ルゥ・アインザムⅢ
ふと目に入った時計が止まっていることに気がつく。時計といっても正確な時間を示すものではなくタイマーのようなものだ。
「もうこんなに時間が経ったのね、早いなあ。そっちはそろそろ夜が明けるんじゃない?」
「……」
ルゥの反応がなく何度か呼びかける。
「ああ、すまない……ぼうとしていた」
夜遅くに話す事はこれまでも何度かあった。それでも寝落ちする事は一度もなかったし、声の大きさも終始変わらずこちらの目覚ましになるぐらいだった。
——やっぱり様子がおかしい
気がつけばシェルティオは淡く光ったまま透けて消えそうになっている。
「先輩、白状しなさい!」
シェルティオが驚いてびくりと身体を震わせる。それでもルゥの声はしない。
「ねえ、やっぱり何かあったのでしょう? くだらない話をするためにシェルティオを寄越したわけじゃないぐらいわかるわよ?」
少し間をおいて低い声がする。低い声なのにそれはか細く今にも消えそうな声だった。
「くだらなくなんて、ねえよ。おまえとの会話は本当に楽しかった。俺には、良い息抜きなんだよ」
会話する事をくだらないと言ったわけではない、セレナがそう言う前にルゥの言葉が続く。
「わかっている、一緒に楽しんでくれていた事を。大事な事を伝えなきゃいけないのに……つい、いつもみたいに話し込んじまった」
大事な事とはなんだろう。嫌な予感がする。
セレナの心臓は不安の音を徐々に大きくしていく。
「俺以外はみんなやられちまった」
ルゥは薄暗い路地で壁を背にして座り込んでいる。
刺された背中から流れる血は止まらない。爆発をもろに受け内臓も酷いダメージを受けている。話している最中も何度か血を吐いたがシェルティオがセレナに聞かれないように余計な音は除去して声だけを流す。
「タニアとラリスはゼピュロスに向かわせた。追手を見かけなかったからまだ追われているのかもしれない。もし……たどり着いたら助けてやってくれ」
ルゥの声は仲間の安否を不安に思うだけではない苦しさを感じる。やはりどこか怪我をしているのだと思うとセレナは早口で捲し立てる。
「どれぐらいの傷を負っているの⁉︎ セリアヌスに居るのね! ねぇ、どのあたり? テコの転移ですぐに行くから、じっとしてそこで待ってて!」
「ダメだ! 今は、来るな‼︎」
来るなと言われても行かないわけにはならない。助けが欲しくて連絡をよこしたのではないのか、そう思うと無性に腹が立ってくる。
「助けて欲しくて連絡してきたんでしょう? それなのに来るなってどういう事よ⁉︎ 先輩が怪我させられる程の相手ならあたしたちが必要でしょう! 仲間だってやられて独りで……」
勢いに任せて出た言葉は今のルゥの心に追い打ちをかけてしまうと思ったが遅かった。項垂れるシェルティオは今のルゥとシンクロしているからその姿で一目瞭然だった。
「……ごめん、そんな事言いたいわけじゃ……」
「ああ、わかっている。だからこそ来るなと言ったんだ。ボレアースは異国の傭兵団と手を組んでいる。奴らはセレナ、おまえの魔弾を現実の武器として所持している。流石に弾数に限りがあるようだが、全部で20人ぐらいか、全員が持っていて扱いも慣れていた」
「剣や弓矢と同じように、誰もが使える武器?」
「ああ、そうだ。マナによる身体強化は当たり前に使ってくるし、消えたり高速移動したり妙な技も使いやがる」
想定を上回る強敵を何人も相手にしていたのであれば苦戦も頷ける。それで生き残ることができたのは流石としか言いようがない。
ルゥは『それから』と前置きしてから少し言い淀むような間を開けて話を続ける。
「奴らの中にいつもフードを被って顔を隠している少女がいる。……そいつが一番危険だ。あいつは訳のわからない術を使う」
声がうわずりルゥ自身も無意識に恐怖を思い出しているようだった。
「事象が発した言葉どおりになる。例えば……動くなと言われれば動けなくなる。『獣人は動くな』と声が聞こえたかと思えば俺たち全員が動けなくなっていた。今思えば騎士団の連中も操られていたのかもしれない」
にわかに信じられずセレナは疑問を呈する。
「それって催眠系のスキルじゃないの? 眠らせたり幻覚を見せたりするスキルは存在するわ。外部から刺激を与えれば元に戻るし弱いものなら耳を塞ぐだけで回避もできるわ」
