと駆けていく姿を見てしまった。
「なぜですか……父上?」
期待した分、ショックはより大きく感じた。
それでも年齢以上に聡いこの男児は色々な理由を思いついてしまう。
父の裏切りを信じたくない気持ちが自分にバイアスをかけてくる。
「これだけの損壊があったのだからまずは事故の現場を視に行かれたのだろう。
もしかしたら何か重大なトラブルを見つけられたのかもしれないし……」
考えれば考えるほど胸を何かで締め付けられるように苦しかった。とうとう溢れてくる涙を我慢することが出来ず泣き出してしまった。
驚いた母と弟が駆け寄り、理由を問いながら抱きしめている。
安心し、今頃になって恐怖が蘇ったのだろうと誰もが思っていた。
トニリアス自身も泣き出した自分に驚いた。
これはきっとあの母娘がかけた呪いのせいなのだと思った。
ふたりはきっと、自分たち家族を、ヌビラム家を呪う、悪魔なのだと。