神の審判Ⅷ
時間と場所をシエルたちがいるイーリオスの大聖堂に戻す。
シエルとソルフィリアの後ろにはテコとクロリスが控えている。そして正面には三人の枢機卿が壇上から並んでこちらを見ていた。
枢機卿はそれぞれ“天秤”、小さな“水瓶”、教鞭のような短い“釣竿”を携えている。これらは枢機卿が教皇から授けられる聖遺物で、言わば枢機卿の証となるものだ。
シエルとソルフィリアは事前に聞かされていた儀礼通りに両膝をついて祈るような姿勢で挨拶を行う。但し、口上は教えられたものとは全く違い枢機卿のほか協会関係者は眉をひそめることになる。
「ゼピュロス騎士団プロトルード所属シエル・パラディス、今日はあなたたちと、ちゃんと話がしたくてここに参りました」
「同じくゼピュロス騎士団プロトルード所属ソルフィリア・ナフリーゲン。数々の疑惑についてお答えいただきたく存じます」
前代未聞の事態に動揺や憤る声に会場はざわつく。だが枢機卿は表情こそ険しくなったがすぐに平静を取り戻し落ち着くようにと呼びかける。
「皆の者、静粛に」
一声で静かになり皆が枢機卿の声に耳を傾ける。領主アスゴールドのチンピラ風の取り巻きでさえも首から下げたネックレスを握り静かに話しを聞こうとしている。参加者は指導者層がほとんどであるが領主一行などの一般信徒もみられ、ほとんどが例のネックレスを両手で握りしめている。
“天秤”の聖遺物を持った枢機卿が中心に立っていて今のところ彼だけが言葉を発している。他の二人は左右にいて何も言わずにただ立っているだけだった。
「今日、君たち二人を呼んだのはある敬虔な信徒より聖女としての力を有する可能性があるとの推薦を受け、その資質を見極めるために開かれているのです。とはいえ我々と話す機会が少ないことは承知しています。良いでしょう、審問を開く前に貴女たちの話を聞いてあげましょう」
上から目線にテコは苛立つ。だが思ったよりも柔軟な対応を見せたことにも驚く。聴衆は寛大な対応だとはやし立て、感激したや羨ましいなどの言葉を口々に漏らしながらも静かに賛辞を贈っている。
——なんだ、これは? 益々訳がわからないぞ
枢機卿の言動よりも司祭や信徒たちが何の疑問も抱かずに手放しで信じ切っていること、枢機卿の声一つで脳内麻薬が噴出しているかのような盲目的な信仰心にテコは気持ち悪さを覚える。
ざわつく会場を今度は手を挙げただけで静かにする。一挙手一投足全てに注目し指示に従っている。もはや芝居じみている。
「審問も控えているから順番に伺おう。まずはシエル・パラディス、君からどうぞ」
指名されて立ち上がったシエルは胸に手を当ててゆっくり深呼吸してから話始める。
「まずテネブリス王国内でのテロ事件や個人を狙った暗殺を教会が指示した疑いがあります。ノトス騎士団で捕らえた犯人が証言しています。自分たちはイーリア教徒であるとも」
突然の告発にまたもや会場がざわつくが殆どが失笑であり否定の言葉が飛び交う。
「秩序を重んじる我らイーリア教徒がそのようなことをするわけなかろう。理由がないじゃないか」
「まったくだ。証拠もないのに」
「証拠ならあります」
シエルが振り向きざまに声を発するとどよめきが起きる。
「証拠というと?」
枢機卿の問いに答えるよう向きなおり答える。
「捕らえた犯人は皆さんが身に着けているネックレスと同じものを持っていました」
「それは我々の犯行だと思わせるための偽装工作ではないのかね?」
「そうかも知れません。それに教会全体が悪いとは考えていません。ですから捜査協力をお願いしたいのです」
枢機卿は三人で交互に顔を合わせて小声で相談をするとシエルに向かって頷いて見せる。
「良いでしょう。イーリア教徒の名誉を傷つける輩には裁きの鉄槌を下す必要があります。秩序を乱すものを我々は許しません後日使者を送りましょう」
あっさりと受け入れたことに驚きはない。教会はこの後、自分たちを抹殺するつもりでいるのだから白々しいことこの上ない。
「さて、ほかに何かありますか?」
「少しですがこの国を見て思ったことがあります」
今度は物音ひとつ立たないほど静かになる。テコがこっそりと周りの様子を伺うと目を瞑って話を聞こうとする人が多い。その中にはベニーも含まれている。
「お姉さまの美声が響き渡る……癒し……」
「いや、どういうことだよ?」
戸惑うテコを置き去りにシエルの話は続く。
「ティミド王をはじめ町の皆さんも優しくて良い人ばかりでイーリオスは本当に良い国だと思います。でもどことなく……何かに怯えて遠慮しているようにも見えます。心の底から笑えていないような……」
「それは国民が話したことかね?」
「いえ、そういうわけでは……」
「貴女の主観であっても否定はしませんよ。ただ我々ができることは教会に来て話をしてもらう以外にない。国外から来た貴女たちの目に何故そのように映るのか、領主のアスゴールドさんもここにいらっしゃるから後で町の様子を聞いておきましょう」
突然名を呼ばれたアスゴールドは自身の統治の悪さを指摘された気分になり顔を赤くしながらシエルを睨みつけている。
