神の審判Ⅰ
朝になってシエルが目覚めるとベニーが潜り込んできていて抱き着くように眠っていた。ソルフィリアとクロリスはすでに目を覚ましているようでいない。
——かわいいなぁ。妹がいたらこんな感じかな
ベニーの前髪を上げて顔を見ると泣いていた。また悪い夢を見ているのかもしれないと思い先に身体を起こすとベニーも目を覚ます。寝ぼけ眼でシエルを見上げて目をこすっていると自分が泣いていたことに気が付く。
「おはよう、ベニーちゃん……また怖い夢をみたの?」
「おはようございます、お姉さま。覚えては……いません。ですが……昨日のお昼に見た夢と同じだったような気がします。辛くて、苦しくて、悲しい……」
シエルが涙の跡を指で拭ってあげるとベニーは胸に飛び込んできた。
「お姉さまは今日の審判が終われば帰ってしまうのですか?」
「そうだね……仲間も待っているし。……さみしい?」
「はい、寂しいです。もっと一緒に居たいです……」
シエルももっと一緒に居たい気持ちは同じだったが周辺国との問題や行方不明になっているルゥのことなどやるべき事が残っている。だがこの“しっかり者の妹”の事も放っておく事はできないと思ってしまう。
「じゃあ今日の審判が終わったらもう一晩だけ泊めてもらおうかな? みんなは先に帰っちゃうかもだから、わたしだけになるかもしれないけど、良い?」
ベニーの顔がみるみる明るさを取り戻していくのがわかる。本当に? と、何度も聞いてくるあたり子供らしさをおぼえてシエルは何度も本当だよと返事する。
はずむ声を聞きつけたのかソルフィリアが入口から顔を覗かせる。
「おはようございます。ふたりとも顔を洗ってきてください。朝食を用意しました」
「え? フィリアが用意してくれたの?」
「はい。泊めていただいたお返しにせめて朝食ぐらいはとお台所をお借りしました」
「はわわわ……まさかフィリアお姉様のお料理をいただけるなんて!」
「そんな大したものではありませんよ。さ、早く来てくださいね」
シエルとベニーは急いで寝巻きから着替えて顔を洗いに行く。そこにはライニがいて背を向けたままこそこそと何かをしているようだった。
「おはようございます、ライニ。えっと……どうかしましたか?」
ベニーの挨拶に驚き慌ててこちらに向き直るが口の中には明らかに何かを頬張っていて飲み下そうと必死になっていた。
「ほはよお……ふがい……まふ」
「え、なんですか? 落ち着いて……喉に詰まらせないでくださいね」
つまみ食いしていたのは明らかだったので内緒にすると伝えるとそのまま無言で口の中に押し入れた何かを食べ切った。
「ああ……死ぬかと思った。ごほん……おはようございます、ベニーお嬢様」
さも何もなかったように恭しく直角に身体を折って挨拶する肝の太さにシエルはディアナとライニに血の繋がりを感じてひとり感慨に耽る。
「ここで何を……まあつまみ食いしていた事はわかるのですが、なぜこんな所で?」
「ソルフィリアさんの手伝いを任されまして、味見を頼まれたのですがアルフラウさんに見つかったら怒られると思って」
いつもの抑揚のない淡々とした口調で話すよく分からない言い訳にベニーは首を捻っていたがシエルは別の感想を持つ。
「双子だけどライニさんが妹なの解釈一致だわ……」
「味見を頼まれたのであれば問題ないでしょ? それにここではフィリアお姉様に感想を伝えられないじゃないですか」
「ああ、確かに。じゃあ戻りまーす」
「結局何を味見したのかも教えてもらえずに行ってしまいましたね」
「感想も聞けなかったけどあの顔は期待していいかも。フィリアの作る料理はどれも美味しいからね」
期待を膨らませて食卓へ向かうとこんがり焼き立てのパンと野菜やこんがり焼けた加工肉、卵を茹でで潰して調味料で味を調えたようなもの、クリームなどが小分けにされて並んでいた。
「すごい! これは……」
「お米が穀物であるならパンにできないかと試してみました。パンには切れ込みを入れていますので間に好きな具材を挟んでオリジナルサンドイッチにしてお召し上がりください」
「好きなモノを挟んで……どれを選べば良いのか……お姉様のおすすめはありますか?」
「ええ……これはわたしも迷うなぁ。でもパンが一口大だから全部試せるかも」
「はい、シエルの言うとおり色々な味を楽しめるようにパンは小さめにしています。でも食べ過ぎには注意してくださいね」
