神の審判Ⅲ
少し時間を遡ってテコたちが出立したあとティミド邸の前には数台の馬車が停まって列を作る。その中の1台から降りてきたのは領主のアスゴールドだった。
「ワシが直々に出迎えにきてやったのだ、ありがたく思え。聖女をエスコートしたとなれば教会にも大きい顔ができるというもの」
いやらしい笑みで門をくぐると中から侍女が出てくるのが見える。声も掛けていないのに一歩踏み入れるだけで来訪の時間を知っていて待ち構えていたかのように出迎えられる。今回が初めてではなくいつもの事だ。正面からだけではなく塀を乗り越えて侵入しても同じだ。何故それを知っているかと言えば雇ったチンピラが侵入して一人は捕まり、一人は殺されているからだった。
どこからか門を見張っているのかと思ってしまうが実際にはここで働く者たちはそれなりの訓練を積んだ者たちばかりで敷地内であれば気配探知など造作もない。そのうえテコたちからも領主が迎えにくるであろう事を伝え聞いていたから待ち構えていたという表現は間違いではなかった。
アスゴールドは内心いつも驚いて焦っているが平静を装って威厳を保っているつもりでいる。
「ごほん、聖女様ご一行をお迎えにあがった。ワシが直々になっ! 何をぐずぐずしている、さっさと呼びに行かんかっ⁈」
応対する侍女は無表情のまま待機姿勢を崩さない。領主の横柄な態度はいつもの事で大して気にもならなかったが吹き出してしまわないよう堪える事に懸命だった。
「ワシの言葉が分からんのか⁉︎ 早くしろっ!」
手足をジタバタさせてまさに地団駄を踏むを体現して流石に我慢できず表情が崩れる。マズいと思ったが鈍感な領主は侍女が笑顔で応対していると思って少しおとなしくなる。この隙に平静を取り戻して用意していた言葉を領主に向ける。
「折角のお迎えですが皆様は既に出立されて今頃は大聖堂に到着されている頃かと」
「はあっ? ワシが迎えにいくと言っておるのに勝手に行ってしまっただと⁈ ワシのメンツを潰しただけでなく教会での地位向上の計画まで台無しではないかっ⁉︎」
顔を真っ赤にして馬鹿みたいな事を言って騒いでいる姿は見るに堪えず笑えない。ため息まではつかなかったが自然と真顔に戻る。
本当にいないのかと詰め寄ってくるから早く行かないと間に合わないのではと伝える。領主の側近がその通りだから急いだ方が良いと耳打ちする。領主は文句を言いながら馬車に駆け込み一団は走り去っていく。見送った侍女は奥に居る同僚に大声で呼びかけた。
「誰かぁ、お塩を持ってきてちょうだい」
一方でテコたちはティミドたちと別の部屋に通されて4人だけの作戦会議を始めていた。
「奴らの目的……と言っても推測でしかないけどざっくりまとめておこう。まずシエルについては捕らえるか殺して王国に売るつもりでいるのだろう。これ迄の事も王国が関わっている可能性が高い」
戦力を削ぐというだけではなくシエルには王位継承の可能性がある。本人にそのつもりがなくとも現在の政権下には脅威でしかない。幼いうちに消してしまいたかったがうまく行かずにお尋ね者のような扱いになりつつある。
「次にフィリアだけど……」
「催眠か何かで操られて教会の都合の良い存在に祭り上げられる、もしくは何かの罪を擦りつけられて処刑される。他には……もう一度スパイとしてゼピュロスの内側から工作に手を貸す、といったところでしょうか? 正直色々ありすぎて対策のしようがありません」
「だよなぁ」
思わずため息が漏れる。
「それとおまえの両親の事は全く情報を得られなかった。脅しをかけてきた割に今日まで要求も何も無かったしな」
「私はもう諦めていますし、それに……あの人たちも案外元気で教会に協力している側ではないかと思っていますから」
普段と変わらず落ち着いた口調で話す様子から無理をしているようには見えなかった。どうにかしてあげたいというのはこちらの勝手な気持ちであってソルフィリア自身の気持ちに反することはできない。それでも、とは思ってしまう。
「そこでなんだけど」
テコに相手の気持ちを尊重して遠慮する気持ちなど無かった。テコにしてみればソルフィリアも内心では心配しているのではと思う。親子とはそういうものだ。すぐ側で血の繋がりはなくとも互いに愛情を注ぎ合う親子の姿を見てきたからかもしれない。
「少し情報を集めてこようと思う。俺なら完全に気配を遮断して動けるし、いざとなればここにすぐ戻れる。というわけでシエルは留守番な」
「うん、分かった」
「では私も偵察に参りましょう」
クロリスも情報収集に手を上げるがそこに待ったがかかる。
「いえ、それならば私に行かせてはもらえないでしょうか?」
手を挙げたのはソルフィリアだった。やはり両親のことが心配なのかと思ったがどうも違う思惑で動くらしい。
