共和国探訪 side C 1-7
全ての志願者が結果を知らされて解散するなかで、ヘルマだけが放心して佇んでいる。
訓練用の広場はかなりの広さがあって遠くが地平線のように見える。その地平線に陽が沈んで行くのをヘルマは眺めていた。
「ああ……、落ちたぁ……。俺はこれからいったいどうすりゃいいんだよ……」
軍の兵士が様子を見にきては帰るように説得するが、ヘルマは聞く耳を持たない。耳に入っていても言葉を理解していない様子だった。
「あれ、どうします? 無理にでも外に放り出しましょうか」
何人かの兵士が心配、あるいは迷惑そうにヘルマを見ている。彼らのそばに試験官のダンカンもいた。
「そんなに入隊したいものかねぇ」
「給料はいいからな、まともな仕事に就けないならなおさらだろう。人の迷惑考えないようじゃダメだろ。ねえ、ダンカン少尉」
試験はただの体力測定だからそれだけなら申し分がない成績だった。しかし兵士には協調性などの適正が求められるため、ヘルマにはそれがないとして不合格になった。
「確かに志願兵試験に落ちてあんな風に棒立ちになる奴は向いてないですよね。逆に良かったんじゃないですか」
兵士たちの声に押されるように一歩進み出る。
「そうだな。だがこのままにはしておけないだろう。俺がなんとかするから皆はもう下がってくれ」
ダンカンは兵士たちに告げるとヘルマの元へと向かう。兵士たちもそれを見て引き上げていった。
「ヤベェ、絶対アルにバカにされる…………。ありえんくらい笑われて一生擦られ続けるぞ。……いや、でもなぁ……どうすりゃ良いんだよー‼︎」
その場にしゃがみ込んで頭を掻きむしる。奇行が極まってきたところでようやく声をかけられていることに気がつく。
「は? オッさん、何?」
「やっと気がついてくれたか。君、大丈夫か?」
「大丈夫……、な訳ねぇだろう⁉︎ どうしてくれんだよ、オッさん! 俺の計画が丸潰れじゃねぇかよ。なんとかしてくれ!」
声をかけたダンカンは捲し立てられても冷静でいる。
「兵士になりたいのには理由があるのかね?」
「ん? ……ああ、まあどんなところか興味があるだけ……」
「その程度の志であれば辞めておいた方が良い。君の能力は素晴らしい、いや驚愕したよ。ズルをしたってあんな成績は残せないだろう。その力は別に使ったほうが良い。……別に使って欲しい」
試験中のダンカンは士官らしく厳しい目で志願者たちを見ていたが、今は優しいただの中年の男性に見える。
まるで我が子を見るような目だが親の愛情を知らないヘルマには分かりようがない。それでも気遣ってくれていることはわかる。
「マインドだけの問題か? 志願兵なんかどうせ使い捨てやろ。何でわざわざ試験なんかして——」
「バカを言うんじゃない!」
話している途中だったが強い語気で遮られる。
「使い捨てなわけがあるか。誰であろうと命は一つなんだ、決して無駄になんてしてはならない。……しては、ならないんだ……、本当は…………」
ダンカンは込み上げてくるものを抑えるために歯を食いしばり、拳を固くする。
「まぁ何があったか知らんけど、元気出せよオッさん」
ヘルマはダンカンの肩に手をおいて反対の手で親指を立てる。
「って、なんで俺がオッさんを励まさなあかんねん!」
「ははは、元気が出たようで何よりだ、ありがとう。君ほどの優秀な能力を持った若者はきっと軍の都合の良い駒に作り変えられる。俺は何人もそういう奴を見てきた、だから君を試験に合格させるわけにはいかなかったんだ。これは俺のエゴだ、……すまない、許してくれ」
優秀な人間に対して共和国軍の中枢は何かをしているのだろう。それが何かわからなくても、碌でも無いことだけは予想がつく。
きっとロージアが受けたような事だと思うと怒りで一瞬だけ緊張を走らせてしまう。常人では感知できないそれをダンカンはヘルマが余計なお世話だと受け取ったと勘違いする。
「理不尽な目に遭って怒る気持ちはわかる。だが後悔する前に……」
「いや別に怒ってねぇよ。マジで共和国軍はクソみたいことしてんのかって思っただけだ。だけどオッさんみたいな奴も居ることには驚いたわ」
ヘルマの居丈高な態度は相変わらずだが悪いやつでは無いとダンカンは思う。そして軍に入れてはいけない男だと改めて思う。
「オッさん、俺腹減ったわ。金ないから奢ってくれよ」
突然の無心にダンカンはヘルマのことをつくづく大物だと思う。
「良いだろう、俺もこれから非番だからな。そうだ、俺の家に来るか? 美味いものを食わせてやれるぞ」
「マジか! じゃあ行こうぜ、早く」
ダンカンはイ―マイム出身だが軍に入ってからは各地を転々としていた。教導官として新兵や臨時で採用した兵の訓練をしているうちにイーマイムに戻ってきた。
「妻と子供を残して転戦していたがここ10年ぐらいは今のイーマイムにいる」
「今の?」
