銀狼と騎士Ⅷ
倒壊した城壁によって巻き上げられた土煙は視界を遮り傭兵たちはラリスの姿を見失う。
「姉ちゃん! 姉ちゃん!」
倒れたタニアの身体をゆすりながら何度も名前を呼ぶ。
意識はあるようだが魔力切れの症状で起き上がれない。薄く目を開けてラリスの無事を確認すると笑ったような気がした。
「ラリスちゃん……、ウチはええから、早よ、行き」
「何言うてんねん! 姉ちゃんも一緒に決まっとうやろ」
「姉ちゃん、動け、へんわ。あいつら、倒したわけ、ちゃう、から、行って。任せた、言うたやろ?」
「置いていけるわけないやろ! 担いででも一緒に……」
巻き上がった土煙は少しずつ収まっていき視界が開けていく。遠くの方からラリスたちを探す傭兵たちの声が聞こえて来る。
「行きなさい、ラリスちゃん。ウチらは何があっても、リーダーの指令が最優先や」
「そんなんリーダー抜きで、みんなで勝手に決めた事やろ! 今はそんなん関係ない! ほら掴まって……」
タニアの腕を自分の肩に回して担ぎ起こそうとしたとき、遠くの方から乾いた音が聞こえる。
「ぐうっ!」
積み木が崩れるように再び倒れるタニアを支えきれずにラリスも一緒に地面に落ちた。
「姉ちゃん、大丈夫か⁈」
タニアの表情は苦痛に歪んでいる。足元にどろっとした何かに気がつき撃たれたのだとわかる。
「さっきの音……早よ逃げて手当を……」
もう一度タニアに肩を貸して起き上がろうとしたが突き飛ばされて尻餅をつく。
渾身の力を絞り出してタニアは上半身だけ起こして撃たれた右足を縛っている。
「か、回復! 回復魔法を……」
「やめとき!」
睨みつけられて動きが止まってしまう。温厚な姉のこんな顔は初めて見た。
「姉ちゃん……。でもウチは……」
タニアはいつもの優しい穏やかな顔に戻っている。
ラリスが何かをしでかしてタニアに叱られたあとに見せてくれる顔だ。
「ラリスちゃん、あんたはもうわかっとうやろ? 任務とか関係なしに、お姉ちゃん……ラリスちゃんには生き延びてほしい。あんたが生きとったらウチもあんたの中で生きられる。これはウチの……お姉ちゃんのワガママや。もうちょっとだけ、顔よう見せて」
「姉ちゃん……」
ラリスの視界はぼやけていたが姉の笑顔ははっきりと見えた。
足音が二つ聞こえる。そちらへ視線を移すと傭兵たちの姿を捉える事ができる。
「こんな所に居たのか」
「だから反対から探そうって言っただろ? しかし適当に撃った弾が命中していたとは。俺たち運がいいな」
勝ちを確信しているのだろう、ニヤついた薄気味悪い笑顔を浮かべて近づいて来る。
「さっさと魔石を回収して戻ろう。街の端まで追う事になるとは思わなかったな」
「今ごろ祝杯あげてんだろ? 俺たちも早く行こうぜ」
「あんたらの狙いはウチらの魔石かいな?」
気丈に振る舞っても戦える状態ではないのは明らかだったが、タニアが突拍子もない行動に出る事は傭兵たちもわかっているから警戒して足を止める。
「獣人には他の種族にはない魔力の結晶——魔石を体内に持っとる。上位の魔獣なんかよりも何倍も力が強くて純度が高い」
傭兵のひとりが銃口をタニアに向けて笑うが目だけは冷たいままだ。
「よく知っているじゃないか。簡単に手に入って高値で売れるから狩りが止められなくて困っている。この禁断症状を抑えるには魔石を手にするしかない。協力すると思って、死んでくれ」
「生きたまま取り出した魔石と死んでから取り出す魔石の違い、知ってるか?」