ルゥはそういったスキルの存在を知らなかったからそうかと頷いて見せるがそれらとは違うと明確に否定する。
「俺も初めは音が関係していると思ったが違った。“あれ”はマナを伝って直接対象に作用する。認識も意思も何もかも命令どおり……行動の操作さえもできる。気付かないうちに魂ごと自分を書き換えられている、そんな感覚だった」
「そんなの防ぎようがないじゃない……」
言葉に詰まるとルゥがここまで追い詰められた訳を理解する。
「ただ、これは俺の勝手な予想だが……自害させようと思えばできるはず、だが何か理由があってそれをしない……そんな気がする」
「制約がある、もしくは術者の意思、てこと?」
「ああ、あの子は傭兵団の親玉に逆らえないようだった。子供を操って俺を襲わせるのも酷く嫌がっていた」
——子供を使って? そんな酷いことまで……
想像するだけでおぞましい状況に絶句する。
ルゥはきっと子供を助けようとしたに違いない。そう思うとセレナの目からは涙がこぼれる。
「それでも術の効果を弱める何かがあるはずだ。何をしたのか覚えていないが、術から逃れられたこともあった。テコなら、あいつなら打開策があるかもしれない。対策を、たてろ……奴らは、きっとゼピュロスに、攻めに、行く……はず……」
ルゥは息も絶え絶えに話すことも辛そうになっていく。
「そうだとしても先輩のことを放っておけるわけないじゃない! 絶対に助けにいくから待ってて!」
はじめから止めても無駄だとわかっている。それがセレナらしいと思うとルゥは思わず笑っていた。
「お前で良かったよ、セレナ」
「なに? それよりもこのまま繋いでおける? 余計な体力を消耗するなら切ってもいいけど」
セレナは話しながら出立の準備を始めている。幸いにもルゥとはシェルティオを通して会話しているから通信の魔道具を使ってシエルに連絡を行う。
「あっちはまだ夜中かな……でも神聖国はそろそろ夜明けなんじゃ……。ああ、もうっ! シエルお願い、出てよ! そうだ、強制通信で……」
通信端末を操作しているとルゥの呼ぶ声が聞こえてくる。
「セレナ、もしも……例の術者を見つけたら……」
「心配しなくてもあたしが引っぱたいてあげるわよ!」
「いや、そうじゃなくて……助けてやってくれ」
「はあ? 助けるぅ⁉ そんな目にあわされて助けるなんて人が良すぎるわよ。どうかしているわ。操られているんじゃないでしょうね」
「確かに、どうかしちまったのかも。操られているとすれば、あの子の願い、なんだろうな」
「……」
「頼んだぜ」
「なに遺言みたいなこと言ってんのよ、バカ!」
優しい笑い声が聞こえる。
「誰か来た。ここまでだ……」
シェルティオは淡い光を放ちながら小さくなっていく。
「先輩⁉」
「ありがとな、セレナ……——」
最後は声が小さく聞き取れなかった。何度も呼びかけるがもう声は返って来ない。
シェルティオは淡く光りながら最後は小さな魔石に姿を変える。
「せん、ぱい……?」
「シェルティオ、願いを届けてくれてありがとな。で、とうとう見つかっちまったか。団長……いや、カイ・エキウス。あんたに盗み聞きの趣味があったとはなぁ」
暗闇に溶け込んでいた身体は影そのもののようだったがルゥの目の前には実体としてのカイが立つ。
「最後の別れは済ませたのか?」
「まさか待っていてくれるとはね」
「お前の事はもう少し眺めていたかったが、これも運命なのだろう」
ルゥはいつものカイとは違った印象を受ける。
騎士団で見ていた時は内に秘めた炎を揺らめかせ、最強騎士団の長としての威厳と誇りを持った王国の剣としての風格を感じていた。
後にその炎は野心であり、威厳と誇りは欲望と傲りだと気が付く。
そして今は冷酷な征服者としか見えない。
「散々俺たちを弄んでおいて、飽きたから捨てるのか? お前の目的は何なんだ?」
一歩ずつ近寄ってくるが剣を抜く様子はない。
「お前には期待していた。これは本当だ、ルゥ・アインザム。しかし“俺たち”の目的を知る必要はない。お前の価値はもう“これ”だけなのだから」
カイが手にしていたのはこぶし大の真っ赤な魔石だった。
「は?」
目の前が真っ赤になっていく。自分が叫び声を上げているのかももうわからない。
薄れていく意識のなか、最後に目にしたのは星のない夜明けの空だった。