「ああ、ここは獣国の領土だったが俺たちが侵略したんだ。イーマイムを拡張して奪った土地を自分たちの物にしてしまった。獣人だから良いなんて思わないが、それでまともな暮らしができるようになったやつもいるんだからやるせねぇよな」
「昔は生活苦しかったんか?」
「ああ、獣国と仲良くしていただけで冷遇され続けていた。元を辿れば俺たち共和国と獣国は良き隣人だったんだ。それをイーリア教の奴らが獣人は悪だ、ニンゲンに隷属する存在だとかなんとか言いやがるから軍もそれに乗せられてな」
深いため息に憤りと諦めが混じる。
「あなた、久しぶりに帰ってきたと思ったら愚痴ばかりこぼして」
ダンカンの家に着くと彼の妻は見ず知らずの若者を連れて帰ってきたことに文句を言っていたが、いざもてなすとなると火がついたように料理を次々と作っては運んでくる。それをヘルマは「美味い」を連呼しながら胃袋へ収めていく。あまりに気持ちの良い食べっぷりが気に入ったようでリクエストまで受付けはじめ、ついにはダンカンにヘルマを見習えと言い出す始末だ。
「なんだかあの子が帰ってきたみたいで嬉しいよ」
「あの子? オッさんとこの子供か?」
「ああ、1、2年ほど前に出ていったきり帰ってこない。たまに顔を見せているようだが」
「あの子は昔から軍が嫌いで、この人に早く辞めろとうるさくてね」
「10代で入隊してから俺にできることは他に無い。家族を食わせるにはこれしかできなかったんだ。さっき話した獣国への侵略戦はあいつを相当傷つけてしまった。だが、国からの命令に俺一人が逆らったところで……」
ダンカンは遠い目で酒を少しずつ飲む。
「あの戦争を知らないのならヘルマ君は南部の出身じゃないのね。どこから来たの?」
流れで話を聞いていたがまさかダンカンの妻から何者か問われるとは思わなかった。兵に志願した手前、王国からきたとは言えず、ましてや騎士団所属など口が避けても言えない。だが演技も嘘も下手な自覚があるから誤魔化し方がわからずに冷や汗が流れそうになる。
「どこだって良いじゃないか。志願して兵になろうって奴は傷の一つや二つあって当然なんだ。だからって彼は悪い奴じゃない。俺は人を見る目だけはあるんだ」
「ふふふ、またその話かい? 酔うといつも『俺は数千人の兵を見てきた。だから一目見ただけでそいつの人となりがわかる』って話を何十回もするんだよ」
「ははーん、オッさんそうやって奥さんオトしたんか? 絶対そうやろ?」
「バ、バカを言うな! からかうんじゃない」
「照れんなや」
酒に酔った顔が更に赤くなるダンカンを見て彼の妻が楽しそうに笑い、この流れで上手く話を逸らせた。しかし大半はダンカンのフォローのおかげなのだから裏切りも甚だしい。
「なあ、これからどうするのか考えているのか?」
裏切られてなおダンカンはヘルマを気にかけてくれる。ここまで来るとお人好し或いはお節介な世話焼きに思える。
「いや、なんも考えてへん」
「そうか、軍施設内の雑用係なら紹介してやれるがどうだ? 掃除に荷物運び、料理当番などだが量が多いから割と重労働だぞ。それに普通にしていればお前さんの実力が上層部にバレることもないだろう」
「マジか! 紹介してくれよ」
軍施設への潜入が目的だったからダンカンからの誘いは願ったり叶ったりだ。
「よし、じゃあ明日俺と一緒に来てくれ。一応、面接みたいなものはあるが形式だけだ。あそこは万年人手不足だからな」
「いや〜、助かるわ。ホンマありがとう、オッさん!」
「いい加減、オッさんはやめてくれないか?」
翌日、ヘルマはダンカンに連れられて軍の施設へ向かう。同じ敷地内だが、そこは前日の訓練場からは遠く離れた場所で町に近いところにある倉庫が並ぶ区画だった。
「ダンカン少尉の紹介なら間違いないだろう。今日から早速働いてもらってもいいかい?」
「勿論っす! よろしくお願いしやっす!」
「……お前さん、なんでここでは横柄にならないんだ。いや、それが普通だが」
愚痴りながらもダンカンは一人の有能な若者が軍の良いように使い潰されずに済んだことに胸を撫で下ろす。
しかし安堵したのも束の間、ヘルマの超人的な働きはその日の内に噂となる。
重い荷物を一人で何度も運んだり、超人的なスピードで駆け回って掃除したりと大いに目立ってしまう。
「何でこうなるんだ?」
頭を抱えるダンカンをよそにヘルマは労働の喜びを噛み締めていた。
「いや〜なんか初心に帰った気がしておもろなってしもうて。普段やったら絶対にせんけどな。やっぱ天才やから何やっても目立つんよ」
得意げな高笑いは前日も見たが、その時よりも一層呆れてしまう。違っているのはダンカン以外の人たちが興奮して大喜びしていたことだ。
「すごいぞ、ダンカン少尉。本当にありがとう! こんな逸材を見つけてくれるなんて。丸一日かかっていた仕事が数時間で……、やっと、今日は、普通に寝られる…………」
過酷な労働から解放された部署内は歓喜から咽び泣く声に変わっていく。
そして普段は雑用係のことなど気にも留めない兵士たちが噂をはじめ、ついに上層部の耳にまで届くこととなった。




