入学試験Ⅵ
1度も名前を呼ばれないまま人数だけが減ってく。何もせずに試験が終わってしまうのではという恐怖に震えているシエルに声を掛けてきた人物がいた。
「さっきはありがとうね。わたしはセレナ・エリオット。セレナって呼んで」
「あ……わ、わたしはシエル・パラディス……です」
「パラディス……。ああ、近衛騎士団長の!」
後から聞いた話ではエリオット家は代々政治家を輩出していて、一族で地方の領地を治めながら王都では中央政権で重要なポストに就くことが多いらしい。
「あはは、同じ公爵家の娘だから普通に話して」
「うん、わかった」
態度の悪い貴族の少年をぶっ飛ばし、差別に対する試験官の振る舞いを指摘したこの二人は通じるものがあったのだろう。セレナと名乗る公爵令嬢から声を掛けてきた。魔石の試験からお互いが気になる存在だったが、ここでようやく出会えた。
「魔石を壊しちゃうなんてあなたすごいわ」
「あ、ありがとう」
同年代の女の子と話す機会がないといえば男子っぽいがシエルは男女問わず、同年代どころか歳の近い子供とも話す経験があまりない。公爵家といえども騎士の家だから社交界にも縁がなく、家で本を読んでいるか俺との訓練ばかりで友達と遊ぶ経験がなかった。だから接し方が分からず緊張しまくっている。
「わたし、あなたと対戦したいと思っているの」
突然の告白にシエルもさすがに目が覚めた。何せ自分が思っていたことを相手も思っていたのだから。
「わたしも貴女と、……セレナと戦ってみたいと思ってた!」
「ほんと? 嬉しい! 当たってくれないかなぁ」
残り人数が少ない上にまだ舞台に上がっていないから可能性を信じているのだろう。
しかしシエルのクジ運の悪さを知らないから気軽に言える。気楽にいられる。
俺もシエルも、一度も呼ばれずに終わる可能性の高さに恐怖し、心の中では震えているというのに。
「あのう……」
会話が途切れるのを見計らっていたかのように後ろから声を掛けられた。二人は同時に振り向き声をそろえる。
「君は先の……」
ハモった事が余程おかしかったのか、お互いの顔を見るタイミングまで同時で思わず吹きだしていた。声を掛けてきた少年は貴族に負け、罵声を浴びせられていた件の平民の、今朝シエルが声を掛けた少年だった。
「あはは、ごめんね。」
「いえ! さっきはありがとうございました」
そういうと少年は深々と頭を下げる。
「平民のうえに負けてしまって何も言えなかったのですが、お二人が声を上げてくださって、その……嬉しかったです! ありがとうございました!」
更に腰を90度に折って感謝の意を表しているようだった。
「僕は1度も勝てずに2度負けてしまい……試験も多分落ちると思います……。だからせめてお二人にはお礼を言っておこうと思いまして」
正直シエルよりもしっかり話せていると思う。何となく商人っぽさを感じるが、市井の普通の少年少女はこういうものだろうか?
「本当にありがとうございました!」
「いいのよ。あたしもあいつの態度にちょっとムカついたから」
シエルも同調するように頷いている。
「貴女はここへ来る途中、緊張で倒れそうだった僕を心配してくださいましたよね? 筆記試験だけは絶対に落とせなかったので緊張してしまって……」
真っ青な顔をしていたから余程の重圧があったのだろう。声を掛けてもらい少し楽になれたとシエルにも丁寧なお辞儀で感謝を述べている。
『負けたとはいえ身体強化に上手く魔力を使えていたんだよなぁ。強化つっても並ぐらいだけど、魔力が尽きていなきゃ良い勝負していたかもな』
何となく口にしたことにシエルが反応してしまった。
「わたしシエルって言います。身体強化以外にもできる事はありますか?」
「え? 身体……強化? 僕はスキルとかは全然覚えていなくて。魔法も使えないです」
妙な質問に慌ててはいるが、嘘をついて隠している様子はない。
シエルも話が違うと言わんばかりに視線で俺を詰めてくる。
『あれ、おかしいな……? 終わったんだし、隠す必要もないだろうに……』
確かにスキルではなく魔力による強化を使用していた。強化してあれなら普段どれだけ弱いのだろうとは思うが、シエル以外では唯一の魔力による身体能力強化を使っていたのは間違いない。
スキルは一時的に全身を強化する。少ない魔力で平均的に強化できるから割とポピュラーだろう。
では魔力による身体能力強化とは?
