雲隠れにし 夜半の月かな
シエルは宿舎に荷物を置くと団員に連れられて施設の説明を受けていた。
ゼピュロス騎士団本部は西の国境線に近い渓谷に位置する。小さめの城のような外観に左右の切り立った山脈がまるで城壁のように守りを固めている。
東へ少し離れたところに都市もあり騎士団に必要なものは何でも揃っていた。大昔は西国との交易の中心として発展していたが、今は紛争の最前線になりえる騎士団を支えるために物資供給の要としてその機能を変化させていた。
「足りない物は街に行けば手に入るけど、あなたは暫く外出禁止って話だから兵站部に言ってくれれば揃えてあげるわ」
「はい、ありがとうございます」
案内をしてくれている女性は騎士団の事務職員だという。てっきり騎士ばかりで構成されているのだと思っていたがそうではなかった。騎士団の運営にも事務作業は必要で王都や他の騎士団との情報交換のほか団員の給与支払いなど仕事は多岐にわたり、戦闘要員の騎士や魔法士たちよりも忙しそうであった。
一通り見て回り最後に訪れたのは、狭い部屋が上昇下降し各階へ運ぶ魔道具が設置された場所だった。その魔道具に乗り込むとあっという間に最上階まで上がり、そこから階段で訪れた先は城の最も高い場所にある一室だった。
東西の壁は魔力が込められた透明な板がはめられていて西は戦地となるだろう渓谷の入口とそこから広がる平原、東にはここに来るまでに通ってきた都市が一望できた。
「わぁ……すごい……」
「王国内でも一、二を争う高さだからね」
シエルの前には他の団員とは少し違うデザインの制服にマントを羽織った騎士と制服は他の団員と同じだがやはりマントを羽織った騎士がいた。ふたりの側に控えるようにイルヴィアもいる。
「はじめまして、シエル・パラディス。私はゼピュロス騎士団団長カウコー・ルースだ。よろしく」
「副団長のファウオー・ルースだ」
「一応アタシも副団長だからね」
イルヴィアはウインクし挨拶代わりに手を降る。ファウオーはイルヴィアの態度を嗜めるために咳払いをするがシエルは自分に向けられたものと勘違いし慌てて姿勢を正して挨拶を始める。
「申し遅れました……本日からお世話になります、シエル・パラディスです。……よろしくお願いします」
きれいなお辞儀をして顔をあげるとカウコーの笑顔が目に入った。
「どこかのお姫様みたいな子がイルヴィア以上の実力の持ち主だなんてね」
「いや、まだ直接勝負はしてないし! 魔物狩りはアタシが勝ったよ?」
シエルは少し緊張していたがカウコーとイルヴィアのやり取りで少しだけ緊張がほぐれる。
「さて……あまり時間もないから本題に移ろう」
普段はないであろうソファーが部屋の真ん中に置かれていて、座って話そうと促される。
「騎士団預かりの経緯についてだが……まずは生徒たちを守ってくれてありがとう。辛い思いをさせてしまったが君の行動に敬意を表する」
カウコーと副団長ふたりも礼をする。唐突な謝辞に困惑する。
「それよりも辛いことが君にはあったのだろうが、私にそれを埋めることはできない」
「……」
シエルは少し俯いたがすぐにカウコーの目を見つめる。彼は少し安心したような顔で話の続きを始める。
「残念だが復学は難しいと思って欲しい。理由は今回の件とはまた別だ」
騎士団預かりになることを知らされたとき、もう戻れないのだろうと思いつつも心のどこかで諦めきれないでいた。それも今ここではっきりと告げられて胸が痛くなる。
「君をあらゆるものから保護する必要があると判断したからだ」
復学できないショックを隠して今は彼の話を聞こうと気を持ち直す。
「まずは会わせてくれないだろうか? 君の天の声に」
動揺を隠すために真顔でカウコーの方を向いたのが良くなかった。希望を絶たれて少し俯いて泣きそうになるのを堪えてからだったから反応したも同然だった。
