フラッシュバックⅦ
風呂は用意できたが身体を洗うための石鹸などがなかった。それでもたっぷりのお湯で汚れを洗い流して湯船で温まるだけでも彼らにとっては贅沢に思えた。
「すげー! 使っても使ってもお湯がなくならない‼︎」
初めは風呂に入る事を嫌がりシドとソージに無理矢理に連れていかれ泣きそうだったビシーも無尽蔵に溢れてくるお湯を面白がり喜んでいた。
犬系獣人のビシーはふわふわの毛並みと短い尻尾が特徴的な男の子である。だがそれ以外はあまり獣人の特徴は見られない。それはビシーが人間族との混血だからであった。何代にも重ねられた血筋であったが、それを確かめる術はないし、本人が知る由もない。
彼は生まれてすぐに捨てられ物心つくまでどうやって生きてきたのかわからない。
気が付いたら今の仲間と共にいた。
王国と共和国、そして帝国との三竦みの戦争は膠着状態が続いていた。
ある日、共和国は魔法兵器による攻撃を王国内の街に向けて放ちいくつかの街が滅んだ。彼らが住む教会がある場所も滅んだ街のひとつだった。
共和国は南の獣人国にも同じように兵器を使い奴隷とするために街を焼き払っていた。
国境付近での度重なる惨劇で多くの人たちが住む場所を追われ、逃げ出してもなお命の危機に晒されていた。
その様な状況下で同い年のエファとソージは別々の場所で戦火に追われて親とはぐれた。
エファは国境付近で奴隷商に捕まりそうなところをソージに助けられて今の教会に逃げ込んだ。何日か耐えたが食べ物どころか水もなく、意識が朦朧とし気を失う前にマリアに助けられた。
マリアは戦火から逃れ王国に移り住んでいたが政治的な理由で国を追われ、行くあてもなくかつて住んでいた教会に戻ろうとしたところでシドに出会った。
彼はマリアを見つけるなり助けを求める。
自分自身ではなく焼き払われた街に困っている子供たちがいるから一緒に助けてほしいと。
彼の言に従い訪ねた先には今にも命の火が消えそうな子供たちがいた。
同じように行き倒れていたディーレを助け、大勢の野盗に襲われていたアーラもシドが救いマリアと共に連れ帰った。
こうして彼らは僅か一週間で鎮圧された共和国の暴挙によって国を追われ、今は廃墟となった街の教会で不安を抱えたまま身を寄せ合い暮らしている。
子供たちは風呂から上がるとソルフィリアを囲んでいた。
「ねえちゃんスゲーよ! どうやって作ったんだよ」
「おゆがわーってなって、すごーい」
興奮気味の年下組が矢継ぎ早に質問攻めにし困っている姿を見てシエルとテコは喜び合った。
問題がたったひとつ解決したに過ぎないが、長年どうすることも出来なかった問題をいとも容易く解決できた。信頼できる仲間ができた。その仲間を頼って良かったとシエルは心から思う。
「フィリアには本当に感謝しかない。ありがとう」
照れながらもシエルと子供たちの感謝の言葉が嬉しくて笑顔で応えた。
「火と水の魔石を組み合わせて水の生成まで付与する機構とか普通考えるか? しかもあんなサイズなんて世界がひっくり返るぞ」
テコも嬉しそうに偉業を讃えるが、そのアイディアを具現化できるように支援をしていた。相反する属性を組み合わせて作る魔道具はいくつか存在しているが、精密な計算をしないといけない。しかも実験もせずにエーテルによる具現化能力を使ってはこの世界では初だった。
「天の声を具現化することばかりに気を取られていたけど、こういう使い方もできるのね」
「ああ、でも普段使いのものには適さないぞ」
これほどの魔道具も創り出せるなら何でもできてしまうのではという期待感があったが、テコはそれを否定する。
「今回は魔道具だからできたと言っていい。例えばこのテーブルを作ったとしても、構成材料が魔力素子だからいずれ崩壊し形を保てなくなるだろう。それが何年持つのかはわからないから、普通の物と変わらない寿命かもしれない。でもやっぱり木や鉄で作ったものとは同じにはならないだろう」
なるほどと相槌を打ったグーテスが話を繋げる。