「教会内部の様子を知りたいのです。修道院で一緒だった誰かに会う可能性もありますし、私が直接動くことで何か動きがあるかも知れません。そうなれば茶番は終わりです」
どうやら今回の件を終わらせる為に積極的に動くつもりらしい。危険が迫ったところで大方は対処してしまうだろうが、今日の主役というべき人物がウロウロしているだけで怪しい。
「でしたら私がお供しましょう。フィリアさんの従者は私の役目ですから」
「私が出歩くことで陽動にもなります」
ソルフィリアの提案は悪くなくクロリスのサポートがあればより安全だろう。テコはしばらく考え込むが自分が動きやすくなるメリットは大きいと思える。それに自分がソルフィリアの両親の居場所、もしくは安否を調べれば良いのだから。
「分かった。取り敢えずその作戦で行こう。但し、ふたりはあまり無茶をするなよ」
審判が始まるまでの間、大聖堂内での情報収集が始まる。ソルフィリアとクロリスが部屋を出ると少し離れたところに神官の格好をした男が二人いた。こちらに気がつくと何も言わずに様子を伺っていた。ソルフィリアとクロリスは視線を一瞬だけ合わせると神官の元へと歩きだす。
「すみませーん、まだ時間があるみたいで退屈してしまって。よろしければ大聖堂の中を案内していただけませんか?」
絶妙な距離感とボディタッチを含めた仕草で神官たちは顔を赤らめている。トドメにクロリスの後ろからソルフィリアが声をかけると少しだけなら良いだろうと案内してもらえることになった。
今日の審判で聖女かどうかが判明するはずなのだが大聖堂に来てからというもの信徒たちの態度は既に確定しているかのような振る舞いだった。歩いているだけで遠くから祈りを捧げられて気恥ずかしい思いはするが、敵意が含まれるような視線は全く無かった。
大聖堂は元々城だっただけに中は広い。広いだけに何もなく使われていない部屋も複数存在している。中には書物や絵画らしきものが積み上がった倉庫のような部屋もある。態々散らかった部屋を見せる必要はないと思われるが、クロリスが時間稼ぎのために全ての部屋を見せて欲しいと頼んだからだ。
「ここがこの階の最後の部屋です。この上は枢機卿が待機されている階なので聖女様といえどもお通しするわけには……そもそも、我々が立ち入りを許されていませんので」
ここで無理強いしても良いことはない。神官たちが処罰されても気の毒だ。クロリスは諦めて別の場所を案内してもらおうとしたその時、ソルフィリアが遠慮気味に声をかける。
「あのぉ……すみません、お手洗いはどちらに?」
「ああ、この廊下を真っ直ぐいって突き当たりを左にあります。ご案内しま……いえ、失礼しましたっ!」
「お気遣いありがとうございます」
軽く頭を下げてそそくさと向かっていく。
「ここで待つのも何ですからもう一度さっきの部屋を見せていただけませんか? ほら、書物が積み上がったあのお部屋」
クロリスに誘導されるように神官たちはその場を離れる。それを廊下の陰からこっそりソルフィリアが見ていてクロリスたちが部屋に入るのを見届けると上の階へと続く階段を駆け上がる。
護衛を警戒しながら進むが護衛どころか神官の姿さえ見当たらない。慎重に進みいくつかの部屋のドア越しに聞き耳を立てるが声どころか気配さえない。この階にはいないのかと思いながら各部屋を回っていく。最奥の部屋の前にいくとドアが少し開いており中から男の声がはっきりと聞こえてきた。
「本当に大丈夫なんだろうな? 毒なんかで仕留められるのか?」
「儂の作った毒を疑うのか? 猛獣さえも数秒で息の根が止まる劇薬だぞ。小娘の一人やふたり造作もないわ」
「それではつまらん。少し薄めて悶え苦しむ様を見たい。あの幼い王女にも我々に逆らえばどうなるのかを見せつける良い機会だからな」
「なかなか聡い子供だという噂だ。それを見れば思い知るだろう」
「どうせなら両親も同じようにして死んだことも教えてやろう。和解の宴と騙して毒殺したことは言えんがな」
初老の男3人の不快な笑い声を聞いてソルフィリアは怖気が走る。
——ベニーさんの両親を手に掛けたのはこの中の誰か……いや、3人で……。そして私たちも毒で……
「シエルとかいう娘は王国に売れば金になる。それだけじゃない、王国と我々の関係も大きく変わるだろう」
「では王国とは同盟を組むのか?」
「その方が色々と都合が良いらしい。従ったフリをしておけばそのうち王国も滅ぶという寸法だ」
「また数十年待つ事になるのか?」
「ああ……だが、今の我々に時間は敵ではない」
教会の目的と何をするかは分かった。それ以外の情報も掴みたいところだがクロリスの時間稼ぎも限界だろうと思いその場を後にする。




