神の審判Ⅺ
——あの人はぼくのことを天の声だといった。これからフィリアを導き、守っていくのだと。それがぼくの仕事だと。
でもぼくはただの水の精霊だ。特別な力なんて持ち合わせてなんていない。水のマナと共に在り、漂うだけの存在。
フィリアと出会ったのはただの偶然。一緒にいると澄んだ水の中にいるようで心地よかったから。
でも、きっとその所為で、ぼくの所為で高い魔力を持っていると思われてしまったんだ。フィリアの人生を狂わせたのは、ぼくだ。
フィリアを導き、守ることがぼくの仕事。何かしてあげられることがあるのなら、フィリアのためになるのなら何でもしてあげる。
でも結局、何もしてあげられなかった。
せめて最後にしてあげられることは——
何が起きているのか分からないままベニーの悲鳴だけが響き渡る。
仰向けに倒されたソルフィリアの両脇腹は真っ赤に染まっている。
「これで皆幸せよ! あなたは苦しみから解放される、私たちも不自由なく暮らせる!」
ソルフィリアの母親は満面の笑顔で短剣を振りかざしてソルフィリアの腹を何度も刺す。父親は無表情で実の娘に短剣を突き立てている。
「あなたの綺麗な顔は残して飾ってあげようと思っていたの。でもあの女の顔を思い出す……あいつと同じ顔……なんて腹の立つ顔なの⁉︎ ずっと、ずっと大嫌いだった! あなたの顔なんて‼︎」
そう言いながら目や頬に刃を向ける。骨を貫通させる力がないから時々鈍い音を鳴らすが、それでも構わず短剣を振り上げては繰り返し突き立てる。
「何やってんだよ……親子って、もっと、お互いを思い合っているんじゃないのか? 会えば分かり合えるもんじゃ……なかったのか?」
テコはシエルの両親しか知らない。お互いを思い愛し合っている。そういう関係が親子の在り方なのだと思っていた。グーテスの家族もそうだった。苦難の中にいた子供たちも血の繋がりはなくても家族なのだと思えた。
だから口で諦めているとか言っていてもソルフィリアも家族のあたたかさを思い出せば両親と一緒に幸せを感じるのだろうと思っていた。そう思い込んでいた。
テコにとっては余りにも衝撃的な光景に思考も身体も動かなくなってしまった。
ただぼろぼろにされていくソルフィリアを見ても認識が追いつかずに真っ白な世界に居るような感覚に落ちる。
その場にいる誰もが同じような感覚だった。3人の枢機卿でさえそうなのだから誰もまともな感覚を持ち合わせてはいなかった。
——俺はまた間違えたのか?
『「誰にでも間違いはあるよ」』
——大切な人を悲しませて、大切な人をまた失った
『「今ならまだ間に合うよ」』
——俺に何ができるって言うんだ?
『「今はひとりじゃない、あの子とならできるよ」』
——あの子? シエル……? あいつ悲しんでいるし怒っている……
『「あなたに対してじゃないわ。同じ気持ちなら……目を覚まして、エタルナ」』
「やめて!」
まだ痺れていつものように動かない身体に電気を走らせてソルフィリアのところまで飛ぶ。その勢いで滅多刺しに夢中になっている二人を突き飛ばす。
「邪魔を……するな!」
突き飛ばされた女はすぐに立ち上がると短剣を握り直して今度はシエルに襲いかかる。シエルも近寄るなといわんばかりに腕を横薙ぎに振ると空中に放電する。女は咄嗟に止まって電撃をくらうことはなかったが持っていた短剣が火花を散らして手元から離れる。女は警戒してそれ以上は近づけなくなる。隙を見てクロリスが防護結界を張りシエルを守る。
「フィリア! フィリア!」
シエルは血まみれのソルフィリアを抱き起こして何度も名前を呼ぶ。身体のどこにも力が入っておらずシエルの腕にずっしりと重さがのしかかる。顔も身体も刺し傷と切り傷だらけ、海のように青かったドレスも今は赤黒く染まっている。
ソルフィリアの死は誰の目にも明らかで、ベニーはティミドの懐で大声をあげて泣きじゃくる。アルフラウとライニは周囲に警戒をしつつも信じられない光景に集中力を欠き、テコはその光景が目に入らず音も聞こえていない。
「フィリア! お願い、目を開けて! 死んじゃ……やだ、よ…………」
徐々に冷たくなっていくソルフィリアの身体にシエルは震えが止まらなくなっていく。シエルが感じている温度をテコは共有しその恐怖も伝わる。いや、もしかするとその恐怖は自分自身のものかもしれない。
「やだよぉ……フィリア……お願いだから目を覚まして……フィリア…………」
——鼓動が聞こえない……魔力の流れも感じない。これはポープの……魂?
『フィリアを……お願い』
ポープの声で我にかえったテコはこちらを見つめるシエルに気がつく。
「テコ……お願い…………助けて」
眩いばかりの黒い光の柱が天井を突き抜けテコを包み込む。同時に全ての生物が暗く冷たい空間に投げ出されて元の場所へ戻される。誰もがそれを知覚できない一瞬の出来事だった。
黒い光の柱が消えるとそこには漆黒の髪に夜空を宿し銀河のような瞳の人物がいた。恐怖と安堵、不安と安心、悲しみと喜び、そして生と死。人々の中に相反する感情が同時に湧き起こりその場に居た多くが耐えられずに卒倒してしまう。
「アイリス」
名を呼ばれただけなのにシエルは自分が成すべき事、できる事がわかる。ソルフィリアを寝かせて胸に手を置くと根源からマナを解放する。
「【死者蘇生】」
暖かな光に包まれるとあまりの眩しさにふたりの姿は見えなくなる。
近くで見ていた女が短剣を拾い上げるとそのまま真っ直ぐにシエルが放つ光へと向かっていく。
「その子の死体は私たちのものよ!」
「させるか!」
アルフラウの強烈な蹴りをみぞおちにくらい短剣から手を離してうずくまる。男の方にも容赦なく拳を撃ち込みギリギリ意識を保てる状態で立ち上がれなくする。
黙って見ていた枢機卿たちも突然現れた人物が自分たちの脅威になることを悟り警戒する。
「き、貴様は何者だ⁉︎ さっきの従者はどこに行った⁉」
“天秤”の枢機卿が問いかけ終わる前に“釣竿”の枢機卿が魔魚を作り出して襲わせる。
「よし、直撃……だ?」
魔魚は男に触れると一瞬で蒸発して消えてしまう。何も起きていないかのように微動だにしなかったが、やがて男はゆっくりと枢機卿たちに視線を向ける。
「我が名はエタルナ——混沌の化身エタルナ・オスタリス。これより教会に与するものすべてに死を与える」




