入学試験Ⅲ
細かい設定は置いておいて、本来殺しあう必要がない人物の私闘を目の当たりにしたときどう行動するのかを問われている。
命の選択と自らの行動の選択。
自分も含めて誰かが必ず死ぬ状況と自発的な行動をとるのか、それとも傍観者でいるのか?
どちらを選んでもそれらしい理由はつけられる。直感的に自分ならこうするという答えもあるだろう。どれも正解で間違いはない。所謂、思考実験というやつだろう。
騎士学校の試験だから自己犠牲を選ぶ奴もいるだろうが、この程度のことで命を投げ出す奴はいらないだろう。少なくとも俺ならそんなやつは騎士団に入れない。
だからと言ってどちらかを選ぶのも、何もしないのもどうかと思う。何にせよ自分が選択した答えの理由が大事だろう。
——シエルはどう答えるのだろう?
天の声と言っても思念で会話するだけで心の内が読めるわけではない。現にシエルが3歳になって話しかけられるまで何を考え、思っていたかなんて俺は全く分かっていなかったのだから。
会話をすることで相手の考えを知り理解ができる。それでも全てではない。天の声が持つ“能力”や“才能”を閲覧できる権能があってもだ。
だからその答えには興味があった。
「難しく考えるなとは言ったが、時間はまだあるからゆっくり考えるといい」
試験官フラム・シュヴェーアトは落ち着いた口調で語りかける。目つきが悪いのに無表情だから何もしなくても怖がられそうな顔に目の奥だけが異様にギラギラして見える。教員というよりも現役の、それも最前線で今も戦っている戦士のようだ。何かと戦っているのか、時折その光が炎のように揺らめくことがある。この男がもつ性質なのか感情の揺らめきかは分からない。
だが、質問の答えを考えているシエルを見極めようとしていることは間違いがなかった。
「最初にも行ったが、試験の合否にも君の人間性に言及するものでもないから安心して答えてくれ」
シエルは腕組みをしたまま猫の手みたいな拳を口に当て、目を閉じたまま質問にどう答えるのかを考えている。
何となく猫が手で水を飲むときのような姿に見えてかわいい。
真剣に思考を巡らせている時は余程のことがない限りは声を掛けないことにしている。
理由は二つ。一つは邪魔をしないため。もう一つは俺に頼り過ぎないようにするためだ。
俺が天の声として共にあり続けるかどうかの保証はない。何時までとかいう労働契約もなかったし、転属だってあるかもしれない。万が一の時に備えてシエルにはできるだけ自分の力で生きていけるようになって欲しかった。何もできずに不幸になるよりも、全力で抗って不幸になるならその方が良いと考えるような子供だったから——というのもある。
始まって何分も経ってはいないが身動きしないから寝てしまったのではと心配になってきた頃、ようやく目を開き真っすぐに試験官の目を見つめた。
「答えはでたかい?」
「はい」
「では答えを聞かせてもらおう。シエル・パラディム、君はこの状況においてどう行動する?」
「わたしは……」
緊張する。でもどんな答えでも俺は受け止めるぞ!
「わたしには蘇生魔法が使えそうな知り合いがいますので、両方止めに入って死んでも大丈夫です」
試験官の無表情が真の意味で無表情になった瞬間を見てしまった。
「蘇生魔法……おとぎ話のアレか? 質問は作り話だがそういう意図ではない事は分かっているのだろう?」
流石の試験官もイライラを隠しきれずにいる。
『おい、シエル。言っておくけど俺は蘇生魔法なんてできないからな』
「え? そうなの……?」
分かり易く驚いている。何故、意外と思ったのか?
『俺だって何でもできるわけじゃないんだぞ』
「じゃあ駄目だ……」
そう呟くと下を向いてしまった。だがすぐに顔を上げ試験官に告げる。
「蘇生は無理らしいのでやっぱりこっちの答えにします」
何の話をしているのか分からない試験官が訝し気な表情でシエルを見つめるが構わずに答えはじめる。
「わたしは何もしません」
意外な答えだった。
それは試験官のフラムも同じだったようだ。答えを聞いた後、わずかに間があった。蘇生魔法はともかく、自己を犠牲にしてでも両方を助けようとする答えは多いだろう。実際の話は別にしてだが。
次に多いのは騎士を助けるだろう。騎士になろうというのだから仲間を助けようとすることに加え、相手は平民だからだ。強い階級意識を持つお貴族様に多いだろうがシエルが選ぶ可能性はない。弱そうな方を助ける点で平民を助ける線もあったが、何もせずに見殺しにする事はないと思っていた。
「何故、その答えを選んだ? 何もしなければ君の命は救われるが騎士も平民もどちらも助からないのだぞ?」
前置きを無視して問い詰めてきた。これをするために長々と説明していたとしたら相当に意地が悪い“試験”だぞ。
「君は目の前で起こる惨劇を予見しながら何もせずにいるのだな。自分には関係がないと傍観を決め込む。そんな者が騎士になれると思っているのか?」
「わたしが騎士かどうかは別として……」
間髪入れずに返し始めたシエルは真っすぐに、澱みなく理由を話始めた。
「どの様な理由であっても家族を殺された平民の気持ちは辛いと思います。仲間を殺されまいとする騎士の気持ちもわかります。復讐を果たせば悲しい出来事が続くからそれを防ぎたい気持ちも。双方に譲れない正義があって、それが誰かのためを思っての事であれば……」
目を瞑り少し息を整える。俺も試験官もシエルの次の言葉を待った。
「わたしが介入する余地はありません。せめてそれを見届けようと思います」
「見届けるということは……」
「どの様な結果になっても責任はないと仰いましたが、わたしはわたしの責任で見届けたいです。本当に何も出来ない状況で、……ただ見守ることだけしか……誰かに委ねる事しかできない状況であれば……。せめてわたしの責任として見届けます」
試験官は視線を逸らして何かを考えている様だったが、すぐに向き直り口を開く。
「……なるほど、君の考えは分かった。初めにも言ったがこれが正解かは分からない。現実には両方を救う手立てはいくつもある。だが未熟な君たちが限られた状況でどう対処しようとするのかを知っておきたかった。気を悪くしないでくれ」
「はい。大丈夫です」
この質問であの時の事件を思い出したのだろうか。人見知りではあるが人と話をしていてこんなにも落ち着きがないことは初めてだ。
15年がたった今も心の傷は癒えていないのだろう。
当然といえば当然だ。子供の時のトラウマなんて一生消えないだろうから。
——ずっと責任を感じて生きてきたのだろうか?
