神の審判Ⅹ
「シエルっ‼︎」
テコとクロリスは駆け寄るとうつ伏せに倒れたふたりを抱き起こす。シエルの顔は苦悶で歪んだままだ。
「嘘だろ? 毒なんかでお前が死ぬわけ……」
目を覚ませとシエルの身体を揺するが反応はない。遂にはシエルの名前を叫び抱きしめる。
「そんな……お姉様…………」
ベニーは泣いてしまっては認めることになると思い必死で涙を堪えている。アルフラウとライニもシエルの潜在的な強さを感じていただけに信じられずに固まっていた。
「シエルーっ‼︎」
「うーん、苦いよぉ……」
目はまだ開いていないがはっきりと声をあげ皆を唖然とさせる。
「ただの水かと思ったらおいしくなかったぁ……」
「お、お姉様⁈ 大丈夫なのですかっ⁉︎」
「うん、少し気が遠くなって。まだ身体が痺れるけど大丈夫だよぉ」
シエルの横ではソルフィリアも身体を起こして立ちあがろうとしている。
「フィリアは……大丈夫なのか?」
「はい、私は大丈夫ですがマナが内側でしか使えずシエルの治癒は難しいかと。それよりも先に……」
ソルフィリアは3人の枢機卿を睨みつける。声には出さないが“水瓶”に他の二人がどういう事だと視線を送っている。
「私たちは試練に耐える事ができました。今度は私たちの番です」
「ちっ」
舌打ちをしたのは“釣竿”の方だった。
「偉そうな事を抜かした割にこの様かぁ? 役に立たんな」
信徒たちがいる所までは聞こえない程度の大きさでもしっかりと“水瓶”には耳には届いているから“釣竿”をしかめ面で睨んでいる。“釣竿”は無視して短い竿の聖遺物を振ると自分の身長程の長さまで伸びる。真ん中あたりに持ち替えて持ち手の底で床をどんどんと打ち鳴らす。しばらく床を見つめてからもう一度竿で床を打つ。徐々に間隔が短くなって行きやがては自分の足で踏み鳴らし始めた。
「クソッ! いったいどうなっているのだ⁉︎」
流石に信徒や他の司教たちも口を開けて唖然とするしかない。何人かが礼拝堂から出入りして慌ただしくなってくると場の空気が少しずつ変わっていく。
「よし、いい流れだ。シエル、立てるか?」
「うん、まだ少し痺れるけどマシになってきた」
テコに支えられながらシエルもゆっくりと立ち上がる。
床を鳴らすのは階下にいる司祭たちへ合図なのだが、テコが待機していた全員を気絶させ部屋に閉じ込めている。“釣竿”は手筈どおりいかない事に癇癪を起こし始め、それを見ていた“水瓶”が鼻で笑う。
「ふん、貴様の方が役立たずではないか」
馬鹿にした言葉が自分に返ってきて憤慨した“釣竿”は持っている竿を振り回したり鞭のように打ちつけたりしはじめる。釣竿であるから当然先には針と糸が付いていて、それがびゅんびゅんと跳ねまわる。
「なっ、危ねーなこの野郎!」
糸の長さがランダムに変化して不規則な動きが更に読みづらい。テコたちは後ろに下がって距離を取ろうとした時、針がベニーに向かって飛んでいく。
「きゃっ!」
間一髪ライニが手で防ぐ。本当は針を掴んで引っ張り倒してやろうとしたができなかった。針は直前で軌道を変えライニの手からすり抜けて叩き落とすのが精一杯だった。
「クソッ、掴めない! ベニー様、今のうちにお下がりください!」
アルフラウはティミドを避難させベニーの元へと行こうとするが上手い具合に針が飛んでくるため近付くことができない。
「まさか、意思があるのか?」
尚も竿は振り回され続け針は至る所を傷つけていく。遂にはアイリスが描かれた絵画まで傷つけ倒してしまう。
「落ち着ついてください、枢機卿!」
神官たちは針に切りつけられながらも止めようと必死だ。他の枢機卿はさっさと安全な所まで避難するが止める様子もなく“釣竿”は益々ヒートアップしていく。
「ふがあっ!」
「えっ?」
