課外授業Ⅸ
森の奥へ、奥へと進み続ける。生い茂る木の影で薄暗くより一層妖しい雰囲気が漂っている。
それでいて時折差し込む陽の光が幻想的に踊る。
グラデーションのかかった霧が現れては消え、その度に森の様子は変わっていく。
魔宵の森が“迷いの森”とも言われる所以だ。
ホーンボアとシルバーウルフの群れとの連戦のあと、角に火を灯した鹿“トーチディア”や、嘴が大きく翼が小さい空飛ぶ短剣のような姿の“ダガーバード”とも遭遇。ルゥ達四人は辛うじて自分達の力だけで討伐できたが、流石に慣れない力を使い、出会ったこともない野生の魔獣たちと戦い続けてついに倒れ込んでしまった。
「おいおい、情けないなぁ……。シエルは8歳ぐらいの時にはこれぐらいは余裕だったぞ?」
そんなことは無いとシエルは首を振っているが、その様子はイルヴィアしか見ていなかった。
息を切らせながら座り込んでいるルゥが必死に反論する。
「……そこの……バケモノと……、一緒に…………するんじゃ、ねぇよ……」
ルゥと前衛で動き回っていたセレナは特に消耗が激しく、言葉を発するのも辛そうにしている。
「少し休憩にしない?」
テコにそういうとシエルはセレナの方へと駆け出す。
後方支援のグーテスとソルフィリアはまだ体力が残っているようだったが辛うじて立っているような状況だった。
「いきなりは無理だよ、テコ。この先の泉で少し休もう?」
シエルがセレナに肩を貸して立たせる。ソルフィリアも反対側から支え歩き始めた。
ルゥはグーテスが差し伸べた手をとって起き上がる。
「騎士団の訓練よりスパルタだね」
とイルヴィアは笑っていた。
少し歩くと泉が見えてきた。上から見れば新円を描く、どこか人工的に作られたような泉だった。
そこは陽の光がたっぷりと差し、水面がキラキラと色とりどりの宝石を散りばめたように輝いていた。
4人は配られた水筒の水を口にするが、それだけでは疲労が抜けるわけもなく座り込んで動けなくなっていた。
「……今日はここまでかな?」
流石のテコも4人の様子を見て引き上げを考える。
「えっ、もう終わり? アタシはまだ何もしてないんだけど?」
「そう言われてもなぁ……。元々お前は付き添いだろ? 課題だってできてないんだし……」
「できるよ」
ニヤッと笑ってみせると目を瞑り集中し始めた。
「いや、できるよって……。え、できるの?」
直接的に課題としたわけではないが、彼女のもつ天の声——クロリスの具現化ができるようになれとは伝えた。
他の4人とは違い、身体能力も技術も桁違いのモノを持っている。中にはスキルの恩恵もあるかもしれないが、この国で最強の一人であると云われている彼女に教えられることはあまりないと判断しての事だった。
4人の戦いを見守りながら具現化の方法を考え、どうすれば出来るのかを試していたのだろう。
大量のエーテル素子がイルヴィアの周りに集まり渦を巻くように手元に圧縮されていく。始めは球体であったものが徐々に小さな人の形を成し始め、やがて輪郭がはっきりとわかるように形成されていく。
白く輝く姿は彫刻のように美しく、森の中にあって水面が煌めく泉のほとりに立つその姿は女神が降り立つかのように神秘的な光景だった。
女神像に周囲のマナが注がれ、生きているモノがもつ“質”を与えられ、徐々に“存在”が濃く、強められていく。
降臨した女神が陽より強い光を放つとあまりの眩しさに皆目を瞑ってしまう。
ゆっくりと目を開けるとそこには女神が降り立っていた。
明るい栗色の髪に瑠璃色の瞳。透き通るようでいて確かな存在感は周りの暗い緑によく映え、さらに輝いて見えた。
誰もが——テコさえもが見惚れる程の神々しい美しさを持った女神がそこにいた。
女神の口が開き、その声が静かな森に響く。
「どーもぉ! イルヴィアの天の声をさせてもらっていますクロリスでーす! ウチのイルヴィアがお世話になっておりますー!」
「ノリが軽いんだよっ! 厳かな雰囲気作っておいて自分で壊すんじゃねぇよ‼」
「いやー、折角ですから早くお近づきになった方が良いと思いまして」
自分の頭をこつんと叩いて舌を出している。
——どう返せばいいのだろう…………
見た目の雰囲気とのギャップにあっけに取られてしまい、同じ事を全員が思いながら目が点になっていた。
疲労で突っ込む元気をなくしているルゥとセレナでなくとも台無しだと感じている。
「皆さんとは初めましてですので一生懸命考えたのですよ。ちゃんとおめかしもして貰いましたし」
嬉しそうにイルヴィアに微笑む姿は子供が新しい洋服を買ってもらった時のようだったが、笑顔を向けられた側は苦笑いでため息をつく。
「ほんと注文が多くて困ったよ。セレナがするのを見てできそうだったけど、髪の色や服装まで指定するから。普段とのイメージの違いが大きすぎてさ……参ったよ」
困らせた元凶は嬉しそうに微笑むだけで全く反省の色が見えない。
「まぁでも……やっと会えたね。アタシたちだけじゃ方法はわからなかったから助かったよ。……ありがとう」
「ありがとうございました」
二人から感謝され少し照れくさそうに顔を背けるテコを見たシエルが代わりに「どういたしまして」と返事をする。
クロリスも天の声でありながらスキルを身につけていた。