あの事件はシエルの所為ではないのに、この子は一生この痛みを抱えて生きていくのだろうかと思うと自分が削られるような感覚になる。
「検査はこれで終了だ。グラウンドへ向かい実技試験を受けてくれ」
「はい、ありがとうございました」
「……」
きれいにお辞儀をして速足で講堂の出口へ向かおうと歩を2,3進めるとフラム試験官から呼び止める声がかかった。
「すまん、あと一つだけ質問をしていいか?」
シエルは呼び止めに応じて振り返り、試験官の前まで戻る。
「個人的に聞きたいのだが……」
——おおぅん? ここにきてナンパか? だったら承知しねーぞ?! 出ていってやってやんぞ!?
「君は何故、騎士を目指すのか? いや何故この騎士学校を選んだのだ?」
勘違いのようだった……。それにしても試験官クンの疑問はもっともである。
正直シエルの能力なら騎士学校に行く必要はないと思う。騎士団には直接登用の試験もあるから、騎士になりたければそっちの方が早い。あまり言いたくないがコネもある。
騎士でなくとも冒険者の道だってある。父親は四方騎士団——アネモネ騎士団創設者であり、現在の近衛騎士団長だ。この功績が認められ当代限りとはいえ公爵へ陞爵された。しかも公爵相当の称号が送られる話もある。領地経営をせずに済むから公爵よりも楽な身分だ。ひたすら実家で勉学や研究に勤しんで構わない——だからわざわざ騎士になる必要はないのだ。
——シエルの性格的に何かしていないと気が済まない気はしていたけど、実際に何故騎士学校を志望したのか、か……
「たくさん本を読んで世界の事を勉強しました。でも本当の事は自分の目で見ないとわからない事が多くて。風景や物を実際に見てみるとすごく感動して。……でも街で色々な人と話をしてみると、人が一番わからなくて……」
普段は割と堂々というか、あまり物怖じしないのだけれど、自分の将来ややりたいことに対する言葉だけはグダる。むしろ何か濁そうとすら感じる。
「えと……なんていうか……。」
真っすぐに目を見て話すのにこの時だけは視線が泳ぎまくる。聞いている試験官クンは突然の挙動不審に困惑しながらもじっとシエルの言葉を待っていてくれていた。
シエルは考えがまとまったというよりも、意を決したように軽く頷き口を開いた。
「自分と大切な人を守れるぐらい強くなりたいのと、……知りたい事があるからです」
「知りたいこと、というのは?」
「みんなが楽しくいられる方法……とか」
フラム試験官は大きく息を吐きだし後頭部をわしゃわしゃと掻きむしる。
「そうか。……なるほどわかったよ」
時間をとらせて悪かったと次の試験会場へ向かうための出口を指さし、
「まあ、頑張ってくれ」
と言って彼は他の試験官が集まる所へ向かっていった。
なぜか彼の背中ががっかりして見えたのは俺だけじゃなく、
「わたし、変な事言ったかな?」
振り向きざまに空色の瞳が彼の背中を少し寂し気に追いつつ、シエルもまた次の試験会場へ向かうため歩き出した。
『あれだけでは誤解されているかもな。お前の真意は……“本当にしたい事”“みんなが楽しくいられる方法”は伝わりにくいから』
「うん……」
『あいつにイチから説明する時間も意味もないんだ。今はあれだけで良いよ。お前って頭は良いのに口下手だしな』
「むぅ……」
説明できないわけではないが自分の中に迷いもあって上手くまとまらないのだろう。
シエルは誘拐未遂事件よりも前の、生まれた直後からの記憶があるらしい。だから今の両親が本当の親ではないことを知っている。本当の父親は生まれる前に亡くなっているが、産みの母とは事件までの3か月は共に過ごし、声や手の温かさなどは今でも覚えているそうだ。だが顔や掛けられた言葉は覚えておらず、幼少の頃は俺に何でもいいから教えてくれとよくせがまれた。
歳を重ねるごとに育ての両親に気を使ってはっきりとは言わなくなったが、産みの親や事件についてこっそり調べている。
事件の詳細は伏せられている事が多く、普通に調べてもわからない事だらけだったが、テロや政争などの憶測による新聞記事はいくらでも出てくるから国の内情についても興味を持ち始めていた。
4騎士団の創設で国内のテロはほぼなくなったが、ゼロではない。王都で起きていないだけで地方の領地や国境付近の貧困街などでは今でもテロや暴動は起きているところもある。
この国はあまり平和ではないのではという疑問を確かめ、悲しい事件を減らしたいというのがシエルの願いではあるのだけれど、今は本当にやりたいことか上手く整理がつかずに悩んでいる。だから上手く口に出せずにいる。
——それも含めてここで学びたいと思ったのだろう?
力や知識はそれなりに持っているが、人との関わりや社会経験など圧倒的に足りていない大事なものがある。まずはそれを得るためにゼピュロス騎士学校への入学を果たそう。




