09:はじめて
啓介にクロスヘアピンを決められて、1-1。試合は再び均衡状態へと戻された。
啓介はサーブの構えを今までと変えた。左手で羽を摘み、両手を前に出して構える。ショートサーブか? あくまでも僕のネット前を攻めるつもりのようだ。
啓介の手からシャトルが離れ、ラケットによって軽く弾かれる。やっぱり、ショートサーブ。
僕もやられっぱなしは性にあわない。それに、これは練習試合だ。試せることは試してみたい。僕は、再びヘアピンで勝負してみようと思った。
頭の中に先程の啓介のフォーム、今まで見てきた勇人さんや早苗さんのフォームを思い浮かべる。僕は、見よう見まねが得意なはずだ。1度リアクションステップを踏み、重心をずらして前に出る。まるでフェンシング選手のようなポーズで、僕はシャトルのコルクをラケットに軽く乗せるように面を出した。
◆◆◆
「おっ!?」
周りで見ていた佐竹は声を上げる。かなりぎこちないものの、そのヘアピンのフォームはなかなかに綺麗なものだった。
「数回見ただけでこれかぁ〜。覚えが良過ぎる生徒、教えがいがないな、ハハ」
佐竹は悪態をつくような素振りを見せていたが、メガネの奥の目は爛々と輝いていた。
「次はあいつに何を教えてやろうかなぁ」
視線の先で、純平が左右に翻弄されて足をもつれさせ転ぶ。
初心者らしいところもあるもんだねぇ〜、と佐竹は苦笑した。
◆◆◆
パートを終えた純平の母・美佐子は、息子の迎えの為にジュニアの活動が行われている小学校の体育館横に車を停めた。
外の下駄箱に靴を入れて体育館の引き戸をがらがらと開けると、そこに立っていた数人の保護者がこちらを振り向く。
「あ、こんばんは〜」
「羽田さん!」
美佐子が挨拶をすると、小柄で活発そうな女性、俊太郎の母親が声をかけてきた。
「今、純平くんすごい良い試合してるのよ! 啓介くんと競ってるの! 7-10で純平くんが負けてるけれど」
「ええ?」
美佐子は耳を疑う思いだった。純平はまだクラブに入って1ヶ月であり、いかに身内贔屓をしようとそこまですぐ上手くなるとは思えなかった。
しかし、その印象は試合を見ることで一変する。
「あれ……。本当に、あの子、食らいついてる」
「でしょでしょ? 純平くんすごいのよ!」
我が子のように純平を自慢する俊太郎の母に苦笑しながら、美佐子は純平の表情を見つめていた。
もし、苦痛の表情だったら。あんなに激しい運動をしたら、いかに太陽光が差さない屋内だとしても体調を崩すのでは無いか。
しかし、そんなことはなかった。
純平の顔に浮かんでいたのは、純粋に楽しげな表情だった。
「……あの子、いつも野球の試合では無理をしていたから、つらそうな表情で、見ていられなかったんです」
つい、誰に言うでもなく美佐子は口に出していた。
「あんな表情でスポーツを楽しんでる息子は初めて見ました」
(あと1本!)
14-10。啓介のサーブをする手に力が入る。もはや啓介は純平を初心者と思っていなかった。ネット前を狙うことも辞め、ただ純粋に試合をしていた。
そして、純平も、そこについてきた。2人は今、試合で高めあえていることを互いに感じていた。
前に出されたラケットを持つ片手が、これまでより強く引かれる。今までショートサーブを打っていたフォームからの、初めてのロングサーブ。
しかし、純平はこれに反応する。何か考えているわけでもなく、体が勝手に反応した様な感じだった。
クリアが上げられる。啓介のスマッシュ。純平がこれを返す。ヘアピン。ロブ。ドロップ。ヘアピン。……
そのラリーは今までで1番長く続いた。体育館にいる誰もがそのラリーに見入っていた。啓介と純平のシャトルを打つ音と靴の擦れる音だけが体育館に響く。
均衡を破ったのは啓介だった。
スマッシュを放とうとする啓介。しかし、シャトルがフレームに当たる。
「あ」
どちらが出したとも分からない声。シャトルはかつんという音と共に、へなへなとした軌道を描き、スマッシュを警戒して後ろに下がっていた純平の前にぽとりと落ちた。ゲームセット。
「15-10! ゲーム!」
啓介がネット際に歩み寄り、手を差し出す。
「僕が初心者みたいな勝ち方をしてしまいました。いい試合、ありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ、ありがとうございました!」
2人は握手する。その瞬間、わっ! と歓声が上がった。
「じゅんぺー、よかったぞー!」
「おい啓介、純平に点取られすぎだろー!」
「うるさいですよ、奏弥! 奏弥もやってみたらいいでしょう」
「……負けたらやだし、やめとくわ」
啓介は奏弥と軽口を叩いたあと、純平に向き直る。
「さ、純平。試合の後は、佐竹さんにアドバイスを貰いに行くんです。行きましょう」
「うん!」
2人は並んで佐竹の方に歩いていった。