回復魔法のように疲労を癒す風でセレナたちは元気を取り戻す。
「すごい……一日休んだ後みたいに疲れが消えちゃった」
「傷を癒すのではなく溜まった疲れを癒すだけですが、訓練には丁度いいかもしれませんね。ヴィア……彼女はこれで訓練し続けていましたから」
座り込んで息を切らしていたのがウソのような感覚を不思議そうにしながら手足を動かしているルゥが小声で呟く。
「すげぇ……これなら一日中訓練したって……」
これをテコが聞き逃すはずもなく、
「ほほう、ルゥくんはスペシャルメニューをご所望かね?」
「っ!? いやそれは……」
二人のやりとりに笑いが起き、クロリスも目を細める。
——良い仲間を集められましたね。貴方様も元気になられて良かった……
「さて、課題はクリアしたし、アタシとシエルで狩りの続きをしようか?」
「わたしと?」
「4人は疲れがとれただけで体内のマナは回復していないから。まだ戦える状態じゃないよ」
「えっと……どうしよう?」
ニヤニヤしながら期待の眼差しでテコの指示を仰ぐ。
テコは4人の顔を順番に見て頷き、イルヴィアの提案を受け入れた。
4人で苦戦していた魔獣が瞬殺されていく。
疾さを競うように“疾風”と“迅雷”が魔獣たちの間を駆け抜けていく。
あっという間に森の奥へと消えた二人を追うこともせず、テコはクロリスに話かける。
「さて……実体化した気分はどうだ?」
「なんだか不思議な気分ですね。……魂とも違う……存在だけだった私がこうして現世に居るとは……」
「完全な自由じゃないけど、不自由もしないし結構面白いぞ」
「ヴィアとお茶をしてみたかったのでとても嬉しいです。……あっ! あの時の約束は覚えてらしゃいますか?」
「約束?」
「ほら、第3話でお別れするときの!」
「メタいこと言うんじゃないよ。……そういえば何か言ってたような……まあ、考えとくよ」
絶対ですよと嬉しそうに微笑む。
その姿を4人は不思議そうに見ていた。
「ねぇ……貴方たち、知り合いなの?」
セレナが尋ねてきた。死にそうな顔をしていたがすっかり元気を取り戻している。
「あたしのグラウリとも知り合い?」
テコとクロリスは顔を見合わせると一緒に首を横に振った。
「俺の知り合いはクロリスだけだな」
ソルフィリアはテコの時とは違いクロリスには怯えた様子もなく普通に話しかける。
「人型…といえば失礼かもしれませんが、形態としては珍しいのでしょうか?」
彼女の質問に腕組みしながら唸っているテコの隣でクロリスが同じ格好で真似をしている。
「正直、知らん!」
「私たちはちょっと特殊だと思っていただいた方が良いかと。ただ……天の声を具現化すること自体が異常ですし、あなた方の持つ私たちのイメージや特性が現れているのかもしれませんね」
何となく納得させられた感じはするものの、それ以上の答えもないだろうと雑談を始めた。女子3人は髪が綺麗だの何だのと話はじめ、男どもは会話について行けずにうんざりした表情で見守るだけだった。
程なくしてシエルとイルヴィアが帰ってきた。
「じゃあ俺は後始末にいってくるわ」
「うん、よろしくね」
シエルに見送られあっという間に森の奥に消えていった。
「ねぇ……彼もさ、強いの?」
「テコはわたしより全然強いですよ!」
「へぇ……今度手合わせ願いたいなぁ」
「……ヴィア先輩と二人がかりだったら勝て……なくてもいいところまではいけるかなぁ……」
何気ない会話に全員が驚きの表情を見せた。
「……あいつ、そんなに強いのか?」
「今までで一度も勝てた事ないです」
「嘘でしょ……?」
国内最強の騎士と二人がかりでも勝てないと聞いても噓のように思ってしまうが、規格外の力をもつシエルが手も足も出ないと聞くと驚きを通り越して呆れてしまう。
クロリスも今のテコの実力は知らないが察しはつく。
「あのお方ならあり得そうですね。それでもヴィアとシエルさん二人がかりでもですか……」
流石のクロリスも引いてしまっているが納得の表情もしている。
「何の話してんだ?」
いつの間にか帰ってきていたテコに皆が驚き視線を集中させる。
「おかえりー! 回収できた?」
「もう帰ってきたの? 結構なところまで行ってきたはずだけど」
「途中で引き返してきたんだろ?」
「ん? ちょっと多かったけど全部回収してきたぞ。見るか? 当分は狩らなくても大丈夫だろう。……にしてもイルヴィアは流石だな。でもあまり森を傷つけすぎないでくれよな」
調子に乗って森の奥の方で大木を数本切り倒してしまっていた。そこから引き返してきたからテコがちゃんと奥までいったことがイルヴィアにはわかった。
——あの距離を、こんな短時間で往復したんだ……
初めてシエルを見た時も胸が躍ったが、今は恐怖すら感じるほどであった。
騎士団にも強者が多くいて嬉しかったが、今はそれ以上の喜びが心を覆っていく。
「ヴィア。今日はもう終わりにしましょう。またすぐに機会に恵まれますから」
激しい嵐がそよ風に変わっていく。
クロリスは優しくイルヴィアを諭し、我に返した。
「……うん、そうだね。今日じゃないかも。クロリスともいっぱい話したいし」
「じゃあ帰るぞ」
そう言うと巨大な魔方陣が全員を捉え、馬車を繋いでいた大木まで転移した。




