臆病者と少女の見た夢Ⅳ
「ではシエルお姉様、お風呂にご案内いたします! 結構広いのでお二人ずつでも入れますよ」
「じゃあベニーちゃんも一緒に入ろうよ」
「ええっ⁉︎ よ、よろしいのですか?」
何かあると全員の顔を順番に見て確認するのはベニーの癖のようだ。可愛らしくもあり可笑しくもあり見ていると思わず笑みを溢してしまう。ティミドがまた嗜めようとしていたがそれよりも早くソルフィリアが行ってらっしゃいと言うものだから認めざるを得ない。
「私たちは後で構いませんからお先にどうぞ」
「うん、ありがとう。行こう、ベニーちゃん」
ベニーも喜びで小躍りしながらシエルの手を引いて行く。廊下から足音が消えるとソルフィリアはティミドに聞きたいことがあると切り出す。
「聖女審判を名ばかりの不当な裁判だと言われましたが、過去にも審判は行なわれたのですか?」
「はるか昔、似たような形式で裏切り者を処罰した例もあれば祝いの宴となった例もあったと聞いたことがあります。何を祝ったのかまでは分かりませんが」
ティミドは下を向いたまま目を瞑っているように見えたが顔を上げるとその目は開いている。会った時からやさしい好々爺の雰囲気を漂わせるご老人なのだが、時々目の奥に何かを灯す事がある。
ティミドをはじめとする王家の事も気になるが今は教会の事を優先しなければならない。ひょっとすると王家と教会の関係からわかる事もあるかも知れないが今は一つずつ疑問を解決する方を選んだ。
「今の教会は神の教えに倣いより良い世界へ向かう気概もなければ弱きを助ける正義の心もありません。みな私利私欲にかられて本当に救いを求めている者を騙して搾取し続けている。……死んで救われる命など何処にもないのに」
突然のことにソルフィリアもクロリスも上手く返せずにいるとティミドは二人を見つめてもう一度口を開く。
「できる事なら逃げた方が良い。聖女審判など碌でもない事を考えているに違いない。枢機卿をはじめとした大勢の幹部が信者を騙して私腹を肥やしている。教皇の姿は私も見た事がないから既に傀儡と化しているやも知れません。修道院で手懐けた子供を利用しているという噂があるくらいですから」
ソルフィリアは思わず声が漏れそうになり目を見開いたまま手で口を覆う。従順で優秀な子供ほど早くに修道院を離れていく。思い当たる節がありすぎて一度に疑問が解決した。
深く息を吸い込んで落ち着きを取り戻すがティミドは追い打ちをかけてくる。
「教会は数年前から王国と手を組もうと画策してきました。イーリオス王家が持つ神からのお墨付きを王国にも授ける事で関係を対等で強固なものにしたいと考えていたのでしょう。ですがテネブリス王家には余計なお世話だと取り合ってもらえないまま内乱が起きてしまった」
政治に関わるもの以外には知る事がない情報だ。お飾りと言っておきながらしっかりと情報収集は出来ている。余程優秀な諜報員がいるのだろう。
「何処で知ったのか、あの金髪の——シエルさんの存在を知られてしまった。更に王国が懸賞金をかけて探している事も関係があるのでしょう。捕らえて王国との交渉材料にするつもりかも知れません」
シエルに懸賞金が掛かっている事は初耳だった。王国の最高戦力のひとりなのだから仕方がないといえばそうなのだが、脅威認定している以上の意図が感じられる。
あまり良い扱いを受ける事はなさそうであると確信めいたものは話の流れからよく分かる。シエルの事を知っていれば簡単に捕まる事はないと思えるが、今回ばかりは正攻法で攻めては来ない事が予想される。
故にソルフィリアは気を確かにして決意を口にする。
「私の禍根を断つ事で彼女を護らなければいけないのです。ですから逃げるわけにはいきません」
真っ直ぐにティミドを見つめて言葉を投げかけると一瞬だけ頬が緩みそうに見えたが何かを思い出したかのように悲しげな表情に変わってしまう。
「君は……いや、私に意気地がないだけか……。それでもあの子たちの二の舞は避けたい。無理に立ち向かう必要などないのだから……」
「私のお父様とお母様ですか? えっと、両親は教会に逆らった罪で亡くなりました」
風呂場ではシエルとベニーが並んで湯船に浸かっている。シエルが何気なくティミド以外の家族について尋ねるとあっけらかんと答えた。
「えっ⁉︎ ごめんねイヤなこと聞いちゃって……」
「気にしないでください! シエルお姉様こそ、さらっとご自分の出自をお話しされていたではないですか」
屈託のない笑顔で返されて少し罪悪感が和らぐ。同時に子供とは思えない大人びた受け答えに感心させられる。
「教会のやり方は間違っているからそれを正そうとしたそうなのですが、多勢に無勢に理不尽が追い討ちをかけてきて力及ばず処刑されたそうです。私は物心つくかつかないかぐらいでしたので正直両親の事はあまり覚えていません。ですがおじいさまと家政の皆さんが居てくれるので寂しくはありません!」
吹き出しそうになるのを両手で押さえて言葉を区切りながら「それに」と続ける。
「おじいさまの許可をいただければあの猫ちゃんも新しい家族です!」
こちらまで嬉しくなるような笑顔を向けられて思わず抱きしめてしまった。
「ねぇ、猫ちゃんの名前は決めてるの?」
「そうですねぇ……何が良いですかねぇ? シエルお姉様も一緒に考えていただけますか?」
王族であるベニーの両親が教会に逆らって処刑されたと聞いてソルフィリアたちは言葉を失っていた。
「王家は教会にとって重要である……そうおっしゃいましたよね? 何故……」
理由を尋ねたところでまともではない事は重々承知しているが衝撃が強ければ口をついて出る言葉などこの程度だろう。
「私が述べたような真実を明らかにして信者の目を覚まそうとした。だが分かったうえで“教会”を信奉している者も多くいる。甘い汁を吸っていたのは教会だけではなかったのだ。国民には不幸な事故として処理されている」
「それでも次代の王族を手にかけては……、まさか?」
「そう、ベニーが居る。あの子に婿を取らせて傀儡の王家を作るつもりなのだろう。以前から計画していたかも知れないが信じられない事に女の子が産まれたのは数世代も前の事なのです」
何となくだがティミドが本当に言いたい事の道筋が見えてきた気がする。何とかしてあげたい気持ちはソルフィリアにもあるが今は天秤にかけられるほどの余裕は正直なかった。
やがてシエルとベニーが戻ってくる。
「お先でしたー」
「おじい様聞いてください! シエルお姉様はスゴいのです‼︎ 魔法で髪をあっという間に乾かしてくださいました!」
興奮気味の孫娘が駆け寄ってくると頭を撫でて「本当だ、すごいな」と慈しみの表情を向ける。ふたりの様子を見てソルフィリアは胸が締めつけられる思いだった。
顔を背けると背中に暖かい温もりを感じる。
「貴女は貴女の目的があるのだから、背負いすぎてはいけませんよ。お二人の事は私たちの問題と一緒に解決するかも知れませんから」
背中を優しくさすられながらだったからかクロリスの声は安心感があり落ち着く。テコの視線を感じて目を合わせると何も言わずに頷いてくれた。
ふたりの言うとおりに全てが上手くいく事をソルフィリアも願っている。だが彼女が立てた幾つかのシミュレーションでは楽観視する事ができず慰めの言葉も心の奥底には響いてこなかった。