「おのれ……どこまでも儂を虚仮にしよってからにぃ!」
領主の視線など気にせずシエルは更に続ける。
「この国の政治は国王にはなく教会にあるのですか?」
「国王にはイーリア教の象徴というお役目があります。神代より受け継がれた教義の継承、王の存在こそがイーリアの教えに正当性をもたらすのです。煩雑な政務は各地の領主の方々にお任せすることが負担の軽減にもつながるとの考えです。王も何かご要望がございましたら後ほどお伺いいたしましょう」
物的証拠がない中でどういう反応を見せるか試してみたが動揺するそぶりも見せず淡々と答えている。証拠が少なく証言できる人物を連れてくる訳にもいかないから糾弾するにも効果が薄いことは初めからわかっていたことだ。ただ少しでも動揺や感情の揺れが見えれば糸口が見つかるかもしれないと思い実行を試みるが失敗に終わってしまう。
シエルは自分からは以上だと礼をする。枢機卿は次にソルフィリアにも何か言いたいことはあるのかと尋ねる。シエルの時と同じくソルフィリアも立ち上がる。
「私はメガリゼアの田舎町で生まれ10歳の誕生日に修道院へ入り……」
ソルフィリアは言葉を繋げずに俯いたまま黙ってしまう。自分で自分の腕を掴んだまま震えているように見える。恐怖に怯えているようにも見えるが、奥歯をかみしめて自分を奮い立たせようとしているようにも見える。
ソルフィリアもシエルのように深く深呼吸をすると震えを止めて前を向く。
「私は……いえ、私たちは酷い虐待を受けていました。神に仕えるための修行だと思い従っていました。ですが次第にエスカレートして……」
酷かった日々を思い出して吐き気を催したのか口を押えてうずくまる。シエルが慌てて傍に行き背中をさする。
「無理しないで、フィリア」
「大丈夫……ありがとう」
もう一度立ち上がり枢機卿の目を見る。三人の表情は変わらないようにも見えるが幾分機嫌を悪くしたようにも見える。
「一緒にいた何人かの子供はどこかへ連れていかれて帰ってくることはありませんでした。ある子は教皇の側使いになるのだと言っていました。聖女だと認められてお仕えできれば辛い日々も報われると。ですが司祭以上でその子の名は聞かない、この場にもいない。集められるのは魔力適性の高い子供ばかり。教会は何をさせているのですか⁉」
会場に広がる動揺は信徒だけのものであった。司祭以上は押し黙ったままでいる。自分の身を切ってまで行ったソルフィリアの告発もシエルと同じく証拠はないが明らかな動揺を誘うには十分な効果を発揮した。
「ここイーリオスには修道院がない。国王に知られると何が起きるかわからないから、違いますか?」
枢機卿3人は一瞬目を逸らしたためソルフィリアは畳みかけようとする。しかしそれよりも前に女性の泣き声がソルフィリアの発言を遮る。声を出せなかったのは聞こえてきた声に聞き覚えがあったからだ。でも振り向いて確認をしたいとは思わない。してはいけないと思っている。してしまったらこれまでの発言を無効化されてしまう、そんな気がしたからだった。
「ああ……辛い思いをしてきたのね。私たちのために今までありがとう……」
「大丈夫だ、今日すべてが報われる。また幸せな日々を過ごせるようになる」
——ダメ……振り向いては。とっくに諦めて捨てたはずでしょう?
「ねぇ、顔を見せて……お願いよ」
女性の声に男性も同じ言葉を投げかける。
——感情に流されてはいけない……今大事なところよ。台無しにしてはダメ……
「私たちを忘れてしまったの? 離れ離れになってしまったことを恨んでいるの? 私たちも辛かった……でも謝るからこっちを向いてちょうだい!……お母さんとお父さんの方を向いてちょうだい、ソルフィリア!!」
名前を呼ばれて抗うこともできず振り向いてしまう。父と母のことはもう諦めていたつもりだった。恨んでいるわけではないが縁は切った方が良いのだと思っていた。単純に自分のためでもあり両親のためにもなると思ったからだった。
だが親子の呪いは解けることなくソルフィリアを縛り付けていた。
——ああ、終わってしまった。見捨てる覚悟をしてきたはずなのに……
両親の顔を見て涙があふれたが、それは再会の涙なのか無視できずに振り向いてしまった後悔の涙なのか分からない。
「ああ、ありがとう……聖女に認められれば皆、幸せになれるわ」
テコたち以外は涙の再会に感動し涙するものが多くいた。修道院で行われていた非道はスパイスとなり純粋に辛かった日々が今日報われる記念日になるのだと。
実際に行われていた事実など無視してドラマ性に酔いしれている。
「本当に何なんだよ、こいつら……」
異様な雰囲気に本気で集団催眠などのスキル発動を疑い【鑑定】するが全く気配がない。ただただ困惑する一方だった。
逆に動揺させられたテコたちの隙を突くように枢機卿の言葉が礼拝堂に響きわたる。
「そう、この審判で聖女に認められれば君も家族も、イーリア教徒の皆にも幸せが訪れる。さあ、改めて審判を始める!!」
厳かな雰囲気は壊れてしまい勢いで押し切られていく。審判という名の暗殺計画が始まる。