ソルフィリアの説明が終わるとアルフラウが部屋に入ってきて具材が並ぶ中に一皿加える。
「ソルフィリア様、お伺いしていた品がご用意できました。こちらがこし餡、そして……」
更にもう一皿をテーブルに並べる。
「こちらは粒餡となります。この二つは本来菓子に使用される加工食品ですが、まさかパンに合わせるとは正直驚きました。まさに目から鱗が落ちる思いです」
紫色に輝く餡を目の前にしてテコも感嘆の声をあげる。
「これは昨日のあんころ餅と同じやつか⁈」
「はい。こちらでいただいたお菓子と似ている気がしましたので大陸から伝わった製法なのかもと思いアルフラウさんにお願いして作っていただきました」
「少し色が薄いと思われるでしょうが、こちらは砂糖の量を抑えているからなのです。米を使ったパンと聞き甘味は少し抑えた方が宜しいかと愚考しました。お口に合わなければ責任を取ってし……」
「めっちゃ美味いじゃないか! これなら何個でも食べられそうだ!」
「……」
がっつくテコにみんなの分を残しておくようシエルが嗜め笑いが起きる。
「……お口に合ったようで何よりです」
色々な具材を組み合わせながらベニーたちは朝食を楽しんだ。
食事が済んで一息ついているとクロリスが席を立つ。
「お二人の着替えの準備をしますのでお先に失礼しますね。侍女の方にもお手伝いをお願いできますでしょうか」
「畏まりました。では着付けやメイクが得意な者を向かわせます」
アルフラウは後ろに控えていた侍女に目配せで指示する。
「助かります。よろしくお願いしますね。ではシエルさんとフィリアさんは後で部屋まで来てください」
「わたし達も一緒に行きます。ベニーちゃんも行こ」
「は、はい!」
クロリスの後に続いてシエルたちも部屋を移る。聖女として認められた場合にはお披露目を行うからとドレスでの参加を指定された。これは騎士服であれば武器を携帯することになるから、それを避けるための口実であり丸腰で来させるための方便だろう。シエル達の実力を理解したうえでの策なのであろうが武器がなくても並の相手なら太刀打ちできないことまでは計りかねている。だから敢えて相手の要求に乗ることにした。
「なあ、あんた達も招待されているのって……」
部屋に残ったテコとティミド、執事のアルフラウだけである。
「教会はお二人のどちらかを担ぎ上げて片方を断罪するでしょう。その罪を我ら王家にも向けるやもしれません」
「そこまで、分かっていてベニーまで一緒に連れていくのか?」
「あの子は置いていくつもりだったのですがどこで聞きつけたのか自分も行くと譲らず、最後は私が根負けしたのです」
「両親の影響か」
茶を飲みながらしばらく沈黙が続く。今度はティミドがテコに問いを投げかける。
「片方を断罪……もう何方かはお分かりなのでしょう……どうするおつもりですかな?」
テコは手にしている透通った緑の奥底を見つめたまま考えるふりをしている。ティミドは何も言わずに答えを待った。
「策を弄する必要はない、真正面から立ち向かう。今はそれだけで良いと思っている。仲間が王国内でのテロを教会の指示でやっていた証拠を集めている最中だし。とにかく舐めた事してたらただじゃ置かないって事を知らしめる……てところかな」
今度はティミドが黙ったまま庭から見える空を見つめている。
「本当に困った時でも神は助けてくれない。神に祈りを捧げるよりも神の教えに倣い同じ大きな過ちを繰り返さないように生きていく事の方が大事だから……神イーリアの望みもそうだったのではと私は思うのです。今まさに過ちが繰り返されようとしている。そんな時に貴方たちが来てくれた。背負わせてしまう事に罪悪感はあるが……これこそが神イーリアのお導きなのではと思わずにはいられない。何もしなかった臆病者が受ける罰で賄えるなら、私の存在も無駄ではなかったと思えます」
最後は少し涙声だったが顔は相変わらず外に向けていたからわからない。
「無駄なんかじゃねーよ。ベニーはあんたの教えをしっかり守っている。街の人達にも好かれていてさ、未来の王女になる自覚があるのかな……シエルの小さい頃を思い出すよ。立派な良い子に育てた、それだけでも十分じゃねーか」
その後ティミドは顔を伏せたままテコが席を立つまで顔を見せる事はなかったが一言「ありがとう」とだけ呟いた。




