神の審判Ⅱ
シエルたちが着替えとメイクをしている別室からはベニーの歓喜に満ちた声が響いている。クロリスと屋敷の侍女により磨き上げられていく様を間近でみて興奮が収まらないようだった。ベニー自身も用意しなければならないが後回しにされている。
というのも手伝いに来た侍女はクロリスが思っていた以上に手慣れていてこちらの意図を汲んで動いてくれるから徐々に興がのってしまいふたりとも忘我の彼方に入りかけている。
「あのう……クロリス、さん?」
「はっ⁉︎ 私ったら、おほほ……」
シエルとソルフィリアは元々顔がよくスタイルも良いのだが、普段からお洒落やメイクなどと縁遠い騎士などという仕事をしている。だからこうして着飾ると磨き上げられた宝石のように輝きを放ってしまい、その光に当てられたら最後、魅了されてしまう。
「て事ですよ!」
「……何のお話、でしょうか?」
小首をかしげるソルフィリアに前を向かせてクロリスはヘアメイクの続きを行う。
「おふたりとも素敵です……」
感動のあまり泣きそうになっているベニーも侍女が黙々と着替えさせて髪を結い上げていく。
「ありがとう、ベニーちゃんも可愛いよ」
シエルは白ベースに薄い青のグラデーションが入ったデザインのドレスに対してソルフィリアは青ベースにスカートの裾には白波のようなデザインが施されていて海を思わせる。
メイクも終わりやり切った表情のクロリスと侍女は互いに抱き合って健闘を讃えあった。
「あの……そろそろクロリスさんも準備を……」
「てへ、そうでした」
「てへ、じゃねぇよ。さっさと準備しろ!」
テコもこの日ばかりは正装をしている。正装といってもシエルの従者としてなので執事服を纏っている。
「ふぉーっ!」
テコの姿を見て大興奮のシエルが変な声をあげている。余程気に入ったのかぐるぐると左右や後ろからその姿を眺めては目に焼き付けていく。
「なんだよぉ……あんまりジロジロとみるなよぉ。恥ずかしいだろ?」
「いやいやいやいや、滅多にオシャレなんてしないんだから」
「いやぁ、眼福ですね」
「ベニーまで勘弁してくれよ」
照れてしまい部屋を逃げ出したテコは庭で待っていると告げて出て行く。そんなやり取りをしている内にクロリスのドレスアップは終わっていた。
「いつの間に⁉︎ 魔法かスキルですか?」
「私も天の声ですから主のイメージで割と自由自在なのですよ」
「なんと‼︎ ……で、では、あんな格好やこんな格好も……」
興味津々であれこれ聞きたそうなベニーをソルフィリアが制止する。
「はい、ベニーさん! そろそろ出発しますよ。忘れ物は無いですか?」
「はわわわ、申し訳ありません! 少々お待ちを!」
大慌てで自室に置いてある手荷物を取りに駆けていった。
「慌てて転ばないよう気をつけてください!」
自室に戻ったベニーは手荷物を持ってきょろきょろと周囲を見渡す。子猫のアルクスの姿がどこにも見当たらず探しているのだ。
「お留守番なのがわかって拗ねちゃったのかな」
庭へ向かう途中にすれ違った侍女にアルクスを見ていないか尋ねると寝床で丸くなっていたのを見たと聞いた。アルクスのために用意したふかふかの寝床が余程気に入ったらしく、昨日は帰ってから動く様子が見られなかった。
ひと目アルクスの顔を見てから出かけようと思ったがアルフラウが早く来てほしいと呼びに来る。テコたちを待たせる訳にはいかず仕方なく諦めた。
——もしかするとお見送りに来てくれるかもしれないし
庭へ出るとテコたち4人にティミドとライニが寄り集まっていた。足元には大きめの絨毯が敷かれていて、シエルたちのドレスの裾が汚れないようにと転移する際の範囲を視覚的に表すためでもあった。
「ライニさんの持っている荷物、何が入っているの?」
シエルがライニの持つ少し大きめの箱のような形の鞄を指して尋ねる。
「ああ、一応教会への差し入れです。何か催しがあれば持って行くのが慣例で。赤と白のお餅ですけど……教会にはすこぶる評判が悪いので、ちょっとした嫌がらせです」
また冗談を言っているのだろうとティミドやアルフラウの顔を見るとふたりとも目を逸らす。再びライニの方を見ると不敵な笑みをみせシエルたち4人は「マジなやつかぁ」とこれ以上触れないようにした。
「全員揃ったな。じゃあ行くか」
テコが準備を始めるとベニーはアルクスがいないか探す。
見送りの侍女が並ぶ列にもいない。縁側のあたりも塀の上にも屋根上にも、どこにも見当たらない。
——寝ているのかな? それとも本当に置いていかれる事に怒っているのかな?