タニアの言葉に引き金をひく指が止まる。
「血管繋がっとうワケやなし、本人が生きとけば魔石に魔力は蓄積されていくから魔石も生きたまま。考えた事ないんか?」
「は? そんな言葉を信じるとでも? 命乞いをするならもう少しマシな嘘をついたらどうだ?」
「魔獣の魔石は取り出した後、薄い輝きを放った後くすんでいく。処理を間違えれば時間が経つほどに色は黒く変色していく……それは獣人のも同じや。でも生きたままやと魔力を纏ったままになるから輝きを保てる、それが違いや」
得意満面のタニアにやや引き気味の傭兵たちであったが興味を引くには十分な内容だった。
魔石を買い取った後どうするのかまでは傭兵の彼らには分からない。
一部のニンゲンにとっては価値があり、高額で買ってくれるのであれば魔石だろうが石ころだろうと何だっていい。
ただ既存のモノよりさらに高く売れそうとなれば試してみる価値はある。
それに生きたまま魔石を取り出すという行為自体にも興味が湧く。彼ら炎渦団は傭兵を名乗っているが、他人同士の争いを理由に人殺しをしたいだけの殺戮集団なのだから。
「良い事を教えてくれてありがとうな。じゃあ早速……お前で試させてもらおうか!」
傭兵たちは銃口をやや下げて反対の手で短刀を抜き、二人同時にタニアに襲いかかる。
「させるかぁ、アホォ‼︎」
傭兵たちの攻撃は二人のラリスに阻まれ、勢いそのままで腕や足を斬りつけられる。
「な、なんだ⁉︎」
目の前にはラリスが二人いて、それぞれの両手にはダガーが握られている。
「【幻影】
「ほう、分身ができるのか。でも残念だったな、見分けぐらい造作もない」
傭兵たちはほくそ笑むと二人で左側のラリスに斬りかかる。
甲高い金属音と共に両手のダガーで二人の攻撃を受けてみせる。すると背後からもう一人のラリスが背中から襲いかかる。
間一髪で避けられたがいつも並んで構えていた傭兵たちは左右に別れて初めて分断される。
「ちっ! こいつも幻装を⁉︎」
「ウチのは分身ちゃうで。両方とも本物のウチや!」
ラリスの猛攻に怯んでいたが傭兵たちの剣技はラリスを上回っている。捌いては反撃を繰り出してきて少しずつラリスたちを傷つけていく。
やがて防戦一方になると傭兵たちは挟み込むように追い詰めていく。
「これで終わりだ!」
傭兵が短刀を逆手に持ち直しラリスに向けて振り下ろそうと大きく振りかぶった瞬間近くで大きな声が聞こえる。
それは渾身の、命をかけた叫び声だった。
「ラリスちゃん! 行ってーっ‼︎」
叫び声と同時にタニアは自分の胸に手を突き立てて体内から魔石を引き出す。
拳半分ぐらいの大きさの真っ赤に輝く宝石は次第に光を増していく。炎ではない何かが燃えるようなゆらめきを起こしタニアの輪郭をぼかす。
「ウチの、人生……全部詰まった、魔石や。まさに命懸け……この魂、ラリスちゃんのため、やったら!」
魔石はさらにゆらめきを強くして比例するように魔力の圧も上がっていく。
「マズいぞ! ここから離れ……」
傭兵たちは逃げようとした刹那、腰にまとわりつく強い衝撃を受ける。傭兵たちの腰にはラリスたちが後ろに回り込み両腕を回して締め付ける。同時に両膝にはダガーを突き立てていた。
「ぐわぁーっ! クソっ、離れろ‼︎」
もがく傭兵たちに向けてタニアは魔石を投げつける。
——バイバイ、ラリスちゃん。あんたはちょっとでも長生きしてや。すぐに来たら……お仕置きやで