「確かに骨董品なんかは何百年と状態を維持した物もあります。形だけではなくそのモノが持つ特性や質みたいな物を維持したまま。それがエーテルで作られたモノではできない可能性があると」
「あくまでも即席で作ったモノに限るけどな。エーテルでも丹念に作ればどうかは分からない。それでも誰かの命や想いが込められて作られたモノの方が価値があるって信じたいだけ……なんだよな」
テコの特別な存在感のせいでヒトとは違う何かだと思うようなところが皆の中にはあった。それがここ数日一緒に過ごす事でヒトと同じように感情があり、何かに悩み思うことがあるのだと分かり始めていた。
得体の知れない恐怖を内包した不思議な存在はシエルと共に仲間に馴染み始めているようだった。
各々が楽しいひと時を過ごし最年少のミィがうとうとしだしたので、シドが寝室に運ぶために立ち上がって抱き上げた時だった。
「皆んなここで静かにしていろ!」
テコの強みのある言葉に気圧され子供たちは驚いたが咄嗟に口を押さえ声は出さずに済んだ。
「何、どうしたの?」
セレナが小声で尋ねる。危険を察したのかルゥはドアの前に素早く移り壁を背にして待機する。
「近くに複数人……10人ぐらいか? 怪しい奴らが近づいている」
一気に緊張が走るがシドはミィを抱き抱えたまま冷静に尋ねる。
「騎士団の見回りではなく……ですか?」
「ああ……人間の反応がひとつしかない。……なんだこれは? 動物でも魔獣でもない」
テコがここまで警戒するのだからただ事ではないことはすぐに理解した。自然と子供たちのそばに集まり守るように囲んでいた。
「テコ」
シエルの呼びかけに応じるように指示がとぶ。
「セレナとフィリアはここでこいつらを守ってくれ。グーテスは礼拝堂、ルゥは裏口で待機。俺とシエルで様子を見てくる」
テコの指示にそれぞれが頷きルゥが静かにドアを開けて裏口へ向かうための階段へと進んでいく。静かに音を立てずに、死角になりそうなところで止まっては確認しながら進んでいく。
グーテスも後に続こうと廊下に出た瞬間にテコが声をかける。
「グーテス。俺たちが出たら建物全体を障壁で覆え。念の為、魔法防御もな」
「お二人が帰ってきた時の合図は?」
「クロリスに伝える」
グーテスはちらりとクロリスを見ると任せてと目で合図してくれた。もう一度テコに目を合わせてす頷いてからルゥの後を追った。
「クロリス、イルヴィアに知らせてくれないか」
「はい、すでに知らせていますのですぐに来られるかと」
「わかった。ありがとう」
そういうとシエルとふたりで部屋を出ようと扉へ向かう。そこにシドが駆け寄ってきた。
「俺は……俺にできることは……?」
長兄としての彼には皆を守る義務があると漏らしていたことを思い出す。
責任感の強い彼だからこそ緊迫した場面ですぐに立ち上がる。
テコとシエルは顔を見合わせてやっぱりなという表情で思わず頬がゆるむ。
「お前はここでチビたちを守ってやってくれ。先生もいるし、この人数だからな」
「ぼ、ぼくも! ……し、師匠みたいに強くなりたいから……」
ソージが立ち上がり震えながらもシドの隣に立っていた。皆が驚いている中、シドが彼の肩に手を置くとソージの震えは止まる。
「わかりました。俺たちに任せてください」
「ああ、頼んだ」
そういうと二人は教会を出て暗闇へと消える。
雨は止んでいたが雨雲の所為で月明かりは消されてあたりは真っ暗であった。
教会から少し離れた場所、元々街であったところでいう境目に小さな林があった。林といっても背の低い木が数本あるだけで半数は枯れ果てて根元しか残っていない。
それでも騒めきながら怪しい気配を隠していた。
「おい、そこにいるのは誰だ?」
テコが声をかけるが返答はない。
だがこちらを伺う複数の視線は確かにあった。
「テコ……」
シエルが声を発すると微かに木々の間から気配が漏れ出し、奥から声が発せられた。
「何だよ……騎士団かと思ったら……女がいるじゃねぇか」