体内に流れる魔力を利用して任意の箇所を思い通りに強化できる。スキルではないのは魔力操作による技術だからだ。
この世界にあるスキルとは、お手軽便利に力を行使する魔法のようなものだ。法則など考えずに取得さえしていれば魔力と引き換えに誰にでも事象を起こすことができる。
例えば、一見か弱そうな女性でも【腕力向上】のスキルがあれば並の男性以上の怪力を発揮できる。スキルは僅かな魔力で行使できるが効果時間が短いものが多い。鍛錬することで効力や効果時間を伸ばすことができるが使用する魔力は比例して増えていく。
一方、スキルではない強化は洗練すれば少ない魔力で最大限の効果を発揮できる。さらに武器などにも効果を及ぼし属性も付与できる。スキルによる魔法剣との違いは使用する魔力量の差だろう。使い方次第ではスキルの方が効率は良い場合もあり“天の声”としては悩ましい。
この力については名前がない。《天の声ライブラリー》には剣技や槍術などの〖戦技〗と呼ばれるものがある。スキルとは別枠で訓練による習得を可能としているが、それに見合うだけの能力や才能が必要になる。
だから魔力による技術を〖魔技〗、身体強化を【強化】と名付けた。もちろん勝手にだ。
対戦型の試験を見ている限り、スキルの使用者は多くはない。まだ若いからということもあるだろう。【強化】を使える者はいなかったが、この弱々しい彼だけがこの特殊な力を使用していた。あまり強くはないのだが。
「すみません申し遅れました。僕はグーテス・ウェッターと言います。小さい頃から身体が弱く、親からも騎士にはなれないと言われていたのですが……。どうしても諦めきれずに実技試験もこっそり受けて……」
彼の事情や歩んできた道は知らないが、誰もが何かしらの想いを抱えて受験に臨んでいるのだと改めて思った。俺たちは人の考えや思いを知らなさすぎる。
色々な人を“視る”ことは大事な事なのかもしれない。
「お二人は問題なく合格しそうですし、頑張ってください」
少し寂しそうに話す少年の目にはまだ諦めきれない思いが残っているようだ。
「あたしはセレナ・エリオット。まだ結果は出ていないのだから諦めるのは早いと思うわ。馬鹿にされたのではなく悔しくて流した涙なら、ここで学んで成長する価値があなたにはあると思うわ」
何かに胸を貫かれたような顔の少年は驚きのあまり声を失った代わりにその瞳に光が戻ってきた。
「もちろん試験官でもないわたしが無責任に合格できるとは言えないけれど、少なくともあたしとシエルは貴方を認めるわ」
グーテスは喜びのあまり泣き出し何度もありがとうと言っている。結果は駄目であったとしてもその頑張りを評価し、二人の美少女の笑顔がおまけで付いてきたのだから、その想いも多少は報われるだろう。
そんなやり取りをしている間に受験者は残り13人になっていた。それに気づいたシエルは感動が一気に醒めてしまっている。
「次、479番」
セレナが2回目の対戦に赴く。舞台へ向かう前にシエルに声を掛ける。
「あたしは必ず5回の対戦をするわ。そのうちの1回でも貴女と戦いたい!」
強い決意の眼差しでシエルとの対戦を呼び込もうとしているようだ。
『シエルのクジ運は半端じゃないからな覚悟しろよ!』
「ううううっ!!」
心の声が出てしまいなんとも言えない表情をさせてしまった。
「(あれ? わたしとの対戦、嫌なのかな……?)」
シエルの表情に困惑するセレナに心の中で詫びる。
「わたしも戦いたい! だから頑張って!」
そう叫ぶシエルに安心したのかセレナは笑顔を取り戻し、対戦相手へと歩を進める。一瞬だけ見せた令嬢とは思えない戦士の眼差しに、彼女の“想い”についてもいつか聞いてみたいと思った。
セレナは予想通り次々に勝利をおさめると、あと一人で勝ち抜けというところまで駒を進めた。いよいよシエルとの対戦が叶うのか。
シエルの番号は421番だ。クジを引く試験官をシエルとセレナは祈るように見つめる。そして番号が読み上げられる。
「「お願い、来て!」」
——ここで来ないと本当にマズい!
「357番」
セレナは天を仰ぎ、仕方がないという表情だった。シエルはついに膝から崩れ落ちてしまった。
「残念だけど入学までの楽しみに取っておくわ」
「う、うん。……セレナ、最後頑張って……」
力なく答えるシエルに苦笑いを浮かべつつもセレナは難なく対戦に勝利して5連勝の勝ち抜けで最後の試験を終えた。
「おめでとう、セレナ」
「ありがとう。あと7人か……。流石に呼ばれるでしょ」
普通はそうだと思う。そうだと思いたい。だがシエルの除く残り6人は全員が2回目の対戦になる。そして今から呼ばれる一人が残りの5人に勝った場合、全員が抜ける事となる。シエルは対戦相手がいなくなり、一度も舞台に上がることなく終了する。
「やだやだやだやだ……」
祈るような気持ちで待ち続けている。
そう、待ち続けている。5戦目が開始された今も。
「ちょっと……、ウソでしょ?」
流石のセレナも唖然としている。
6人のうちの一人が勝ち進み5戦目も辛勝。勝ち抜けが決まった。
この瞬間、シエルの実技試験は終わりを迎えた。