「もう隠す必要ない。……と言っても私たち3人とフラムの間だけ、なんだけど。試験に写っていた映像は事件の証拠として抑えているから他の誰かに見られることはない。……王都にもまだ言っていないし……君たち次第では秘密にしていようと思う」
「何故そんなことを? お前が王都や他の誰かに売らない保証はないだろう?」
背後から声が聞こえカウコーとファウオーが振り返ると夜空色の髪に深遠の蒼と黒の瞳を持った人物が居た。また別の方向から女性の声も聞こえる。
「シエルさんを守るためとはいえ、そんなに攻撃的になってはいけませんよ。貴方様らしいといえばそうですけど」
イルヴィアの傍らにはクロリスが居た。またもや突然現れた存在にファウオーが剣に手を掛けるが直にカウコーが制止する。
「お二方ともお初にお目にかかる。あなた方のお名前をお聞かせいただけないだろうか?」
「ごめん、アタシが話したんだ。映像見ながら問い詰めるとか意地悪されてさ」
「人聞きが悪いなぁ」
「団長は性格良いけど、意地は悪いよ。……まぁでも、本当に良い人だから信用しても大丈夫」
「テコ……ヴィア先輩のことなら……信じられるよ?」
クロリスは相変わらずな愛想のいい笑顔を振りまいており、それを見たテコは深いため息が漏らす。
「わかったよぉ……。俺はテコ……シエルの天の声だ」
自己紹介しながらシエルの横に腰掛ける。
「これ以上シエルを傷つけるような事があれば俺がそいつ等を滅ぼす」
3人は明らかな殺気に思わず構えようとするが動けなかった。向けられた殺気がわずかであったこともあるが直感的に抵抗しても殺されるイメージしか沸かなかったからだ。
それでもカウコーは顔色を変えずにテコに語りかける。
「それはちょっと怖いな……これから話すことにもつながるかしれない。それでも……君になら乗り越えられると思っているよ」
テコではなくシエルを見つめて笑顔を向ける。
「あ、テメェ、コノヤロー! シエルに色目使ってんじゃねぇぞっ!!」
「あはは、君の一番の沸騰ポイントはそこなんだね」
大笑いするカウコーにシエルも釣られて声をだして笑ってしまった。
――笑ったのは久しぶりだな……
「で、俺に話って?」
「ああ、そうそう……。テコくんのことはまた改めて話をしよう。今日はもう時間が来てしまったようだ」
呼び出しといて時間が来たとは随分と勝手だと思ったがある気配を感じて今は何も言わずに従うことにした。
「シエルくんは今日一日、私が許可するまでこの部屋に居てもらう。何があってもここから出てはならない。ベランダで外の様子を見ることは許可しよう。だが飽く迄もこの部屋の中にいることが基本だ」
「……ここから出たらどうなりますか?」
「うーん…そうだねぇ……」
「いや、考えてないのかよ」
「じゃあ、こうしよう。ここから一歩でも出ずに居られたら……私の権限で君の復学を認めよう」
思ってもみない提案に驚き声も出ないほどに嬉しかったが同時に疑問も湧く。
「でも、さっきは無理だと……わたしの所為で迷惑がかかるからじゃ……?」
「言っただろう? 私の権限でなんとかする、と」
納得はできないがシエルにとっては魅力的な提案ではある。テコにもどうするか聞いてみる。
「……俺は信じてみるよ。……こいつが何を企んでいるのか知らねぇけど。あとはお前が決めれば良い。……簡単な試練じゃないことだけは確かだからな」
少し考えたあとシエルはカウコーに告げる。
「わかりました。許可が下りるまでここに居れば良いんですね」
笑顔で頷いたあとカウコーは立ち上がり東側のベランダに来るよう促す。
そこでシエルはカウコーが指さす方角に驚きの声をあげる。
「……⁉️ なんで? …………みんな……」
騎士団本部の正門前には四人の姿が見える。それは見覚えのある制服を纏った男女の姿だった。
「みんな行くわよ。……シエルを連れ戻しに‼️」
ゼピュロス騎士団本部を前にして、セレナ、グーテス、ソルフィリア、そしてルゥの四人が並び立っていた。