不安そうな顔をするベニーにシエルが気づいて声をかける。
「どうしたの、ベニーちゃん? 転移が不安? それとも他に何かあった?」
「あ、いえ……アルクスが——」
話している間にテコは転移魔法を発動させて次の瞬間には景色が変わっていた。
「ええっ⁉︎ もう着いたのですか?」
「アルクスがどうしたの?」
ベニーの驚きよりも言いかけていた事が気になったシエルがお構いなしに尋ねてくるからベニーも驚きを横に置いて答える。
「あ、アルクスを今朝から見かけてなくて、その……置いていかれる事に怒っているのかな、と」
兄妹のように仲良くなった愛猫を置いてきぼりにした事が心苦しいのだろう。だがこれから向かうのは教会との対峙の場であり、ましてや猫嫌いの枢機卿がいるような所に連れて行く訳にはいかなかった。
「今日だけは我慢してもらおう。代わりに帰ったらいっぱい遊んであげようね」
もう置いてきてしまった事実は変わりようがなく、シエルの言うとおり帰ってきてからたくさん遊んであげようと心に決める。
大聖堂は遥か昔は城だった建物を改築してできた。そのため外門は城の名残があって堅牢な城壁と共にある。しかも教会騎士が門番として立っているから余計に宗教施設と思えない外観だった。
「待て! 貴様らは何者だ?」
「案の定かよ。絶対に止められると思った」
文句を言いながら2通の招待状を門番に見せてまた変な名乗りをあげようと一呼吸置く。だが先に門番が大声で謝罪の言葉を並べる。
「大変失礼いたしました、聖女様! さ、どうぞお入りください」
門が開くと一人が中にいた騎士に合図を送る。すると急いで城の中へと消えて行く。きっとシエルたちが来たことを知らせに行ったのだろう。
「えっと……これが目に入らぬかぁ……」
出鼻を挫かれて意気消沈のまま小声で呟いた口上は誰の耳にも届いていなかった。
「テコ、元気出して。今度聞かせてもらうから」
「うん……これ以上触れないで」
シエルに慰められて小さくなってしまったが従者としての態度は丁度良いサイズ感に収まった。
城の中に入るとシエルたち4人とティミドたちは別々の控え室に案内される。ティミドたちの部屋は広く豪華な装飾がされているあたり貴賓として扱われている事がわかる。
「今回も断られましたね。ちゃんと王族扱いするなら受け取れば良いのに」
ライニは持っていた餅が入った箱型の鞄をテーブルに置く。毎回渡そうとするが持ち帰るよう丁重に断られている。
「まあ敢えて、というところもありますからね。重かったでしょう。帰りは私が持ちますから」
「大丈夫ですよー。なんか今日はえらく軽かったですから。中身入れ替わってんじゃないかってくらい」
ライニの言葉に反応するように鞄がカタカタと小刻みに動く。ティミドもベニーも気がついて4人の視線は鞄に釘付けになる。
「う、動いた? 動きました、よね?」
ベニーが皆に確認を取ると一斉に頷く。一瞬の静寂があたりを包むと今度は激しく動き出す。鞄の中は餅ではない何かがいる。
「ライニ、開けなさい!」
アルフラウの指示にすぐ反応して鞄を開けると中からは子猫のアルクスが勢いよく飛び出してきた。
「アルクスっ⁈ どうしてここに⁉︎」
心配だからついて来てやったと言わんばかりの態度に4人は唖然とする。
「まさか餅を入れた鞄の中に忍び込んでいたとは……この責任は——」
「アルクス、ダメじゃ無いですか。もう、置いていかれるのが嫌だったとはいえ忍び込むなんて悪い子です」
言葉と裏腹に会えた嬉しさでアルクスを抱いたままずっと撫でている。
しかし猫が嫌いとの理由で駆除しようとする枢機卿がいるこの大聖堂内はアルクスにとってかなり危険な場所と言える。
アルクスも理解しているのか全く声を出さないでいる。かと言ってこの部屋に置き去りにする訳にもいかないので鞄にもう一度入ってもらって連れて行く事にする。
「アルクス、大人しくしていてくださいね」
ベニーの言葉にじっと目を見つめて口を大きく開く。まるで声を押し殺して返事をしているようだった。