魔石は大爆発を起こしてあたり一帯を吹き飛ばす。破壊された城壁の残骸や少し離れたところにある建物も一度に数十棟が倒壊する衝撃をおこす。
「姉ちゃんーーーーーーーっ‼︎」
爆発が起きたところから離れた高台からラリスは叫ぶ。
倒壊した建物から火の手が上がり、煙が立ち昇る。その場で泣き崩れたラリスは『姉ちゃん、姉ちゃん』と何度も呼び続ける。
ふたりで逃げる事は叶わない。だから分身を2体出して3人になり1人は逃げろと直前に告げられた。
「行かな……、絶対にあいつらの事をゼピュロス騎士団に伝える。戦っとうみんなの為にも……姉ちゃんの、ためにも!」
ラリスは西へ向けて走った。
王国の北西部にルゥたちが助けた獣人を保護する協力者たちの拠点がある。協力者たちは独自にゼピュロス騎士団に助力を求めていた。
ゼピュロス側も獣人狩りによる亡命者保護とクーデターをいち早く知らせたルゥの捜索を行うために部隊を編成し協力体制を築く。
「エヴァン! こっち来て、女の人が倒れてる!」
部隊に選ばれたのはシエルたちと騎士学校の同級生であり今は同僚となったエヴァンたちだった。
国割りと呼ばれる政変では国を追われて亡命した人々の救出とゼピュロスへの護衛の任務についた。あまりにも見事な手際にそのまま彼らが北西部に残って対応する事となった。
「どうした、リーシャ?」
エヴァンは近くにいた協力者と共にリーシャの元に向かう。すると協力者の一人が驚きの声を上げる。
「ラリス? ラリスじゃないか! こんなボロボロで……ここまで一人で来たのか?」
ラリスは男の声を聞いて目を開けると力無く笑う。
身体の至るところに切り傷や打撲の跡が見られる。傷口には木の枝が残っているところや転んで尖った石が刺さったままになっていた。
エヴァンがリーシャの代わりにラリスの身体を支えて上体を起こすとゆっくりと口を開く。
「おっちゃん……生きとったんか? 良かった……ウチ、ゼピュロスに伝言するよう頼まれてん」
「おお、そうか! ここに居る方々がゼピュロス騎士団の騎士じゃ」
「……そうなん? 良かったぁ。あいつら……異国の傭兵……杖みたいなんで玉飛ばしてきおってな——」
辿々しくもラリス自身が見てきた事、セリアヌスで起きた不可解な行動を強制する何かをエヴァンたちに話す。
「もう何日ぐらい走ったか分かれへん……けど、ちゃんと伝わった?」
「ああ、君の情報は我々にとって有意義なものだ。ここまで届けてくれて、ありがとう」
「エヴァン……」
「後は我々に任せてゆっくり休むといい」
エヴァンは小声でリーシャに指示を出す。
「リーシャ、ケリンに転移の準備をするよう伝えてくれ」
「エルを呼ばなくていいの?」
エヴァンは小さく首を振る。
「一度騎士団本部に戻ろう。この人をルゥ先輩のところへ連れて行ってあげたい」
辛そうな目にリーシャは『わかった』と返事をして立ち上がり仲間のところへ向かう。
「ウチ、頑張ったんよ。姉ちゃん、褒めてくれるかな?」
「ああ、きっと褒めてくれる。タニアだけじゃない、ルゥも、みんながお前を褒めてくれるよ」
「へへ、嬉しいな。頑張った甲斐あるわ。……姉ちゃん、ぎゅってしてくれるかな?」
「ああ、いつもみたいにな……。だってタニアは……お前の事が……」
男は遂に涙を堪えきれず言葉をつなげなくなる。
「ウチも姉ちゃん大好きや。……会いたいなぁ」
目を瞑ると笑顔で迎えてくれる姉の姿が浮かぶ。
——姉ちゃん!
タニアの胸に飛び込むと強く抱きしめてくれる。
暖かくて優しい、いつもの姉の匂いがした。