男の声と共に数人がゾロゾロと林から出てくる。
ちょうど空を覆っていた分厚い雲が切れ目を見せ、そこから月明かりが差し込む。
月明かりは林から現れた集団を照らし、その姿をはっきりとは見ることはできずともヒトの形をした違う何かである事はわかった。
体の一部が腐り落ち、表情は生きた人間の精気を感じられるものではなかった。
たった一人を除いては。
「【灯火】」
シエルの照明魔法があたりを照らすと数名のゾンビのような男たちが武器を構えていた。
その奥には冒険者風の鎧を纏った中年の男が立つ。恐らくはこの集団のボスであろうことは一目でわかる。この男だけは生きた人間であった。
「ほほぅ……まだ若いがイイ女じゃねぇか。……もう一人は……男か? 女か?」
「どっちでも良いからボス、俺たちに食わせてくれよぉ。何日も人を食ってなくて腹ペコなんだ」
「金髪の方は楽しんだ後に売り飛ばすから片方をやる」
「ぐへへ……久しぶりのメシだ」
テコとシエルに男たちの会話は聞こえていなかった。
それ以上の衝撃が二人には走っていたからだった。
「テコ……この人たち…………うそ……だよ、ね? 見間違い……じゃない、よね?」
「……」
テコにシエルの声は聞こえている。聞こえているが信じられない光景に流石に動揺を隠せずにいたが並列で働く思考が冷静さを取り戻す。
「お前たち……15年前の官邸襲撃事件を知っているか?」
男はテコの問いかけに興が乗ったのか茶化すように答える。
「お前らそんな昔のことを知っているのか? 勉強熱心だな。関心関心」
そういって手を叩いて笑い出す。
「知っているも何も、随分と話題になったからな。あれの所為でテロリストも民衆の抗議も一緒にされて平民は弾圧の一途だからなぁ。可哀想なことをするよなぁ、クソ貴族どもは?」
男はまたもや噛み殺すように笑い冷たい視線を向ける。
「あれは貴族どもが勝手にやっていることで俺たちは悪くない。……そう、俺たちは命令されただけだ。だから……俺たちが官邸を爆破して王族の子供を殺しても……何も悪くないんだ‼︎」
男の叫びに応じるように周りのゾンビだちも大笑いをし始めた。
「やっぱり……この人たちはわたしが捕まえた……産んでくれたお母さんを……」
「おい、お前らはなんで生きている? 死刑になったんじゃなかったのか?」
男たちの笑いはぴたりと止み静かになる。
「いいとこを突くな、お前。いいぜ、優秀なお前には特別に教えてやろう。俺は死霊術式を扱える。こいつらは一度死刑になり埋められたが俺が死霊術でゾンビにして蘇らせた。普通のゾンビは自我が消えて術者の命令だけを聞くが、俺のは特別でね……こいつらに自我が残っている。15年前の記憶はわからねぇがな」
「覚えてねーな」
男たちはまたもや笑い出す。死ぬことがないゾンビ兵に自信があるのか、人数的有利の為か、どこまでも余裕で警戒している様子が一切みられなかった。
「この人たちが……」
「シエル……俺は構わないが…………本当にいいんだな?」
「終わったことだと思っていたけど……やっぱり許せなくて……このままだと」
テコはシエルの後ろに下がり見守るように立つ。
「奥のあいつだけは捕える。あいつが恐らく……警備隊の隊長だった男。ギルドを裏切り虚偽の報告で撹乱させた逃亡中の指名手配犯だ」
テコの言葉を聞き終わり一呼吸入れると両の剣を抜き構えた。
今度は一呼吸も終わらずに激しい雷鳴があたりに響きゾンビたちを切り裂き、一部は炎を上げ始めた。
「な……⁉︎」
男の目の前にはすでにシエルが立っていた。
その手に握った剣は首筋と心臓を今にも貫かんと突き立てられていた。
「お、おい……悪かった。い、命だけは……」
「あなたのせいでお母さんは……」
「おまえ、何を言って……? まさか⁉︎」
言い終わらぬうちに男は麻痺させられ魔法縄で拘束されてその場に崩れた。
途切れていた厚い雲は再び夜空を覆いつくして冷たい雨がポツポツと降り始めた。




