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閑話:スポーツ用品店にて

 純平が須狩ジュニアバドミントンクラブに本入会する数日前、純平とその母親、美佐子は、郊外のスポーツ用品店に来ていた。

 元々野球用品を買いによく来ていた場所ではあったが、純平が野球を辞めてからは久々に来る場所だった。


(野球を辞めてから俯きがちだったあの子の目に光を宿したのは、間違いなくバドミントンだわ。あの子が今度こそ憂いなくスポーツを楽しめるように、わたしがサポートしなくちゃ)


 そう気合いを入れて店内に足を踏み入れた美佐子だったが、バドミントン用品の値段を見ると心が徐々に萎えていった。


(さ、3万円……? バットより全然高いのね……)


 それでも息子の為にと、「好きなの選んでいいわよ」の一言を言おうと美佐子が苦悩していると、息子が1本のラケットに視線を集中させている事に気づいた。


 純平が眺めているのは、値段は26,000円と可愛くないがカラーリングはピンクと白の可愛らしいラケットだった。


「あら、純平そんな可愛いの趣味だっけ」


「あ、いや、このまえの体験で、これを使ってる子がいたな、と思って……」


 純平はなんでもないように返したが、母は見逃さなかった。


「へぇ〜。……早苗ちゃんって子?」


 純平はびくりと肩を震わせた。「ち、ちがう! いや、違わないけど……! 素振りを見せてもらったから覚えてただけ!」


 美佐子はいつも大人びている息子の珍しい狼狽える姿に微笑ましさを感じると、追求をやめてそのラケットの隣を指さした。


「それと同じ型のこれなんか、かっこいいんじゃない? 赤と黒で。それに、ほら。初心者向けって書いてあるわよ」


「……あー、うん。……いいかも」


 まだ軽く頬を紅潮させている息子も、そのラケットを気に入ったらしい。美佐子はラケットをカゴに入れようとして、はたと気づいた。


「あれ、これ網がついてないわよ」


「ほんとだね。……どこで張るんだろう」


 2人とも全くの初心者であるため、バドミントン用品の買い方が分からない。途方に暮れていると、1人の店員が近づいてきた。


「なにかお困りですか?」


「あぁ、すみません。こちらのラケットを買いたいと思ったのですけど、網? がついていなくて……」


「あぁ、ガットですね? 購入されるということなら、サービスで張らさせていただきますが、いかがです?」


「あら、ではよろしくお願いします!」


 店員はラケットを受け取ると全体の傷などを確認するようにラケットを見ながら、2人に話しかけてきた。


「こちらのモデルを買われるということは、どこかのクラブで練習されるということですか?」


「えぇ、そうなんです。須狩ジュニアバドミントンクラブに入りたいみたいなので」


「ああ、須狩ジュニアですか! ということは、佐竹さんのところかな?」


「佐竹さんを知っているんですか?」


 純平が思わず声を出すと、店員は純平に向き直ってにっこりと笑った。


「僕も昔バドミントンをしていてね、佐竹さんに教えてもらったこともあるんだよ。いやぁ、あの時は厳しかったね」


「厳しい……佐竹さんがですか?」


「あれ、今はもう丸くなったのかな? ははは、いらないこと言っちゃったかな」


 そう言うと、店員は美佐子に目を向けて

「よろしければ、バドミントンを始めるのに必要な一式を見繕いましょうか?」と言った。2人にとっては願ってもない申し出であり、間髪入れずに了承した。








「まず必要なのは、シューズ、グリップテープ、靴下、あとは……ウェア、あたりですかね」


 純平は1つ1つの商品棚の前で目をキラキラさせている。普段大人びていても、まだ小学五年生。自分用の道具というロマンに興奮が止まらない年頃だった。



「シューズは……この黒が、かっこいいな」


 買い物は想定よりサクサク進んでいた。それは、純平が迷わないタイプであるというのもあったが、バドミントン用品の選択肢が思ったより無いというのも大きかった。


「……意外とバドミントン用品って種類がないのね」


 ついぼそりと呟いた美佐子だったが、隣に店員がいたことを思い出してはっと口を抑える。それを見ていた店員は苦笑しながら


「いえ、まあ今はほぼYODAXブランドの独占状態というのもあるんですが、それを踏まえても商品は多くないですから。僕としては、もっとバドミントンが盛り上がって欲しいんですがね」


と零した。そして、ニヤリと笑ってこう続けた。


「それこそ、彼のような若い世代が世界で活躍していけば、バドミントンももっと熱くなりますから。期待してますよ」


「いやいや、あの子まだバドミントン始めてもないんですよ」


 そう返す美佐子だったが、顔は満更でもなさそうだった。そのまま調子づいて、純平に「気になるものあったらカゴに入れちゃいなさい!」と呼びかけた。


「お母さん、これ、タオルグリップだって! 持ち手がフワフワになるよ」


「……それはまだいらないんじゃないかしら」






◆◆◆






買うものを見繕って会計してから30分後、先程の店員がガットの張り上がったラケットを持って近づいてきた。


「お客さん、ラケットが上がりましたよ〜」


 そういって店員は純平にラケットを渡す。先程買ったグリップテープも巻いてくれたみたいだ。


 純平にとっては始めての自分用ラケット。おもちゃを与えられたように破顔して握り心地を確かめていた。


「僕はこの店の渡辺と言います。よろしければ、今後もご贔屓に」


 店員は美佐子に名刺を差し出した。


「裏がクーポンになってるから、捨てないでくれると嬉しいなぁ、なんて」


 そういうと店員はにかっと笑った。






◆◆◆






「純平、ちゃんと欲しいもの買えた?」



 帰り道、美佐子は後部座席に座る純平に声を掛けた。

 純平は尚もラケットを握りながら答えた。


「うん。……でも」


「でも?」


「早苗さんと同じモデルって、気持ち悪いかな……」


 息子の真剣な声色に、美佐子はつい吹き出してしまった。


「ぷっ……! ちょっと、運転中だから笑わせないでちょうだい」


「わ、笑わせてない!」



 純平は顔を真っ赤にして反論する。うるさく会話をしながら、2人は家に帰っていった。







◆◆◆







「須狩ジュニアの純平くんね〜、覚えておこう」


 2人が帰ったあと、店員の渡辺は商品整理をしながら素直そうな男の子の客のことを思い出していた。


 後にこの店が羽田純平選手の行きつけのスポーツ用品店として脚光を浴びることは、この時はまだ、誰も想像していなかった。

タオルグリップは、私は使ったことないですが世界のトップ選手が結構使っているイメージありますね。


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