02:体験練習
父親にバトミントンを勧められた僕は、体の調子が戻ってきた小学五年生の初め頃、バトミントンについて調べはじめた。
帰り際、小学校の昇降口のチラシ置き場の
あるチラシに目が止まり、それを畳んでポケットに入れて家に駆けた。
「母さん、この須狩ジュニアバトミントンクラブってとこ、近所だし、いいんじゃないかな」
「あら、須狩にもそんなクラブがあったの? いいんじゃない、今週の土曜日にでも体験に行ってみる?」
◆◆◆
このクラブは、放課後や休日の小学校の体育館を利用しているらしく、初めて入る他校の体育館に緊張していた僕は、ゴムの滑る音や羽を打つ快音に迎えられた。
母親が目の前に座る恰幅の良い短髪のメガネの男性に話しかけると、その男性は
「ああ、体験希望の羽田さんですね? お待ちしてました〜!」
と低い声で言うと、信じられないほどバカでかい声で
「みんな集〜〜合〜〜!!!」
と号令をかけた。
体の芯にビリビリと響くそれに半ば、いや完全に萎縮しながら待っていると、色とりどりのウェアを着た生徒たちが集まってきた。僕より大きく見える子から小学校入りたてのような子まで、10人ほどが活動していた。
「須狩西小学校の羽田純平です。小学五年生です。バトミントンはやったことないです。よろしくお願いします」
知らない子達の前で話すことに緊張しながら微妙に震える声で挨拶したのだが、目の前の僕より年下に見える、坊主頭で身長の低い男の子に
「ちげーよ!!」
と笑いながら指を指された。
「バトミントンじゃなくてバドミントン、だぞ! 佐竹さんにぶちぎれられんぞぉ!」
「こらこら俊太郎、ぼくはそんなことで怒らないよ〜! 純平くん、今日はよろしくねぇ〜」
佐竹さんと呼ばれた男性はそう言うと、にこりと笑った。
ここから、僕のバドミントン人生はスタートしたのだった。
◆◆◆
「まずは素振りだねぇ、というか、純平くんは野球をやっていたんだっけ?」
「あ、はい。そうです」
「じゃあ、そうだな〜。このシャトルをあそこ目がけて投げてみて」
佐竹さんはそういうと、シャトルを1つ僕に手渡した。
僕は体に染み付いた野球のフォームのまま、シャトルを指示された場所に向かって投げた。シャトルの軽さに上手く力を乗せられずに球はふわっと浮いてしまったが、佐竹さんは「おぉ〜」と言うと、
「純平くん、すごく綺麗なフォームで投げるねぇ!」
と褒めてくれた。
「プロ野球選手のフォームをテレビで見て真似したんです」というと、佐竹さんはなるほどねぇ〜と独りごちて、
「実は、野球のフォームはバドミントンのオーバーヘッドストロークと結構似てるんだ。君、うまくなれるよ」
と言った。
◆◆◆
「話を聞く限り、純平は、見て真似をするのが得意なのかなぁ?」
佐竹さんにそう聞かれたので僕は「そうですね」と頷いた。
佐竹さんはすこし逡巡すると、「早苗ちゃん、ちょっと来て〜」とある女の子を呼んだ。
「純平くん、この子は橘早苗。純平くんの一個下の四年生だけど、名門の聖フラリエ中学からの推薦も来てる。このクラブでいちばん強いのは多分彼女だよ」
橘早苗と呼ばれた女の子は、一つ下とは思えない程大人びていた。すらっとしていて、身長も150センチくらいあって、正直僕は負けているかもしれない。
(いや、まだ成長期が来てないだけだ!)
と、無駄なことを考えていると、早苗さんは佐竹さんをきりりとした目で見つめて、
「なんですか、さたけさん」
と、無感情な声で尋ねた。
「急に呼んでごめんね早苗ちゃん。少しだけでいいから、ここで素振りしてみてくれる?」
佐竹さんがそう言うと、早苗さんは静かに頷いて、素振りの構えをとった。
その瞬間、空気が変わった。
肩からすっと伸ばされた腕は、芸術品を思わせる完成度だった。
そのまま僕は、腰、肩、肘、手首を連動させる美しい振りを食い入るように見つめていた。
「あの……もういいですか? そんなにみられているとやりにくいです」
「あ、ご、ごめん! 早苗さん」
気がつくと数分経っていた。いつの間にか隣に来ていた三年生の俊太郎くんににやにやしながら
「じゅんぺー、さなえに惚れたか?」と言われたので、ぺしりと頭を叩いておいた。そして、隣にいる佐竹さんに
「あの、鏡ってありますか?」
と尋ねると、少し驚いた様子の佐竹さんは「ああ、鏡、鏡なら向こうにあるよぉ」
と指をさしてくれた。
今はとにかく、頭の中にあるフォームを逃したくない一心だった。
◆◆◆
須狩ジュニアバドミントンクラブのコーチである佐竹武蔵は驚愕していた。
初めて体験に来た小学五年生の男子が凄まじい集中力で素振りを凝視していると思えば、鏡の前に立ち、素振りを始めたのだ。
最初はラケットを持ったまま野球をしているような振りだったのが、佐竹のアドバイスも無しに、見る間に綺麗な、早苗とそっくりのフォームになっていった。
実業団の監督も務め、“鬼の佐竹”と呼ばれたコーチである佐竹も初めて見る成長スピードに驚きを隠せなかった。
(いやいや、見て真似するのが得意って、限度あるだろぉ……。こりゃぁ、すごい逸材を見つけたかもなぁ……)
心の中のどこかに火がついた佐竹は、他の事も教えるべく、純平に近づいていった。