針がライニの腕に巻きつき一本釣りにして壁に叩きつける。
「ライニ!」
ライニに巻きついた糸はひとりでに解けてベニーに向かってまっすぐ飛んでいく。
アルフラウはティミドを避難させ少し離れたところにいる。今はベニーを守る者が誰もいない。ライニはベニーを庇うため思い切り地面を蹴るが先を行く糸に邪魔をされる。
「間に合わない!」
誰もがそう思った瞬間、襲いかかる針からベニーを守ったのは箱型の鞄だった。ライニが弾いた時とは比べ物にならないぐらいの衝撃で一部が裂けてしまっていた。
鞄は破損したがベニーの無事を確認すると安堵のため息が至る所から聞こえてくる。流石に“釣竿”も我に返りようやく大人しくなった。
「てめぇ、いい加減に……」
テコが文句を言い始めると子猫の威嚇する声が聞こえてくる。破損した鞄から這い出てきたのは子猫のアルクスだった。
「ええっ? アルクス⁉︎ どうしてここに」
アルクスは動かなくなった釣竿から垂れる糸を威嚇している。何故こんなところに猫がいるのか、誰もが思う疑問を吹き飛ばす程の憤慨を見せたのは又しても“釣竿”だった。
「ねね、猫だとぉっ⁉︎」
大人しくなったはずの“釣竿”は再び顔を真っ赤にして大声をあげる。ベニーは咄嗟にアルクスを抱えて庇うように“釣竿”に背を向ける。
「猫は……猫は滅ぼせええええええええええっ‼︎」
絶叫に合わせて竿の周りに二つの水塊が現れる。それは人の頭程の大きさで球体から少しずつ楕円状に変化してやがて二匹の魚に姿を変える。そこから更に形状を変化させて角や牙を生やして空中を泳ぐ魔魚に変貌する。
「食い殺せ!」
“釣竿”が命じると二匹の魔魚はアルクスとベニーに突撃を開始する。
シエルはまだ動けず支えていたテコも出遅れる。
「【氷壁】」
ベニーと魔魚の間に氷の壁を作り立ち塞がったはソルフィリアだった。氷の壁は一匹目の攻撃は防ぎ切ったが二匹目の攻撃で派手に砕け散り破片がソルフィリアの腕や足を掠めていく。幸い直撃は避けられたが力をまだコントロールしきれていない状態で無理をしたせいで目眩を起こして座り込んでしまう。
ベニーはアルフラウが抱えて退避したおかげで無傷だった。ソルフィリアはベニーの無事を確認すると安堵の表情を見せる。
「フィリアお姉様!」
「ベニーさん、よかった……いいえ、次に備えないと」
ソルフィリアが立ちあがろうとした時ふいに彼女の両親が抱きついてくる。
「ソルフィリア!」
「お母さん⁈」
座ったまま両親に抱きつかれて立ち上がれなくなる。
「こんなに傷だらけになって、可哀想なソルフィリア……もう良いのよ、こんな事をしなくても。一緒に幸せになりましょう。私たちがあなたを解放してあげるから」
『フィリア! 早く2人から離れるんだ』
ソルフィリアに天の声ポープが警鐘を鳴らし続ける。
「待って! 今はそんな事を言っている場合では……」
2人から離れて次の攻撃備えないといけない。立場を忘れて暴れる枢機卿が次に何をしでかすか分からず背を向けたままの状態は危険だ、ポープはそう言っているのだと思っていた。
『ダメだ! 早く離れて‼︎』
「今、楽にしてあげるわ」
「え……?」
両脇が熱くなっていく。少し息苦しい。
両親は涙を流しているが笑顔だった。こんなに嬉しそうに笑っているのを見るのは久しぶりだと思う。それはいつだったのだろうかと、ふと考える。
——ああ、私が修道院に行くときだ
手に触れる温かい何かの正体が分かったと同時に両親の愛の正体が分かった気がした。全身の力が抜けて目は虚になり顔は青ざめていく。
ソルフィリアの異変にベニーが気付き叫び声をあげる。
「フィリア、お姉様? ああ……ああ、……い、いやーーーっ!」
彼女が見たのは3人の中央から流れ出る大量の鮮血だった。




